2025 05,16 06:56 |
|
× [PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。 |
|
2017 01,05 18:39 |
|
学生時代にわしが所属していたハスキーズにおいて、“キング”と言われたら思い浮かべる人物は一人しかいない。
そう、キング秀美。
キングの由来はわしも定かではないのだが、ハスキーズ時代のキングのプレーを見たチームメイトが付けたのではないかと思われる。当時のハスキーズレディーはお世辞にもあまり強いとは言えず、ダイブができる選手もほとんどいない中、キング秀美だけは異次元の動きで圧倒的な存在感を放っていた。スローやキャッチが段違いに上手かっただけではなく、メンズ顔負けのエゲツないダイブを連発して一騎当千の活躍をしていたことを記憶している。そんなキング4年生のプレーを見たわしは、「すげー、あれがキングなのか~・・・」と純粋に感動すると共に、“クイーン”ではなく“キング”であることに妙に納得したものである。
そんなキング秀美はハスキーズ卒業後、社会人になってもアルティを続けられ、比較的参加しやすい東南アジアのローカル大会はもちろんのこと、アジア選手権、ビーチ世界選手権、世界クラブチーム選手権、世界選手権とありとあらゆる国際大会に出場して活躍されており、現在進行形でキングっぷりに磨きをかけておられる。
キングエピソードは試合中だけに留まらず、国際大会でのフリータイム中にも生まれているようで、夕飯のためにとあるショッピングモールに行った際、いきなりキングがウン十万円する腕時計を、まるでわしがコンビニでブラックサンダーを買う感覚でお買い上げになられたのだという。 驚愕したチームメイトがいきなりのお買い上げについてキング秀美に理由をたずねると、キングは言ったのだという。
キング秀美「理由?私は欲しいものを買うために日々働いている。ちょうど今、欲しいものがあったから買った。また明日から働いてお金を稼げばいい。ただそれだけのこと。」
あまりにかっこ良すぎてもはや都市伝説レベルのキング発言であるが、もしこれが事実であったとしても、キング秀美の発言であれば納得できてしまう。それくらい、キング秀美のキングの称号は確固たるものとしてわしの心に刻まれている。 同じかっこ良いでも“俺より強いヤツに、会いに行く・・・”と言ってポリスメンに会ってしまうのとは、訳が違うのである。
さて、そしてここに一人、同じくハスキーズ出身のキングの後輩で、そのキングルートを奇跡的なほどそのまんまなぞっている戦士がいる。
その戦士の名は、
そう、 さっこ
元祖キングのように派手なプレーは炸裂させないものの、しぶといストーリング、ディフェンスに存在感を悟られない忍者走り、ミート後の即ダンプ、献身的なおとりの合わせなど、カユいところに手が届く渋いプレーの引き出し満載のため、様々なチームから引っ張りだこでおなじみの、我らがさっこなのである。
「自分、不器用ですから・・・」と、名俳優・高倉健と全く同じセリフが口ぐせのさっこであるが、その経歴は華々しく、東南アジアのローカル大会、アジア選手権、ビーチ世界選手権、世界クラブチーム選手権、世界選手権と、こちらも七つの海をまたにかけて活躍している。
先のキング秀美に負けず劣らず、さっこにもキングに通ずる強力なエピソードがあると某絵門氏からタレコミがあったので、タレコミを元に、某絵門氏視点で忠実に情景を再現させていただく。
2015年9月の台湾での大会での話。決勝戦が行われるコートの周りには多くの選手たちが集まっていた。中には周囲にたくさんのユニを並べ、ユニ交換しようと声をかけている人もいた。
『ふーん、熱心に交渉しているみたいだけど、東南アジアの人はトレードが好きなのかなー』とか、『なんだよこのユニ、トトロとかのジブリキャラがゴリゴリにプリントされているではないか!!』とか、異文化を肌に感じながら歩いていると、彼らと同じようにユニ交換のお店を開き、圧倒的なオーラを纏って鎮座している一人の女性が目に留まった。
どこかで見たことある気がするなぁと目を凝らして顔を確認してみると、見たことあるレベルではない、さっきまで一緒にプレーしていたチームメイトではないか。
その歴戦の戦士のオーラを纏った女性とは、
そう、 さっこ
わし(某絵門)がビールを飲みながらチンタラ歩いて決勝観戦に洒落込もうとしている裏でも、努力の女さっこは気を緩めることなく、ユニ交換という戦いに身を置いていた。
ユニ交換に臨むさっこの表情はまるで阿修羅の如くであり、ダンナとミャンマーに行ったときに現地の学生に日本から女優が来たと大騒ぎになり、30分もの間、握手と写真撮影を求められた際に振りまいていたときの女優スマイルからは考えられない迫力であった。
↑ミャンマーの街中で突然始まった写真撮影会の行列に、まんざらでもない表情で対応する女優・さっこ(写真はダンナ・山P提供)
さっこの気合にいたく尊敬しているところに、おそらくシンガポールのチームと思われる青年が、さっこに声をかけた。わしは少し離れたところからその様子を観察していた。
シンガ青年「こんにちは、相談できますか?」
さっこ「いいわよ。」
シンガ青年「実は、ここに並んでいるユニではなくて、あなたが今穿いている短パンに興味があるのです。」
そのときさっこが装着していた短パンは、黒ベースにIKUのロゴと日の丸がプリントされているカッコイイものであった。シンガ青年も良いモノに目をつけるものである。
その問いに対し演技派女優さっこはあえて即答せず、古畑任三郎ばりの苦悶の表情と共に溜めに溜めて、言葉を搾り出す。その溜められた間によって、シンガポール青年の中でその短パンのプレミア感がグイグイ上昇していることが、その表情の僅かな変化から読み取ることができた。
シンガ青年「あなたの短パンと、私のユニをトレードしてもらえませんか?」
さっこ「・・・・・・・・・・・・・・、いいわよ、交換してあげる。」
溜めに溜められた間から察するにおそらくダメだろうと腹をくくり始めた矢先の、拍子抜けするほどのあっさりしたトレード成立。純朴なシンガポール青年は満面の笑みを浮かべて喜んでいた。間違いなく心の中でガッツポーズを決めていたことだろう。
シンガ青年「ありがとう、それではさようなら。」
さっこ「こちらこそありがとう。」
わしはあまりにあっさりしたトレード成立に、どこか違和感を覚えていた。七つの海をまたにかけて戦ってきた圧倒的な経験値を誇るさっこにしては、あまりにあっさりした結末すぎる・・・。
わしはそんな疑問を抱きながらさっこを観察していると、なぜかさっこはトレードしたユニを、元々着ていたユニの上に着始めた。
わしの疑問は、確信に変わった。
さっこ「ちょっと待って。」
シンガ青年「何ですか?」
さっこ「今トレードしてもらったユニを着てみたんだけど、どういうわけか短パンが足りなくなってしまったみたいなの。下に穿くものが無くて、私はこれからどうやって街のホテルまで帰ったらいいのかしら?」
シンガ青年「!!!!!??」
先ほどまで阿修羅の気迫でトレードの店番をしていたさっこは、黒短パン1枚と交換した上下セットの白ユニに身を包み、満足げな微笑を浮かべて店番を再開していた。
その少し後ろで純朴なシンガポールの青年は、虚ろな目をして、決勝のコートとはあらぬ方向へ蛇行しながらトボトボと去っていった。こちらからはちゃんと確認することができなかったが、日本の大女優の底力を思い知った青年の目元は、台湾の西日を浴びていつも以上にキラキラと輝いていたに違いない。
キングの称号が襲名される日も、そう遠くないのかもしれない。 PR |
|
2016 12,12 19:19 |
|
2016年12月10日、11:30。わしは志村さんと、東京都文京区にある湯島天満宮に来ていた。この歴史ある神社には2人の恋愛成就のお祈りに来たわけではなく、東京都立聖オゲレツ学園アルティメットエロス倶楽部ベジグリフォンズ、通称東京ベジグリフォンズの元キャプテンである高間とその相方の蘭ちゃんの結婚式のために来ていた。わしにとって初めての神社での結婚式であったため要領がつかめずまごまごとしながらも、なんとなく人の流れに従って進み、待合室で待機していた。
待合室に着くと、列席者と思われる集団の中に、鮮やかな青のストライプスーツ三つ揃えに薄い青のシャツ、それに赤の蝶ネクタイを合わせるという、明らかに神社の日本家屋とミスマッチな服装をした男が目に留まった。 わしは違和感だらけのその男とはなるべく関わりたくないと思い目を逸らし、他人のふりを決め込もうと思っていたのだが、その願いに反して男は一直線にこちらに向かってきて、よりにもよってわしは話しかけられてしまった。
尾中部長「俺、大丈夫かな?」
本人も薄々気付いているようだったが、そんなに大丈夫そうではなかった。どちらかというと、これから神社本堂で神前式に出るというよりは、ブロードウェイのコンサートの司会を務めると言ったほうが納得する人が多かったであろうことは間違いない。
“-----俺のことを、呼んだか?”
はっ!!!!!?
待合室で談笑していると、突然わしの脳細胞が、科学では説明のつかない信号をキャッチした。
まわりを見渡してみても、やはり今まで話していた志村さんと尾中部長しかおらず、そもそもわしは誰も呼んでいない。そして2人はこの事態に全く気付いていない様子。
湯島天満宮が奉っている菅原道真の霊がわしの脳に語りかけてきているのかと、目に見えぬオーラに冷や汗を垂れ流していると、その瞬間にも得体の知れぬ気配はみるみる近く大きくなってくることが感じられた。
遠くの方から、明らかに待合室の入口に向かって近づいてきている。 そして遂に“それ”は待合室の入口に、実体を伴って現れた。
わしは神社での怪奇現象に恐怖し意識も絶え絶えになりながらもなんとか自分を保ち、極限の状態で入口に目をやると、そこには驚くべき光景が発生していた。
そこにいたのは、
そう、 コースケ
コースケ「おまたせ、俺のこと、呼んだかい?」
もちろん、わしは呼んでいない。
そして驚愕することに、
新郎新婦も彼を招待していなかった。 その証拠に、わしがもらった列席者名簿に彼の名前は確実に無かった。
なぜ呼ばれてもいないのにここにいるのかと、志村さんと尾中部長と散々問いただすと、彼は全く動じることなくひとこと言った。
コースケ「春本が呼ばれて、俺が呼ばれないわけが、ないだろ?」
春本が呼ばれているという情報は、当日朝に流れていたベジLINEで入手したらしい。それだけを情報源に、結婚式への参加を確信したのだという。なんという漢気であろうか。世の諸君、これがパイセンが後輩に見せる『漢気』である。
「お帰りください」
となるのが当然の流れであったが、菅原道真の霊が、コースケの漢気を評価してくださったのであろう。元々列席者名簿に名前があった春本が所要により欠席となり、偶然空席ができたため、急遽コースケが春本として列席する流れとなった。
待合室から案内された先の部屋で新郎新婦と対面することになったのであるが、呼んでいないはずの男が突如現れ、さぞ新郎新婦は驚いたことであろう。
繰り返しになるが、これは一人のタコの小話ではなく、一人の男の究極の漢気の物語なのである。 |
|
2016 11,24 19:13 |
|
2016年、11月も後半に差し掛かった土日の富士にて。今年もGAIAカップが開催された。
「俺より強いヤツに会いに行く」という、もはや異常性癖とも言える願望で参加を決めていたコースケに触発され、わしも今回は東西同期チームの「福島塗料雷神」で出場させていただくことにした。
ご存知福島塗料雷神は、元々大体の同期の韋駄天さんを筆頭とした、中京・大体の同期チームであったのが、30歳を超えた昨今そろそろ西の同期だけでは人数が揃わなくなってきてしまったので、数年前に東のメンバーも参加が解禁されたという経緯がある。その解禁にあわせて、無駄に人数だけはいる東の同期の連中が寄生虫のごとく流入して再編されたのが、現在の雷神の構成である。寄生虫のごとく侵食している東のメンバーが、ベジのコースケであり、尾中部長であり、人見であり、わしであることは、想像に易いであろう。そんな中、元ベジグリフォンズのキャプテンを数年にわたり務めていらっしゃった志村氏が、現在完全に西側の顔をしていらっしゃるという事態に関しては、一途にベジでプレーを続けている我々としては、ケツを鈍器でぶち割らせていただきたいの一言に尽きる。
さて、そんな大会時期の気圧配置と同じ完全に西高東低のパワーバランスである雷神では、本大会中、他の大会ではなかなか見られない珍奇な現象が発生した。
■俺以外ハーフコートマンツーマンDF 雷神のディフェンス。同期の星、松野のスローオフにあわせて、全日本選手権・本戦でも見られないような、後先のことをまったく考えていないとしか言いようがない常軌を逸した速度でスローオフダッシュを繰り出す男が1人。
そんな異常行動にでた男とは、 そう、コースケ
猛烈なスピードでスローオフダッシュをしQBにストーリングにつくものの、すぐに展開される。するとコースケは、すかさず展開されたディスクを全力で追って、またストーリングに入る。またスイングされたら、またまたコースケがストーリングに入る。
あれ?他の人は?
はるか後方、先ほどスローオフされたゴールライン付近を、他の6人が悠々と歩いている。これぞ雷神オリジナルのDFスタイル、「俺以外ハーフコートマンツーマンDF」!タコ一人が気が狂ったようにディスクを追いかけ、残りの6人はハーフコート以上ディスクが進まないとディフェンスを始めないという、エコのみを徹底的に追及した戦術である。使い捨てできる人員が余っている&試合にエンターテイメント性を持たせたい時のみ発動するこのディフェンス、大会中2度発動され、なんと10パス前に100%の確率で自爆TOが起きるという統計がとれた。是非継続して日本代表チームにも取り入れていただきたい戦術である。
ちなみに、コースケ以外の「俺」役は、我らがベジグリフォンズの尾中部長が務められた。
■アイソレーション俺 雷神のオフェンス。ハンドラーとして入っていた尾中部長の方向に、滞空時間と飛距離の長いスローオフがとんできた。尾中部長はなんとかスローオフをキャッチ、ディスクをまわそうと前を見ると・・・。
ホライゾンのフォーメーションなのだが、明らかにQB(尾中部長)からの距離が遠い。最も近いハンドラーでも、ゆうに30mは離れていただろうか。軽くミドルシュートの距離である。しかも全員が尾中部長に背を向けて未だにスタックを押し上げており、自陣エンド前には尾中部長一人が完全孤立する状況が出来上がっていた。孤立している尾中部長は必死の形相で「誰か~!!!」と叫びながら無駄にフェイクを続けていたが、カウント7まで放置プレイされた後にようやく救出のミートが入り、アイソレーション俺から脱出し、難を逃れたのであった。
激安アルティアナライザーことわしの解析では、このプレーは戦術の類ではなく、いわゆる「鬼畜プレイ」の1つに属するものなので、日本代表チームでは採用を見送ったほうがよろしいと結論付けた。
ちなみに、尾中部長以外では、我らがベジグリフォンズのわしがこのプレイの餌食となった。サイドラインギリギリでスローオフをキャッチしてディスクを中にもってこようとコート中央をみたら、はるか遠くにヤスオが全く関心のない顔で棒立ちしており、「ああ、これがアイソレーション俺か」と絶望に暮れた。そんな瀕死の状況の中、マサキさんの嫁氏ことヨーコが真面目にヘルプにきてくれ感謝の気持ちで一杯になったので、ただの鬼畜プレイではなく女神さま降臨プレイにも発展できる可能性のある戦術に成り得ることを追加報告しておく。
(某かんさんという男が以前に「アイソレーション俺」状態に陥っていたが、あれは社会的なアイソレーションであり、今回のアルティ戦術的な「アイソレーション俺」とは別物であるので、そこのところの差はしっかりとご認識いただきたい。)
■10カウントキャラハンでシャットダウン、君の笑顔もシャットダウン 雷神のオフェンス。自陣エンド前付近のサイドライン際で、ゲンさん(ノマ)がQBとしてディスクを持った。スタックの2線で待機しているわしのマッチアップは、年齢10個下のタカヒサ(ノマ)。ストーリングが入った瞬間、1線に入っていたメンバーが駆け上がってしまった。当然、次にゲンさんのヘルプに行かなければいけないのはわしなのであるが、雷神という慣れない環境でプレーすることにとても緊張していて動きが硬くなっていたわしは、確実にヘルプの動き出しが遅れた。ヤバイと思いつつダンプに潜りこむも、わしのタイミングが遅れたことでタカヒサに先回りされてしまい、ダンプのコースまでも切られてしまう。ここまででカウント7。ライン際&ダンプを切られたので、残されたスペースは少ない!とりあえずスペースへの先出しをもらうべく、今度はダンプから更にマイナス方向に離れてみた(今思ったが、瞬間的にカウント9でゲンさんをアイソレーション俺プレイでハメた!?爆)ところ、もはやスペースは全くなく、苦し紛れでゲンさんが投げたディスクは、自陣エンド内で待ち構えるタカヒサの手の中に吸い込まれた。
キャラハン!! ヘ(゚∀゚ヘ)アヒャ その瞬間、これまで親しく接してくれていたゲンさんの顔から完全に笑顔が消失したことが目視され、同時に雷神におけるわしの立場も消失したことをはっきりと自覚したのであった。 |
|
2016 09,09 01:47 |
|
台湾の、島の西寄りの真ん中へんにある都市、台中。2016年9月、ここ台中で東南アジア8カ国、全18チームが集う大会「Run To Taiwan2016」が開催された。
夕方に差し掛かってもなお灼熱の暑さで肌が焼かれる大会会場の片隅に、うつろな視線を虚空に彷徨わせたままぐったりとうなだれ、まるでマッチ棒の燃えカスのような状態で小さなアウトドアチェアーに腰掛ける上裸の男がいた。
その、激闘の末に廃人と化したジョーなのか、はたまたただの地元のくたびれたオッサンなのか判断に迷う男とは、
そう
コースケ
2日間で6試合をこなし、準々決勝で負けたものの5勝1敗とボチボチな戦績を残した我々であったが、彼だけは己のプレーを振り返り反省し、自問自答していた。
『俺がいないセットのほうがディスクがよく回る・・・』
試合中にポロッと口から出たその言葉が、彼の心境を如実に表していたのかもしれない。
彼は東南アジアでの大会の呪縛から逃れられずにいた。
2012年の韓国・済州での大会の準々決勝。ユニバースポイントのオフェンススタート。時の人、鮫島萌氏と肩を並べ、コースケもラインナップしていた。キビシイ向かい風の中なんとかエンド前までディスクを進め、あと3mでゴール。まさに勝利目前!そして、スタックの中から萌萌がディフェンスを置き去りにしてオープンに駆け込む!ディスクを持っていたコースケはドフリーの萌萌にサイドオープンを投げる!萌萌、驚異的な跳躍力でカッ跳びダイブ!
しかし無情にもディスクは萌萌の手に収まることはなかった。コースケの手から離れたディスクは50cmだけ空中にいたが、その後すぐに地球さんとコンニチハして、まるでカーリングのように大地を滑っていった。直後、ガイジソ追い風暴力プレイで一瞬でゲインされ、The Endという結末を迎えたのである。
それ以来わしはそんな彼のトラウマを払拭させてあげたいと常日頃考えている訳なのだが、2016年、四年越しに遂にその瞬間がやってきた。
日本からやってきた、チーム虹丸ことCHAOSというチームとの対戦中、フォースサイドマンツーに対するオフェンスで、わしはハメ側でパスを受けた。すかさず前方に目をやると、広大に開いた45度のスペースに、漫☆画太郎ばりに顔面を完全開放させたコースケが、素晴らしいお手本のような角度でミートに入ってきた。そしてその背には、今大会で実力・容姿ともに最強スペックを誇る男、アンディ国枝をピッタリと背負っていた。
わしの脳内コンピューターは瞬時にこのバトルの勝率を弾き出した。
『コースケの全力ミートとわしのスローが完璧に噛み合ったときだけ、コースケは究極に強いヤツ・アンディに勝つことができる』
"俺より強いヤツに、会いに行く"
迷っていたわしをロンドンに導いてくれた、決意のセリフ。
ロンドンでは選手ではなく法的に最強の男・ポリスメンに会ってしまった、負の記憶。
2012年から引きずる、東南アジアのトラウマ。
様々な記憶が走馬灯のようにわしの頭を駆け巡った直後、決心したわしは超越した集中力で渾身のサイドスローをコースケに投じた!!!!!
完璧な角度、完璧な高さ、完璧な速度!!!
まるでコースケのミートのコースとわしのスローのコースが一直線の赤い糸で結ばれているかの如く、ディスクはコースケの胸に吸い込まれていった。
後は任せた!王者アンディのプレッシャーに打ち勝ち、トラウマを払拭してくれ!!!!
捕食 ┳┳ ヽ(^▽^ゞ)イタダキマース♪
手元でバインゴしたディスクと共に、朽ち果てた漫☆画太郎はミートの勢いそのままにコート外へと消えていった。やはり、イケメンは正義なのであった。
アウトドアチェアーに腰掛けるマッチ棒の燃えカスに、チームメイトは慰めの声をかけていた。そんな中、またしても彼の口からポロッと本音が漏れた。
コースケ「俺はいつになったらスターになれるんだろう・・・」
その時点では、彼は知る由もなかった。後の閉会式にて、前夜のパーティーでワンマンパフォーマンスを炸裂させ大観衆を沸かせたコースケが、大会公式の賞『Party King』を単独受賞し、多くのアルティメッターから日本の誇るスターとして羨望の眼差しで指さされるようになることを・・・! |
|
2016 08,05 21:45 |
|
↑ラウンドアバウト 説明:ラウンドアバウトとは交差点の一種である。3本以上の道路を円形のスペースを介して接続したもので、この円形のスペースの真ん中には中央島と呼ばれる、円形の通行できない区域がある。車両はこの中央島の周りの環状の道路を一方向に通行する。環状交差点。(Wikipediaより)
2016年6月下旬。
わしの運転する車には人見、けんと、コースケ、じんぼというお馴染みのベジメンバーが乗っていた。しかしいつもと違って少し違和感を覚えるところといえば、車から見える街並みのほとんどがレンガや石材でつくられており、それよりなにより標識が英語で記載されていた。
そう、ここはロンドン!
その興奮たるや、この映像が全てを物語っている。
着いた初日から「俺はこの街に住むことができる。この空気は俺に向いている。」と訳のわからない言葉を発し、ロンドン市内の建築にいちいち異常興奮して車内からiPhoneをフルパワーで40連写し始めるじんぼや、「俺、前にロンドンに留学したことあるけど、気候が不安定で、住みにくいから、ダメ。」と夢も希望もない鬱陶しい主張で返す尾中部長、運転するわしに「早く練習場に行きたいから、強気で信号を突破しろ。既に黄色信号で2回も止まって、時間をロスしている。」と非人道的なアドバイスをする人見、「この道の先に、俺の求める強いヤツが待っているのか」と達観した面持ちでただ遠くを見つめるコースケなど、ドライバー的にはまとめて叩き殺してやりたいと思うには十分な車内空間であった。そしてこのメンバーでのドライブはあと約10日残されていることが約束されていた。
大会3日目。
先のメンバーにサトルイシイを加えた6人で、車で宿から大会会場へと向かっていた。今回のドライバーはコースケ。我々の中で国際免許を持っていったのはわしとコースケだけだったので、日ごとに交代で運転していた。
3日目ともなるとだいぶ運転にも慣れてきていた。
しかし、その慣れこそがトラブルを生むことは、日本の教習所でも必ず教えられることである。
今日も強いヤツを渇望するコースケは、最新型のシトローエンを、完全に慣れた手つきで転がしていた。
・・・、大丈夫か?と案じている矢先、大会会場直前のラウンドアバウトに差し掛かったところで乗員から悲鳴があがった。
なんと、コースケは何度も通ったラウンドアバウトにも関わらず出口を間違え、とんでもない方向へと爆走を始めたのであった。
道を間違えなければ集合時間の10分前に着く予定だったのが、よりによってハイウェイのような大通りに接続してしまい、大会会場が見えるところまで来ていたのに、横目に会場を見ながらすさまじい勢いで目的地から遠ざかってゆくというプレイに洒落込むことになってしまった。
タコつぼのような車内では当然のごとくコースケバッシングが始まり、やいのやいのとコースケの心理を追い詰めた。おもしろ半分のバッシングに比例して、コースケのドライビングも荒くなっていった。
結局15分程度ロスした我々は、なんとか会場へ向かう道へとリカバリーしたが、最後の小規模ラウンドアバウトに差し掛かったところでのじんぼの発言で、コースケの中の何かが弾けた。
じんぼ「ラウンドアバウト、回っちゃう???!!」
通常ラウンドアバウトは出口がきたら速やかに出て行くのがルールなのだが、リミッターの外れたコースケの理性はこの時点で無くなっていたらしく、なんと出口に向かわずにラウンドアバウト内をぐるぐると回り始めた!ラウンドアバウト内でアクセルが踏み込まれて加速した車内には大きなGが発生し、まるで洗濯機の脱水のように我々は外側の扉にはりついた。
その時のコースケの「してやったり!」という恍惚とした表情は、ラウンドアバウトの帝王、通称『ランナ・バウ男』と呼ぶのにふさわしい造形をしており、わしの脳に深く刻み込まれている。
そんな形で終始ガタガタうるさかった我々にリベンジを決めたコースケはようやくラウンドアバウトの出口に向かったが、自身も興奮状態にあったのか、なんと直後にあった大会会場の入口をまさかのスルー!
それに気付いたコースケの焦りは一転してピークに達したのか、その先でターンを決める際、かなり対向車の接近がギリギリの中で急加速して割り込み、しかも割り込む際には軽く中央分離帯に乗り上げるというかなりの荒業に走った。
そして大会会場への入口、右折して対向車線を横切る必要があったが、目の前から迫り来る大型トレーラーの鼻先数メートルを掠めるように横断し、なんとか会場へとたどり着いたのであった。
車内で「いやー、ランナバウ男さんのスリルドライブはひどかった!」と振り返っていると、大会のボランティアスタッフが近寄ってきた。駐車場への道順を案内してくれるのかなと、コースケは窓をあけると、スタッフは言った。
スタッフ「後ろの車が、この車のドライバーに話があると言っているよ。」
なんだよー、あの雑なドライブに文句言われるんじゃないのーと後ろを振り返ってみると、至近距離に1台の車がつけてきており、その車体には知能の低い我々でも知っている単語が大きく書かれていた。
POLICE
会場の道脇に誘導された我々の車にPOLICEカーが横付けされ、コースケは出てきた屈強なポリスメンに外に呼び出された。見上げるような屈強なポリスメンとコースケ、その距離50cm。コースケがぐぅの音も出ないほどに打ちのめされていることが、会話の内容が聞こえずとも理解できた。
サトルイシイ「いいか、車内の我々もとにかく反省している顔をするんだ。あと絶対に撮影してはいけない。撮影しているのがばれたら、本当に取り返しのつかないことになる。」
大会期間中で最も説得力のあるアドバイスを我々にし、我々も素直にそれに従った。
結局コースケはPoor Driving(荒い運転)に対する厳重注意を受けたものの、幸いそれ以上のペナルティーは課せられることはなかった。
こうしてコースケは「ランナ・バウ男」という新たな漢の勲章を得ることを代償に、ずっと彼が会うことを夢見ていた「俺より強いヤツ」どころかある意味最強の男と相対し、むごたらしいまでに完敗したのであった。
教訓:海外での運転に慣れはキケン!浮かれても、焦っても、荒い運転はしないようにネ! |
|
2016 07,12 19:52 |
|
「俺は2016年の世界選手権の代表を目指す。ロンドンに、俺より強いヤツに会いに行く。ハルオも目指すだろ?!」
2015年の3月。 声をかけられた当時、電波系アルティメッターであるわしに、日本代表を目指すなんていう考えは一切無かった。むしろ、考えること自体がおこがましいことだと思っていた。フリスビーを投げるよりもパソコンのブラインドタッチの方が得意だし、アルティメットをプレーするよりもYoutubeのアルティの動画を見る時間の方が長いし・・・。 けど、その漢はわしがそんな引け目を感じていることなどお構いなしに、資格があるのだから受けるのは戦士としての当然の権利だろうと、さも当たり前のことのように誘ってきた。
そう、 コースケ
月イチペースで行われた練習会では、これまで大会会場で見かけた強いチームの選手たちが参加しており、わしはビビリながらも何とかくらいつき、皆と切磋琢磨した。もちろん練習会にはコースケも参加し、存在感を示していた。
そして遂にやってきた、2016年1月、最終選考。4,50名に及ぶ参加者たちが、日本代表(マスター部門)の席を確保するため、まさに身を削る激しいアルティメットが展開された。 選考メニューが終わると、全員が円に並べられた。そして選考者が、合格したメンバーの名前を一人ずつ読み上げていった。わしは最後の最後、すれすれのところでメンバーに選ばれた。 しかしわしより代表への意欲がギンギンに高かったコースケ、そしてなぜか当日現場に紛れ込んでいたドリンボは、名前を呼ばれることは無かった・・・。
何かのドサクサに紛れていたわけではなく、正式なメンバーとしてロンドンに来ていた! テンションギンギンのコースケはスペイン戦で2得点に絡む活躍をし、その成長は目を見張るものがあった。 コースケのギンギンの絶頂は、フィリピン戦でやってきた。Dセットとして呼ばれたコースケは、ハンドラーとマッチアップし、ハードなプレッシャーをかけ続けていた。
そのディフェンスについていたのが、 そう、 コースケ
彼は跳んだ。
漫☆画太郎を彷彿とさせる完全解放された顔面のまま、輝く太陽と一体化しシルエットでしか姿が確認できなくなるほど神々しく舞い上がった奴のボディーは、軽々とフィリピン選手の頭を超え、舞い上がったディスクを楽々とキャッチ。 キャッチしてから3秒後、依然漫☆画太郎の顔面をキープしたまま軽やかな足取りで着地した場所は、敵陣エンド内。
そう、キャラハーーーーン!!!!!!
奴はWUGCを通じて、日本代表マスターメン部門では唯一キャラハンをとった男となり、伝説に名を刻むことになった。 このようにして、コースケのほとばしる勝利への執着心が育まれていった。
その初日は朝から大雨であった。 キビシイコンディションの中、VegeGriffonsは西の雄・Tibetsと対戦し、前半を2ダウンで終えた。しかも前半の最終ターンがTO合戦の泥試合となり、ハーフタイム終了後の後半の残り時間はたったの6分という、THE・絶望な状況が展開されていた。 ハーフタイム、VegeGriffonsの面々の目は明らかに濁っていた。 「ま、こんな雨だし、あと6分だし、負けても仕方ないか。」 そんな雰囲気だった。
コースケ「お前ら勝つ気あるのかよ!!!!」
振り返ってみれば正当なコースケの主張に、まっすぐ反応した男がいた。
平本「勝つ気あるにきまってるだろ!!!!」
返す言葉でそう叫んだ平本は帽子を雨でドロドロの地面に叩き付け、スパイクで勢いよく踏み抜いた。
ダウンペースで進む試合の後半、VegeGriffonsのオフェンスセットがブレイクされた。ベジオフェンスがTOを起こして相手がセットしているときに、相手のスタックオフェンスに対して5線のサトルと6線のドリンボで、挟むディフェンスのコミュニケーションをとっていた。予定では、サトルがインサイを守り、ドリンボがオープンを守る、というものだったらしい。そして試合が再開すると、相手QBは、スタンディングで、まるでスロー練のようにオープンサイドにロングを投げ、あっさりブレイク。オープン側を守っていたドリンボは「奥に走られる」という可能性を忘れていたらしくミートケアでベタ張りし、楽勝でシュートを通されたのだという。 ブレイクごのタイムアウトの中で、その非現実的にも程がある怠惰なディフェンスに、勝利への執着心で体の95%が構成されているあの男が吼えた。
ドリンボ「うん」
そう、ドバイ、ロンドンと世界大会を戦い抜いた彼は、これまでの負けて当然の世界とは決別し、貪欲に勝利を求める究極の漢へと変貌を遂げたのである。彼が漫☆画太郎バッファローモードに突入しそうな雰囲気をいち早く察知できた人は、彼から一秒でも早く割れ物を遠ざけることをオススメする。 そして世界を経験した漢の中の漢は、遂にあのハリウッドスターと肩を並べるまでに成長したことを、とあるテレビCMを通じて、紹介させていただきたい。
|
|
2016 03,17 21:04 |
|
2016年3月、ドリームカップ@富士。
お昼どきをはさんだ2時間という長い試合の空き時間、わしは広大な大地に一人ぽつねんと座り、孤独のグルメを決め込んでいた。
といっても食べているものは早朝6:30に宿で渡された、もはや何を揚げたのだかわからないような揚げ物がぶちこまれ、完全に冷え切ってしまった、ドブのようなお弁当をパクついていただけなので、グルメでもなんでもなく、ただの孤独であったことは疑いの余地が無い。
大会には2000人を超える選手、もとい同業者が参加しているにも関わらず、10年以上欠かさず通い続けた富士の大地で、わしの存在になんか気付く人は誰もいなかった。
皆和気藹々と、あたかもわしなんて存在していないかのように目の前を通り過ぎてゆく。パーティー斡旋専門NPO・VegeGriffonsを一歩離れると、社会からこのような絶対零度の冷遇を受けるのかと、わしはただ下を向き、カチカチに固まった白メシを少しずつほぐしながら、そして心では泣きながら、弁当を食べ、センチな気分に浸っていた。
・・・ピチャッ、ピチャッ・・・
突然そんな音が聞こえるとともに、白メシが黒く染まり始めた。
遂にダークな気持ちが核の灰となり、わしの弁当だけに黒く降り始めたのか・・・、と行き場の無い絶望感に下を向いていると、黒い染みは更に広がりを見せた。
・・・ピチャ、ピチャ・・・
はぁ、これが終焉か、映画ターミネーターでいうところのジャッジメントデイか・・・、とある種の悟りをひらいたところで、わしは顔を上げて、わしの冷や飯に黒い染みをつける元凶を見定めることにした。
そこには、想像を絶する驚くべき光景が広がっていた。
この世のものとは思えない邪悪な笑みを浮かべた男が目の前に屹立し、手に持つ割り箸を黒い汁の入った紙コップに浸し、その黒い汁を割り箸に伝わせて、わざわざわしの弁当の上で水切りの要領で箸を振り、汁を散らしていた。
その猟奇的で究極的な変態プレイにわしは口をあけて唖然としていると、その男はその後数回に渡ってメシに汁をふりかけ続けた。
そんな純粋に変態チックな男とは、
そう、
志村
わし「志村さん、なんで僕のご飯にそんなに汁をかけるプレイに勤しんでいるんだい?」
志村「いや、ご飯に糖分を加えて元気づけてあげようと思ってね。」
そして志村さんは去っていった。
大会中に志村さんと交わしたコミュニケーションは、それだけだった。
わしはただ、なすがままに志村さんに汁、もといお汁粉をかけられたのであった。 |
|
2016 03,07 22:15 |
|
(後半) おかえりスポルト賭けゲームは、ダーツの1投勝負と相成った。各々が1投なげ、点数の一番低い人が負けというルールで行った。 案の定、運動神経抜群のBuzzの面々はサクサク刺していった。わしもかんさんも無難に刺したところで、まず一人、泥酔パーティー確変モードに突入しているともこが脱落した。最後の試技者さっこというところで、なにやらゴニョゴニョ言い始めた。 さっこ「どうしてもやらなきゃいけないんですか・・・?ほんとダーツ苦手で、私が負けても全然おもしろくないのに(以下略)」 今度はわしがブチ切れた。ハスキーズ時代から10年来の付き合いの中で、ゲームに参加しないなどということはあってはならない。その上、このような対外試合の切羽詰った状況でも難なく乗り切れるように、今まで散々身内で練習を積み重ねてきたのではないか。圧倒的なアドバンテージがありながらも弱気なさっこの発言にわしの頭は怒りで沸き立ったが、如来のハートで一度クールダウンさせ、言った。 わし「お投げなさい」 わしの赫怒がさっこに通じたのであろう。さっこは今にも乙女のダイヤモンドをこぼれ落としそうになりながらも、覚悟を決めてスローイングラインへと歩を進めた。さすが我が後輩なのである。 そして、一呼吸置いて、投げた。 矢は吸い込まれるようにダーツボードへと飛び、ボードのど真ん中に垂直に刺さった!と思いきや、なぜか時間を巻き戻したかの如く、刺さるときと真逆に垂直に弾かれた。 さっこ「だから苦手なんだって!私がやってもおもしろくないのになんで(以下略)」 結局さっこvsともこのサドンデスにもつれ込んだものの、さっこは接戦をモノにした。さすが先週出会い系アプリのTinderで出会った極太女子に3万円貢がされたことでお馴染みのパーティーニート・ドリンボ相手に年末年始のおかえりスポルト10連発で無敗で逃げ切っただけの実力があるのである。 そうしたやりとりの末に撮影されたのが、このおかえりスポルトである。 この映像には参加メンバー全員が映っているのだが、みなさんはさっこを見つけることができたであろうか?中には見過ごしてしまった人もいるかもしれない。なぜならさっこはこの期に及んで自らの気配を極力消したいと企んだらしく、ちょうど茶色のセーターを着ていることをいいことに、茶色のカーテンと茶色のソファがちょうど重なる茶色ゾーンにポジショニングし、完全に背景と一体化するという隠密プレイを決め込んでいるのである! そしてさっこは「終電なので帰ります!さよなら!」と、嵐のような勢いで去っていったのだった。 さっこが帰った後、我が変態部屋は部屋の電気が消され、電飾とプロジェクターとロウソクの光だけというムーディーな雰囲気が演出され、清澄イチのダンスホールと化した。 ダンスホールモードの中で、ヘルニアの腰痛はどこにいったとばかりにヘッドバンキングするかんさんがおもむろにダイキにベアハグの要領で持ち上げられ、空中でガクガクと上下に揺さぶられている時のかんさんの恍惚とした表情を、わしは忘れることはないだろう。 (参考:ベアハグ) |
|
2016 03,07 22:14 |
|
(前半) 巷で噂の悲劇のヒロインことかんさんの慰労会が行われた。 先日かんさんが体も心もインジャーしたことに伴い、かんさんを慕う人たちでかんさんを囲んで鍋をしよう、という心温まる企画が提案された。 メンバーは、かんさんと繋がりのある、去年台湾の大会に一緒に出た人たちにまずは声をかけることにした。 結局主賓のかんさんを除けば、わし、さっこ、ともこの計4人という小ぢんまりした鍋パになるはずであった。 しかし当日ふたを開けると・・・。 そこには全部で8人おり、緊急追加された4人はいずれも色が黒くてやたらゴツい、我々草食系庶民とは異なるあからさまに戦闘民族の風格を漂わせるお方たちであった。 何を間違ったか、Buzzのたー、雷人、太陽、だいきが、我が変態部屋に来ていた。(その後いの君が合流して計9人となった。いの君はうちから50mくらいのスーパーの駐車場で4時間ものあいだ車内で寝るという宇宙プレイをはさんで来宅した。) なんでも東南アジアコーディネーターのかんさんに、なんやかんやで今回もコーディネートされてうちにたどり着いたのだという。 かくして、謎のメンバー9人によるかんさん慰労鍋パが始まった。 鍋料理の準備が整うことが待ちきれなくなってしまったかんさんによるフライング乾杯から始まった慰労会は、終始かんさんペースであった。開始2時間ほどでガッチリ出来上がってしまったかんさんはとても上機嫌で、 かんさん「俺は東南アジアでは潰れたことがない!潰れたことがあるのは日本だけだ。」 などというもはや訳のわからない発言も飛び出し、必要以上に慰労されてしまっていることが確認された。 そんなこんなでかんさんを中心に、去年Buzzのメンバーの多くが参加していたマニラスピリッツでの話に花を咲かせていると、どうもさっきからずっと1人いないことに気付いた。 さっこ?? わしは探した。ワンルームの間取りの我が家で、さっこを見つけることは容易かった。 さっこは台所に隠れていた。 わし「さっこも鍋に参加してみんなとトークしようよ?」 さっこ「いいんです!私の居場所はここなんです!!!!」 ????!!! わし「いやいや、さっきから全然食べてないじゃん。みんなとジョインしな・・・」 さっこ「アウェイ過ぎてやばいんです!私のことは気にしないでください!!!」 ??!!! さっこともあろう歴戦の勇士が、何を訳のわからないことを言っているんだ????照れ屋さんのさっこは延々と台所にこもってひたすら野菜を切っていたので、わしは大学時代のパイセンとしてこれからみんなにさっこを売り込み散らかすことを心に決めた。 聞くところによるとBuzzの少年たちにとって人生の師であるさっこは“宮里藍”という事前情報しかなかったみたいなので、ここぞとばかりにさっこの紹介をしてあげることにした。 ・韓国×3、台湾、シンガポール、フィリピン、イタリア×2 等、世界を股にかけて国際大会に出場していること。 ・2014年のイタリアでのクラブ選手権は実はさっこの結婚式の1ヶ月前の大会であったが、相手を気遣って接触プレーを回避したがために無理な体勢で着地してしまい、悲しくも初戦で肘を完全脱臼し地元の病院で治療したこと。そんな大怪我にも関わらず結婚式までに気合で治し、ウェディングドレスはギプスをとって着ることができたこと。 ・この中の誰よりもおかえりスポルトの現場を経験していること。 そんな調子で次々とさっこ紹介をしていく中で、わしは少し調子に乗ってしまった。みんなからハスキーズ時代の映像を見たいというリクエストがあったので120インチスクリーンに「さっこの名プレー集」(←ハスキーズでは追いコンの際に、後輩から各々の名プレー集の映像がプレゼントされるという伝統がある)をぶち上げようとPCのデータを検索し始めた矢先、さっこは光速の速度でわしのパーソナルスペース50cmを一瞬にして侵略し、その距離4cmまで接近して鬼気迫る顔で一言いった。 さっこ「絶対にやめてください。(叩き殺しますよ)」 真正面からの後輩からの宣戦布告に、わしは戦慄した。カッコの部分は実際には口には出していなかったと思われるが、わしの心には確実に聞こえてしまった。わしはあっさりさっこの迫力に負け、惜しくもさっこの超絶プレー集が垂れ流されることは回避された。 |
|
2016 02,05 08:38 |
|
わしがアルティ界で尊敬している人物を3人挙げよと言われたら、真っ先に候補として思い浮かぶ人物として、“かんさん”という男がいる。(通称は“かんちゃん”なのだが、わしは彼を尊敬するがあまり“ちゃん”付けでは失礼と感じ、“さん”付けで呼ばせていただいている。) かんさんは実は今をときめく法政アサマックスの創始者だったりするのだが、国内ではツウな関係者の間では有名であるが、あまり名前を聞かないという人もいるかもしれない。それはなぜかというと、彼の主戦場は東南アジアだからであり、実際彼は年に4回は東南アジアの大会に出ているのではないか。とりわけ韓国にかけて彼の右に出る者は確実にいない。東南アジアにおいてどれくらいかんさんがすごいかというと、一緒に東南アジアの大会に出ると、本当に数多くの選手がかんさんに声をかけてくる。中にはかんさんが光臨することを事前に察知した友人が、貢ぎ物をもってかんさんをたずねてくることがあるほどである。韓国にいたってはほとんど日本よりもホームで、会う人会う人全員ポン友状態である。 そんなかんさんの尊敬すべきところは、東南アジアの大会に出るとき自分だけ良い思いして楽しむのではなく、チームメイトの旅程をパーフェクトコーディネートして、初心者でも東南アジアアルティメットを満喫させてくれる点が挙げられる。その職人的なコーディネート力は身内だけに収まらず、2015年にフィリピンで開催されたマニラスピリッツという大会において、参加した日本代表チームの現地コーディネートをしたのだというのだから、ホンマにすごい男なのである。 しかしながら、ただすごいだけではこの業務日誌には登場できない。 かんさんはすごいだけでなく、悲劇的に運が無いという点において、過去の出演者に並ぶインパクトを残してくれている。その悲運さといったら、実は彼はハード鬼畜プレイマニアなのではないかと疑うほどである。今回はかんさんの悲運に関する、いくつかエピソードを紹介させていただきたい。 1.冷凍かんさん事件@台湾 アルティメッターが100人いたら99.3人が知らないと思われる、Sushiという男がアルティ界に存在する。自らをSushiと名乗る(この時点でアヤシイ香りがプンプン)その男は、過去にドイツを中心としたヨーロッパ地域でアルティを嗜んでいたという経歴を引っさげ、現在は京都は鴨川界隈において鴨川グラビトン・デスブリンガーズというアルティチームを立ち上げ、選手兼監督として部員4人を仕切っているのだという。 とある2015年9月開催された台湾での大会にかんさんと参加したときに一緒のチームになったのが、わしとSushi氏との初対面であった。Sushiはそれはそれは強烈な個性の持ち主であり、たった2日間のトーナメントであるにも関わらず数え切れないほどの業務日誌級のネタを提供してくれたのだが、あまりにキャラが強烈すぎて向こう3年はお腹いっぱいで消化しきれないうえに、たとえ紹介してもほとんどの人が彼のことを知らないことが懸念されたため、夢と希望のALLボツにさせていただいている。 さて、そんなSushiネタの一つに、「Sushiの部屋は冷凍庫事件」というものがある。9月の台湾なので外気は軽く35℃を超えるので宿の部屋では基本冷房をつけていたが、よくわからないアジア製のリミッターの外れた冷房とSushiの組み合わせがよくなかった。自称暑がりなSushiはマシンの極限まで設定温度を下げて部屋に鎮座しておられたのだが、ホテルの廊下を彼の部屋の前まで行くと、比喩ではなく部屋の扉の隙間から白い冷気が噴き出していた。後に判明することだが真夏だというのに室温は10℃だったという。 そんなハード鬼畜プレイ環境の部屋のSushiの相方は、 そう、 かんさん 「やばいよー、こんな凍える部屋で寝たら確実に体壊しちゃうよー」と、若干暗い影を落とした悲壮感漂う微笑を浮かべながら冷気が噴き出している部屋に入ってゆくかんさんを、チームメイトたちは戦地に赴く友人と今生の別れのような、そしておもしろ半分の気持ちで見送ったのであった。 (この件のせいか、翌日の試合後に全ての背筋とわき腹を攣るという現象に見舞われたかんさんは、救護テントにいたまるで内山君のような台湾人デブちんトレーナーに、ほとんどプロレス技のバックブリーカーのようなハードなストレッチを受け、漫☆画太郎を彷彿とさせる絶叫を発していた。 のをわしは隣でニヤニヤしながら見守っていた。)
2.アイソレーション俺 事件 アイソレーションという言葉の意味は、「分離」とか「孤立」といったもので、アルティでもスタックを意図的にずらしてレシーバーが仕掛けるスペースをあけるといったときに使うこともある。 2015年のGAIAカップにて。 富士グラウンドの広い大地に大の字に寝転がり、ジタバタしながらなにやら叫んでいる男がいた。 「いやいやいや、ホントむりだってーー!!」 誰に言っているわけではなく、男はうつろな目をしたまま空に向かって吼えていた。 傍から見たらトチ狂っているとしか思えないこの男、 そう、 かんさん 30歳をとっくに超えた男のその姿があまりにいたたまれなかったわしは、かんさんに話を聞いてあげることにした。 わし「かんさん、そんなに転がって、どうしたんだい?」 かんさん「ハルオちゃんやばいんだよ、助けてよ!GAIAカップに招待されてるアメリカの選手たちを、急遽俺が横浜まで送ることになったんだよ!突然すぎて全然聞いてないよ!しかも彼らを受け入れる人がいつ帰宅するかもわからない状態なんだよ!どうずればいいんだよ!俺は何のドライバーなんだよ!いったい何のプレイなんだよ!まじでアイソレーション俺なんだけど!ハルオちゃん助けてよ!」 わし「ほぅ・・・」 わしはすれ違いざまに脚にすがりついてきたかんさんを華麗にふりほどき、その後決して後ろを振り向くことはなかった。 ↓USA軍団専属ドライバー・かんさん 意外と楽しげ 3.かんさんベンチコート葬 事件 2016年1月中旬。千葉県某所でマスター代表の選考会が行われていた。練習会も含めると約半年間、もはや顔馴染みとなったメンバーでやってきたのが、その日の選考で半分近くのメンバーがいなくなる。そんな状況でもちろん皆生き残るために必死であり、それは必然的にプレーにも現れていた。 いったい何人の怪我人が出ただろう。少しでもスローがマイナスに入ったら容赦なく捨て身でダイブが飛んでくる。しかしレシーバーはそれをわかっていても、覚悟を決めて身を呈してディスクをキャッチしにいく。そして、2人は激突。それはそれは今まで経験したことのないシビアな空間であった。 「ぐはぁ!」 そんな過酷な環境の中でのゲーム中、スタックの中で急に崩れ落ちた男がいた。特に接触はなかったように感じるが、その男は歩くのも困難な様子でインジャリーを宣言した。 その男とは、 そう、 かんさん 息も絶え絶えにサイドラインまで這いつくばってやってきたかんさんは、もうダメポとばかりに大地へと倒れ込んだ。当時とても寒かったので、サイドラインにいた選手たちは気を遣ってかんさんにベンチコート等の上着をかけてあげた。・・・が、いかんせんその数が多すぎたらしい。皆ゲームに集中していたためすぐに戦闘モードに切り替わり、かんさんのことを忘れていた。次にかんさんを見たときは、ゲーム終了後。そこで見たものは。元かんさんがいた場所にはベンチコートが山盛りになっており、もはや外からかんさんの姿を確認することが不可能な状態であった。やばい、窒息する!とばかりにトウモロコシの皮を剥くようにベンチコートをはがしてゆくと、倒れたときと同じ姿勢のままで、悲壮感漂う面持ちのかんさんが現れた。ちなみにとても温かかったらしい。 腰をインジャー(後のMRI検査で椎間板ヘルニアと判明)してピクリとも動けなくなっていたかんさんは、半年間代表を目指して一緒に練習会に参加してきたにも関わらず、一番大事な場面での不運な事故により、リタイアを余儀なくされてしまったのであった。 選考会からしばらくたった日、かんさんから一枚の画像が送られてきた。 物理的な腰の大怪我と共に、代表の選考をリタイアするという強烈な挫折感という心の大怪我。それに追い討ちをかけるようなセルフ肛門開通プレイ。 わしの涙は止まることを知らなかった。 |
|
2015 11,09 18:19 |
|
ふなっしー等のゆるキャラが毎日のようにメディア露出し、なんとなく世間の認識に広まりつつある昨今であるが、身近にゆるキャラになりきれなかった人間がいるのでこの場を借りて紹介させていただきたい。
みなさんは元HUSKIES出身で、学生時代には学生選手権優勝(2006年)の立役者となった伝説の戦士、松田(通称たくちゃん)をご存知だろうか。
松田は学生時代、チームメイトがギャグで求める提案に対して何の躊躇もなく二つ返事のOKをしてしまうため、ヘアスタイルが「adidas」になったりパンチパーマになったりと、その自己犠牲的なパフォーマンスにより話題に事欠かない逸材であった。
そんな、何でも笑って許された古き良き時代。 時は流れ、彼も今年で30歳。
そう、若気の至りも、痛々しくみられるお年頃。
2015年10月のとある日曜の夜、披露宴を南極にワープさせるイリュージョンを得意とするラブマシーン・ドリンボと、松田、そしてわしは新宿の居酒屋に集合していた。わしは数日後に控えたちゃんたまの結婚式の余興を依頼されており、映像編集もので勝負を挑むことにしていた。2人を呼んだのは、その撮影のためである。
ドリンボはちょっと趣向の変わった私服に着替えてハッピーボーイに変身してもらい、撮影を行った。
続いて、松田の番である。
彼には妖怪になってもらう予定であったので、顔面ベタ塗り用の白色顔料と、眉毛塗り用の黒色顔料を用いて変装してもらい、禿げヅラを装着して仕上げさせていただいた。撮影はオールOKの1発撮り、ものの5分で完了することができた。
日曜の午後10時、明日の仕事もあるし(ドリンボ以外)、撮影も終わったし帰ろう!というタイミングで、悪魔の一言が囁かれた。
ドリンボ「ダーツしにいこうよ。」
新宿でダーツ =おかえりスポルト =ウオッカ(我々玄人たちの間では“ボドク”と呼ばれる)700ml
この流れは鉄板であるため、ダーツ屋閉店まであと2時間かつ3人しかいないというこの状況は非常に危険であったが、撮影の打ち上げの意味も込めてダーツ屋に行くことにした。
案の定、その選択は、完全なる失敗であった。
某巨大掲示板にておかえりスポルト映像の最後に飲むボドクは、実は水にすり変えられているといった都市伝説も囁かれているとのことだが、ホントのところ、ストレートのまま一気をすると真面目に生命の危機であるため水で割ったものを一気しているのだが、それまではちゃんとダーツ参加者たちがストレートであけているのである。
日曜日の深夜0時、3人ともぐちゃぐちゃに泥酔していた。
わしはボドクの入りどころが悪かったのか、まさに千鳥足状態で、帰巣本能だけでなんとか帰宅した後の記憶が一切残っていない。当然嫁こと華絵門にパチ切れされたらしいが、幸いなことに何も覚えていない。
ドリンボも同様にぐちゃぐちゃに泥酔したらしく、帰宅までに2回も地球に頭突きををかましたとのこと。
最も悲惨な末路を辿ったのは松田である。
彼も我々同様、ぐちゃぐちゃに泥酔したらしい。しかし泥酔しながらも彼の頭の隅で『俺はちゃっかり午前半休をとってるから、タコ2人とは心の余裕が違うんだよボケ』と思いながらダーツをしていたらしいが、その心の隙が地獄への入り口だったとは、誰も想像できなかった。
松田はダーツ屋から徒歩圏内に住んでおり、なおかつ前半休も取っているため圧倒的に有利な立場であったのだが、翌日目覚めて違和感を覚えたという。
ん?布団の中じゃない?
違和感は続く。
ん?トイレで寝てしまったのかな?
違和感はまだ続く。
ん?家のトイレじゃない???!
そう、彼は結局家までたどり着けず、どこかの公共のトイレに迷い込み、寝てしまったのだという。
空も白やむ前の初秋の早朝をトボトボ歩きながら、HUSKIES内で「負の遺産」だの「クズの親玉」だの言われているパイセン2人のことを本気で恨んだことと思うが、彼の悲劇はこれだけでは済まなかった。
POLICE「ちょっと君。止まりなさい。」
キターーーーーーーーーーーーーーーーー!!!!
なぜ成人年齢を10歳もoverした松田が職務質問されたか?
それは、10月とはいえまだハロウィーンには程遠い10月頭の深夜に、妖怪メイクをガッチリ決めて禿げヅラを装着したまま外を歩いていたら、それは職質されますね!(お巡りさん、ゴメンナサイ。友人の余興準備のためのメイクだったのです。)
それから数日後の10/12、晴れてちゃんたまの結婚式が執り行われた。
そしてその披露宴にて、松田はしっかり妖怪メイクを決め込んで登場し(先日の顔料では色の乗りが悪いからと、わざわざ水性塗料を持参して)、余興の責任をキッチリ果たしたのだとさ。これが、学生選手権を制した究極の漢の責任感である。
弊日誌を購読されている高尚な趣味をお持ちのみなさま、松田を飲み会で見かけたら、ボドクで乾杯!! |
|
2015 10,27 17:14 |
|
2015年10月24、25日の週末、我らが愛のキューピット秘密結社・VegeGriffonsの面々は、静岡県は富士市の富士川緑地に集結していた。チャンピオンズリーグなる全国トップレベルの酒池肉林が展開されるとの情報に食いつき参集したものの、集合したテントのまわりはユニフォームを着た男だらけであった。
話は大会1日目。
風がだいぶ強くなってきた3試合目、我々は北国の強豪バルチックスと史上初の対戦を控えていた。
未知の相手との対戦前、 「190cm級の巨人が何人もいて、ゾーンのカップに360度囲まれてフィールド中央ではまる」 「巨人のノーモーションのサイドロングが100m以上飛ぶ」 「巨人の投げたハンマーの威力が高すぎて地面に刺さったことがあるので、ディフェンスは避けたほうがいい」 など、小心者の我々の中でバルチックスに対するあることないこと情報が錯綜し、ひたすら戦慄していた。
そしていざ試合開始となった。
蓋を開けてみれば、バルチックスは巨人が暴力をふるってくるような野蛮なチームではなく、特にハンドラー陣の技術が高く、強風をものともしないハンドリングに翻弄された。
ベジのディフェンスの戦術は、強風の中でスイング数を増やさせ、難しい打開のスローのミスを誘おうというものであった。
敵陣エンド前で何度も何度もスイングを繰り返させ、遂にその瞬間がやってきた。
ハンド→ミドルへの裏展開のスローが向かい風にあおられ浮き、レシーバーの頭上を越えた。その間にディスクとレシーバーの間に、マンツーでついていた『中国製の雑な大砲』ことランボーが追いつき割って入ったため、後はTOを待つだけという状況になった。
その直後、敵味方関係なく、その試合の全関係者が予想だにしない事件が発生した。
位置関係を再確認すると、敵陣エンド近く(TO後、ベジは縦パス1本でゴールできるくらい)で、ディスクはサイドラインから1mくらい。ランボーがTOを起こすことのできる選択肢としては、以下が予想された。
1.そのままディスクが地面に落ちるのを見守る 2.ディスクとレシーバーの間に体を置いて邪魔する 3.ダイブしてキャッチorカットする 4.手か足でディスクをサイドラインの外に弾き出す
しかしランボーは、常人には無い5番目のオプションを選択した。
ディスクが地面まであと10cmという高さまできたところで、ランボーのゴン太の右足が振りかぶられた。その瞬間わしの中で世界が止まり、ランボーの頭上にキック力のパワーメーターが発生したのが見えた。メーターの針はゼロからグリーンゾーンを超え、イエローゾーンも通り越し、遂にはレッドゾーンに到達した。しかし針はレッドゾーンすらもぶち抜き、未知の領域の「怒」ゾーンにまで達したところで、世界が再開された。
ドゴォォォーーーーーーン
ランボー怒りの右足が振りぬかれた。
方向は、1m先のサイドラインではなく、自陣エンドゾーン方向であった。
ランボーによって蹴り抜かれたディスクは驚異的なスピンがかかったため浮力と推進力が生まれ、更にそれらのパワーは風の力と完全にシンクロし、地上10cmにあったディスクは尋常ならざる軌道で滑空を始めた。
1m、3m、5m
全然落ちない。
10m
まだまだ落ちない。
30m
元気に飛んでいる。既にフィールドの半分のマイナスゲイン
40m
50m
嘘だろ?????!!!
最終的に、ディスクは自陣エンドゾーンの奥のラインを超えていった。推定飛距離、80m。下手なスローオフより確実に飛んでいた。
アルティメットという競技において、1つのTO、そして1つのブレイクを奪うことが、どれだけ遠く難しいことか・・・。サイドラインのベジとバルチックスの面々は互いに目を見合わせ、妙に納得したように頷きあったのであった。 |
|
2015 10,26 21:22 |
|
2015年10月24、25日の週末、我らが爽やか総合レクリエーションサークル・VegeGriffonsの面々は、静岡県は富士市の富士川緑地に集結していた。チャンピオンズリーグなる全国規模のパーティーがあるとの偽情報に踊らされ参集したものの、蓋を開けてみれば早朝からゴリゴリ走らされるお仕置きが待ち構えていた。
話は大会2日目。
前日夜からチームに合流したマコン☆君(気付けばヱロス倶楽部会員8年目。所属当初の肩書きは「日体のトレーニング研究会からのお試しトレーナー」だったのが、今では「整骨院の院長」とは感慨深い。「当時:慶應ボーイ」→「現在:リアルガチニート」のドリンボとは正反対の進化なのである。)がアップの音頭をとってくれた。
以前からマコン☆君のアップのメニューには「鬼ごっこ」というものがあり、その日も懐かしの鬼ごっこが行われることになった。
ベジの鬼ごっこだからといって何も特別な鬼畜ルールがあるわけではなく、エンドゾーン内に全員が入り、その内のディスクを持った3人が鬼であり、ディスクでタッチされたら鬼になる、という単純なものである。時間内に何回鬼になったかによって敗者が決められ、マコン☆君のサジ加減で罰走等のペナルティーが課せられる。
いつもと変わらず、鬼ごっこが始まった。制限時間は3分だっただろうか。
鬼の基本戦術は2,3人でエンドゾーンの角に追いやりジリジリと距離を縮め、覚悟を決めて一斉に逃げ出す獲物の中で、遅そうな奴に狙いを定め戦闘機のドッグファイトばりのチェイスを繰り広げ、気合で追いついてタッチするというパターンである。しかし獲物の連中も鬼から逃げることに必死で学習するようになり、究極的には集団で仲間の1人を押さえつけて鬼に差し出すという「生贄プレイ」も見受けられた。仲間に押さえつけられてギャーギャー言っていたのは、当然のごとく世界のコースケ先生であった。(生贄プレイがもはや走って体を温めるという目的から外れていることには、幸せなことに誰も気付いていない。)
そんな平均年齢30歳の鬼ごっこにも真面目に取り組んでいたわしは、鬼から逃げるべく五感を研ぎ澄ませ、目の前に迫る鬼との距離感を計りつつ、背後から突然襲われないよう耳も済ませて注意していた。
すると右45度の前方で、なにやら「ブチブチ!ドサッ!」という、鬼ごっこの最中に聞こえるはずのない音が聞こえた気がしたので、すわ!!っとばかりに顔を向けて目視した。
するとそこには、和やかパーティームードのアップ中にはあるまじき、一つの笑顔の要素の欠片もない苦悶の表情を浮かべた、まるで阿部寛のように顔の濃いover30の男が、足首を抑えて転げまわっていた。
その男とは、 そう、 尾中部長(黄金の83世代)
目の前の鬼から逃げるべく全力で一歩踏み出しただけの動作で、どうやら彼は足首を激しく捻挫したらしい。しばらく転げまわって痛みも収まってきたらしく、自力でトボトボ救護へと歩いてゆくその背中は、まさに哀愁そのものであった。彼の周りだけ、確実に世界がセピア色であった。
そんな鬱陶しい自爆事件も一段落し、鬼ごっこが再開された。当然わしは気持ちをさっぱり切り替え、鬼から逃げるべく五感を研ぎ澄ませ、目の前に迫る鬼との距離感を計りつつ、背後から突然襲われないよう耳も済ませて注意していた。
すると今度は左75度後方で、なにやら「ぐわぁ!!!」という、鬼ごっこの最中に聞こえるはずのない叫び声が聞こえた気がしたので、何奴!!っとばかりに顔を向けて目視した。
するとそこには、以前小岩でのデスボックス事件のデジャブが繰り広げられており、ピクリとも動かずに横たわり、大地の一部と化している男がいた。
その男とは、 そう、 じんぼ(夢と希望の83世代)
獲物であった彼は、姿勢を低くして全力でダッシュしようとした矢先に、鬼か仲間かわからないヒラモトが同じくラグビータックル張りの低姿勢で真横から突っ込んできたらしく、ヒラモトの肩がじんぼの顎をカチ上げた形になり、脳震盪の要領でしかばねプレイの世界に逝ってしまわれたのだという。
たった3分の鬼ごっこで、今日もまた2人の漢たちが殉職したのであった。 |
|
2015 09,07 17:14 |
|
LA3日目。いよいよUSAUの南カリフォルニア地区予選初日を迎えた。
LAから東に位置する、大会会場であるリバーサイドの日差しは朝からジリジリと、肌を焦がすような暑さであった。
前日に参加したサンタモニカのピックアップにいたオヤジも言っていた。
オヤジ「リバーサイド地区はサンタモニカより暑い。おそらく華氏105度はいくから、体調にはくれぐれも気をつけることじゃ。」
華氏105度??
…わからない。。。
とりあえずやばそうな数値だったので摂氏に変換するのは後回しにして現地へ向かった。リバーサイドは宿から車で1時間ちょっとのところだったのだが、初日の件もあったのでドライバーはわしに代わっていた。早朝の西海岸のフリーウェイは強烈な朝の日差しでもはやレーンが見えないほどであったが、わしは国内のゲーセンにてかのレースゲームの名作「スリルドライブ」の西海岸ステージを完コピしていたため、難なく運転をこなすことができた。何ならゲームでは橋の手前からポリスに追われてカーチェイスするというシチュエーションもあったためそこまで想定していたが、そこまで現実はゲームに忠実ではなかった。
初戦が始まった。体内ラジエーターがポンコツのわしは、開始15分の長いターンで既にオーバヒートしてしまい、目の前がピカピカ光ってあっさりと光の世界に行ってしまった。帰ってこれたときには既に2試合目が始まろうとしていた。orz
2試合目からの3連戦は全てユニバースポイントまでもつれたが、わしの伝家の宝刀「自陣エンド前のオープン刺し」が炸裂したこともあり、全敗してしまった。ロスでこんなにしにたくなることがあるだろうかというほど落ち込んだ。
宿への帰り道、わしがしょぼくれて運転を拒否していたら、献身的に運転を申し出てくれた人がいた。
その献身的な人物とは、 そう、 えっつん
先日のフリーウェイの中央分離帯突破事件があったものの、さすがに交通量の少ない会場から宿までの道のりは大丈夫だろうと、誰しもが油断していた。
駐車場は、アメリカらしく丸太をそのまま横たえるような形で前後の車間が仕切られており、我々の車は仕切りに向かって頭から駐車していた。
えっつんの豪腕が唸りを上げた。
ガガガッと小気味よくシフトレバーが“P”から“D”に叩き込まれた。
“D”だと??!!!!!
わし「えっつんちょっと待った、車の目の前には丸太が・・・」
わしの必死の訴えも、時既に遅し。
ゴリゴリゴリ!! という破壊音とともに、車は目の前の丸太に乗り上げた。
それ以降、LAでえっつんが運転することはなかったとさ。 |
|
2015 08,28 18:22 |
|
2015年8月27日。ひょんなツテから全米アルティ選手権の南カリフォフニア予選に参加することになっていたわしと華絵門は、業務からの帰宅後、一路アメリカはロサンゼルスへと飛び立った。
デバイスの鬼こと華絵門のナビゲーションのおかげで、ほぼ旅行会社のツアーに参加しているかのような感覚でフラフラと前に進んでいたら、いつのまにかロサンゼルス空港の入国ゲートをくぐっていた。それくらい順調なアメリカアルティ紀行の滑り出しであった。
ロサンゼルスには現ノマでハスキーズの先輩であるしみさんと、えびのえっつんが前日に到着してレンタカーを借りていてくれており、2人は我々を空港まで迎えにきてくれた。2人と合流して駐車場まで歩く途中昨日あったことを色々話してくれたのだがその中でサラッと話されたエピソードの中に、ひときわわしの心に留まる一言があった。
しみさん「えっつんが運転してくれたんだけど、ハリウッドあたりの駐車場で少しぶつけて、バンパーの塗装が剥げる以上のダメージは負っているんだよねー」
ん?レンタルして半日程度で既に事故っている????
心に一抹の不安を抱えたまま、えっつんがドライバー席に座る車の後部座席に入った。
空港近くからフリーウェイにのり、当日の宿のあるシルバーレイクへと向かった。ロス近郊のフリーウェイは片道最大5車線もあり、更に夜10時だというのに首都高並みの交通量があり、アメリカでの運転初心者にはかなりハードルが高そうな状況であった。
とある分岐点で、本来は直進しなければならないところ、一番右の車線にいたがために強制右折レーンに入ってしまうというトラップに遭遇した。やばいやばいと慌てる車内であったが、さすが年長者のしみさんはすかさずフォローを入れた。
しみさん「お、このまま一番左の車線を直進すればもとの車線に戻れるみたいだから、このまま進めばいいみたいだよ。」
車内一同、特にロスなく戻れることがわかり、ほっとした。
矢先、えっつんの豪腕が唸りをあげた。
我々の車は一番左の車線にいたのだが、確実にハンドルは左に切られていた。
?????!!!!
ドゴォォンという脳が揺れるよう衝撃と共に、視界が少し高く、そして斜めになった気がした。
今、我々は、中央分離帯の上を走っている?????
車は再度ドゴォォンという衝撃とともに、道路に戻ってきた。
そこは、当初直線すべきフリーウェイの車線であった。
ロサンゼルス時間2015年8月28深夜2時、私は無事にこの日記が書けていることに感謝すると共に、残り数日の旅で消炭となってしまったときのための遺書としての意味も込めて、この記録を残させていただきたい。 |
|
2015 08,24 19:20 |
|
2015年8月。観測史上最も暑かった夏。そんな、一般市民にとっては生命を脅かされるような猛暑の中、我々パーティー斡旋専門慈善事業団体VegeGriffonsは、己の鍛錬のため真面目に週末の練習を続けていた。
チャンピオンズリーグ・シングルスターのベスト8を目指す誇り高き12人の戦士が集った8月22日の練習@小岩でのこと。
そこはもはや単なるスポーツの練習場ではなく、殺らねば殺られるという過酷な戦場と化した。
今シーズンのキャプテンは、練習に励む戦士の昼食をあさって勝手に食い、怪我のため見学しかしてないのに練習後のサプリメントだけはキッチリ摂取することでお馴染みの食いしんボーイ・トノイケが務めているが、その練習メニューは凄惨さを極めている。
中でも特に悪名高いのが、通称「デスボックス」と呼ばれる、猛暑日の中で良い子は絶対にやるべきではない無酸素運動の練習である。
デスボックスはどのような内容なのかというと、ホットボックスのゴールが無いバージョンと言えばイメージがつきやすいだろうか。約10m×10mの四角の中で、オフェンスディフェンスで3対3に分かれ、オフェンスはとにかく制限時間2分はオフェンスをし続ける。スペースが狭いうえにストーリングカウントは5までなので、TOが起きやすいという状況の中、いかにオフェンスはしぶとくディスクを生かし続けるか、という趣旨の練習である。チーム対抗戦であり、オフェンス時のTOが多いチームが負けとなり、デスボックス練が終わったら罰走させられる点も、デスボックスが悪名高い一つの理由である。
そして、デスボックスが始まった。いつも通り、きついきついと言いながらもみんな笑顔で終わるはずだった。
しかしいつもと違う、異分子が1つ紛れていることに、まだ誰も気づいていなかった。
その異分子とは、 そう、 ランボー
奴はピンクのハイソックスに真っ赤な短パン、そして目の眩むような蛍光オレンジのユニに身を包み、それだけでは飽き足らず、頭にはオレンジのバンダナをしばきあげていた。
「ぐわあ!!!!!!!!!」
普段の練習ではなかなか聞かない、肉体と肉体が激突するような鈍い音とともに、声にもならないような叫び声があがった。
何だどうした?!!とばかりにデスボックスの中を見ると、その空間には3対3なので本来計6人いなければならないはずなのに、どう数えても5人しかいない。あと一人はどこに行った?!!と辺りを見渡すと、ピクリとも動かなくなった戦士が地面に転がり、大地の一部と化していた。
我らが1983世代の期待のホープ、じんぼだった。
「大丈夫か!?」
と話しかけても、脳内に「返事がない。ただのしかばねのようだ・・・」というメッセージが返ってくるだけで、負傷したじんぼはしばらくの間しかばねプレイを続けていた。
しばらくして復活した後のじんぼ談によると、カウントが詰まったのでなんとかもらおうとダンプに走ったところ、片方の足の甲を2人のディフェンダーに同時に踏み抜かれたのだと言う。
なんという人口密度!!!!!!
スローワー以外のディフェンス2人に同時に踏まれたということは、ほぼ6人が半径1m以内に密集していたと思われるくらいの狭さである。恐るべし、デスボックス。
事故の瞬間、なにやら目がチカチカするような蛍光色がじんぼの近くにいたような・・・。気のせいだろうか。
じんぼ 殉職
それでも俺たちエクストリーム集団は練習をやめない。次の対戦の目玉は、オフェンス・コースケ先生vsディフェンス・ランボー。いやがおうにも期待が膨らむ。
コースケ「ぎゃーーー!!!」
デスボックスを開始して20秒、ディスクと全く関係ないところで、ランボーと激しく接触したコースケ先生が地面を転がった。しかし気丈にもすぐに立ち上がり、プレーを再開!
コースケ「ぎゃーーーーーーー!!!」
一度目のダウンから15秒後、またしてもランボーの肉壁に果敢に突入したコースケ先生はゴミくずのように跳ね飛ばされ、2度目のダウン!しかしまだ戦意は喪失しておらず、すぐに立ち直りプレー再開!!
コースケ「いてぇぇぇぇぇ!!!!!!」
更に15秒後、ランボー曰く「もともと腕を出していたところに勝手に突っ込んできただけ」のコースケ先生が1分ちょっとの間に3度目のダウン!!!フィールド内で見事なorzを描き続けているコースケ先生はさすがにKOだろうと察した外野が止めに入り、選手交代を勧めたところで、コースケ先生が吼えた。
コースケ「インジャーって言ってねぇんだから、代わんねーよ!!!!!!」
逆ギレーー!!!!!!!!!!???
ドバイでの経験は、こんなにもコースケ先生のハートを成長させたのか・・・。わしは涙が止まらなかった。
ちなみにその日の練習だけで、実に5人の戦士が殉職と相成った。 |
|
2015 06,30 18:06 |
|
あれはいつのことだったであろうか。3年くらい前だっただろうか。
俺たちアナーキー総合レクリエーション集団VegeGriffonsは、高校野球のエリート校よりも激烈な練習やトレーニングを行うことでトンガあたりでは有名であるが、過酷な練習を続けていたわしのボディはある日の練習始めの軽いミートで遂に悲鳴をあげた。久々に急に動いたことによる、モモ裏の軽い肉離れであった。
チームメイトにどこかオススメの整骨院はないか聞いたところ、あの男が提案してきた。
ドリンボ「東中野にいいとこ知ってるよ」
普通の会話だった。整骨院の場所が、奴がバキバキのニートであるにも関わらず夜な夜な徘徊している裏歌舞伎町とかだったらビンビンに警戒していたところだが、予想外に健全そうな土地が提案されたので、対ドリンボの歴戦の勇であるわしともあろうものがつい気を許してしまった。後に恐ろしい心霊現象を体験することになろうとは、この時は知る由もない。
ある日の夜、わしは東中野でドリンボとシーメーしがてら、整骨院に案内してもらうことにした。翌日の業務の心配など皆無のドリンボはステーキだか焼肉だかをバクバク食べ、ビールをゴブゴブ飲み、それはそれは脂ギッシュにコーティングされていた。そうそう、東中野はドリンボのホームである。
シーメー後、お目当ての整骨院に案内してもらった。そこは、大々的に広告されているようなお店ではなく、マンションの一室で個人がやっているようなお店であった。夜ということもあり不気味さの拭えないシチュエーションであるが、せっかくその場所まで案内してもらったということもあるので、受診してみることにした。
お店に入ると、施術士らしきおじさんが一人いた。ドリンボは通いなれているらしく簡単にトークしていた。前にお客さんはいなかったので、わしはすぐにカーテンで仕切られた施術台に通された。
施術台は一般的なもので、うつ伏せに寝たときにちょうど顔の場所に筒状の空洞が通っており、呼吸がしやすい形状になっていた。
施術が始まり、患部に電気を流したり、触診が行われた。続いてストレッチが始まった。台にうつ伏せになり、目を閉じて痛みを我慢していると、ふとある異変を感じたような気がした。
?? 急に、ギョウザみたいなニオイがしたような??
気のせいだろうと思ってスルーしていた矢先、見逃すことのできない異変が起こった。
ハァァァァーーーーーーーーーーー・・・
ギョウザのようなニオイと共に、生ぬるい風を顔面に感じた。
最悪のシチュエーションだった。密室で施術士のおっちゃんは何ら変わらずストレッチを続けているのに、自分だけ理解不能な異変を感じ取っている・・・。
これが霊感なのか・・・。
だとすると、自分の顔の先に何か存在していた場合、目をあけると見えてしまう・・・。恐ろしくて目をあけたくないが、異変がニオイだけでなくなったら、もっとやばい状況になってしまうかもしれない・・・。
目をあけるしかない・・・!
恐る恐る、目をあけた。
施術台の筒状の穴の先に見えたのは、
そう、
ドリンボ
奴はどこから侵入してきたのか施術台の下にもぐりこんで地面に仰向けに寝そべっており、脂でコテコテにコーティングされたニヤニヤした顔面の口をすぼませ、台でうつ伏せになっているわし目掛けてフーフー息を送り込んできていた!
心霊現象でないことがわかったから一安心なものの、この拷問のような状況は異常にもほどがある!というかおっちゃんはストレッチを続けてないで一刻も早くドリンボを排除すべきではないか!
当然その日の治療の効果は芳しいものではなく、ただただわしは心に傷を負って家路についたのでった・・・。 |
|
2015 06,12 21:05 |
|
とある柴又での練習試合中のこと。
相手チームがTOを起こし速攻を試みる、我らがサイドラインの覇者・VegeGriffons。自慢の手羽先ダッシュ(推定50m/8秒)で奥に走りながら、あの男が叫んだ。
ドリンボ「何でロング投げないんだよ!ミスマッチだろ!!」
ここは図書館なのかと勘違いするほど、あたりが静まり返った。
ドリンボのディフェンスについていたのは、サイドラインの帝王・コースケでも、メシ泥棒・トノイケでも、乙女のダイヤモンド製造機・さっこでもない。
Buzzの芝選手であった。
手羽先ダッシュで奥に走るドリンボにピタピタについている芝の顔からは、明らかに呆れの表情が見てとれた。もしシュートがうたれていたら、800%カットして差し上げたよっ、というお顔である。あたりまえである。片や手羽先ダッシュ、ヤクルトジャンプ、住宅ローン35年のニートと、片や走攻守全ての能力が備わりちらかしているワールドゲームス日本代表である。ホモサピエンスとしての規格が違いすぎる。そして、日々の鍛錬の差がありすぎる。
幸いなことに、同じ試合中に逆のシチュエーションが発生した。オフェンス芝vsディフェンスドリンボ。奥に走る芝!必死に追いかけるドリンボ!
まるで片方は止まっているのではないかと感じられるほどの信じられないペースで引き離され、ノープレッシャーで芝選手はロングをキャッチしたのであった。
完敗したドリンボは、珍しく相手を褒め称えた。
ドリンボ「シュートが良かった。」
その常軌を超えた負け惜しみが放たれた瞬間、芝選手の口元があやしくにやけたように感じたが、果たして気のせいだっただろうか。試合後、それが気のせいだけだったのか、判明することになる。
練習試合が終わったVegeGriffonsは荷物のあたりで帰りの準備を始めていた。そこにわざわざ芝選手がやってきた。なんだろう、来週のパーティーにジョインさせてもらいたくて来たのかな?と思っていると、微笑みと共に彼は言った。
芝「ドリンボさん、ちょっと上競り練しませんか?いつも練習相手やってくれてる若手が怪我しちゃって、相手を探してるんですよ。」
事実上の宣戦布告に、びっくりしたハムスターが停止するかの如く、苦悶の表情と共に動きを止めるドリンボ。それに対し、邪悪な微笑みを絶やさず、あくまでも低姿勢にお願いをする芝。わしにはその姿が、オレンジのボーダーこそ着てはいないものの、のび太君を撲殺する前のジャイアンにしか見えなかった。
そして始まった。
血塗られた 柴又の公開処刑。
Buzzダイキの投げるいちいちスウィートなスローが飛んでいる間の地上で、競り合いという大義名分のもとにどつきまわされ続けるドリンボ。
約10本の上競り練と称した折檻をこれでもか喰らったドリンボは、遂に一度も彼からディスクを奪取することなく、白旗をあげたのであった。
グラウンドからバス停まで、ほとんど怪我人のように両足を引きずってトボトボ歩くドリンボの背中は、その時ばかりはおじいちゃんのように小さく見えたとか。 |
|
2015 06,10 19:00 |
|
2015年6月6日の土曜日、総合エンターテイメント提供サークルVegeGriffonsは、全日本選手権東日本予選の初日のリーグで、わしの直属の後輩であるハスキーズにブチのめされ、パーティーのパの字も感じさせない静かな夜を迎えていた。
早々に夕飯を済ませ、誰一人お酒を飲むことなく、ミーティングが始まった。
平均年齢30歳の男たち18人が部屋の壁際に一同に集ったミーティングは、悲壮感が漂っていた。
これまで続いてきた幸運なリーグの組み合わせを除いた東日本での潜在的な推定ランキング63位のVegeGriffonsは、翌日の初戦で名門BOMBERSとの対戦が決まっており、本戦のためには必勝であるためことさら入念に対策が練られていた。
BOMBERSハンド陣の得意プレーである先出しオープンをいかに止めるかといった一般的な戦術確認から、肉体凶器のJがスローオフチェックの際に全速力で梅君に突っ込んで轢き殺すプランや、猪突猛進野郎・ランボーがドサクサに紛れてユウイチの延髄にラグビー仕込みのハイタックルをブチかますプランなど、様々なセットプレーが検討されていたが、どうにも決定打に欠けていた。
うーむ、どうしたものか。
そんな、議論が煮詰まっていたところに、ガチャ、と部屋の扉が開く音とともに、一人の男が入ってきた。
その男とは、
我らが華のヤスオ世代もとい1983世代のガボンであった。 ガボンの後ろには1人の少年がついてきていた。少年はようやく歩けるようになったばかり(2才くらい?)のガボンの次男、カンジロウ君であった。
カンジロウ君が部屋に入ってきた途端、ふんわりにおいが漂ってきた気がしたところに、ガボンがフォローを入れた。
ガボン「カンジロウは(おむつに)ウ○コをしてるから、臭いかもしれん。」
よく見るとカンジロウ君の履くズボンのオシリの部分は、不自然に膨らんでいるようであった。ウ○コをつけたまま歩いてるなんて痒そうだなぁなんて漠然と思っていると、急にカンジロウ君を抱っこしてあやし始めた男がいた。
その男とは、 そう、 ドリンボ
最初は普通に抱っこしてあやしていたのだが、途中から急にカンジロウ君の背中側から両脇に手を差し込み、後ろ向きの抱っこスタイルに変えた。
そして、そこにいる誰もが予想だにしないことを発言した。
ドリンボ「ほんとうに、クサいのかな~~???」
ドリンボは後ろ向き抱っこスタイルのカンジロウ君を更に持ち上げ、パンパンに膨らんだオシリに顔を近づけていった。
あまりの予想外の行動に、オシリとドリンボの顔面の接近がスローモーションのように目に映る。そして数刻の後、カンジロウ君のオシリとドリンボの顔面がゼロ距離になった。
ドリンボ「くせーーーーーーーーー!!!!!」
抱っこされたカンジロウ君がびっくりして飛び上がって泣き始めるほどの音量で叫び、のたうちまわるドリンボ。昭和も初期のほう、下手したら戦前においても古いと感じられるような古典的なリアクション芸が繰り出された。
それでこの件は終わりでいいのに、心無いメンバーが言った。
「さすがに嘘でしょ。ハルオが確認してみればいいじゃん。」
いいわけがない。 正常な思考があれば、カンジロウ君のパンパンのオシリの中に何が詰まっているのか、そしてそれがどんなカオリがするのか、想像に難くない。
いやいやいや、と拒否するわしのほうに、メンバーに抱えられたカンジロウ君がこちらに背を向けたまま空中浮遊してくる。
次第にわしの視界はカンジロウ君で埋まり、そしてオシリだけになってゆく。
そしてオシリが鼻先5cmまで近づく。
・・・くさくない。
2cmまで近づく。
・・・あれ、くさくない?ただのドリンボの狂言だったのか?
0cmまで近づく。
・・・くせーーーーーーーー!!!!!!!!
あたりまえのことなのである。ウン○を至近距離で嗅いでいるのである。どんなニオイがしたかって?それは当然ウ○コの匂いなのである!!!
ミーティング中に安い騒動に巻き込まれた我々からは、それまで対BOMBERSのために考え抜いた作戦がほとんど飛んでしまっていた。
そして翌日、我々はBOMBERSにサドンデスの末に敗戦し、本戦への道のりが絶たれたのであった・・・ |
|
2015 06,08 14:37 |
|
2015年6月6,7日の土日に、アルティ全日本選手権の東日本予選が開催された。わしは総合パーティーサークル・ベジグリフォンズのメンバーとして参加していた。
チームの円陣の中で、ディフェンスコーディネーターのコースケが一通りの戦術確認をした後、続けてコースケのシャウトが試合会場に轟いた。
コースケ「さあ、最初からまくっていこう!!!」
エクスタシーすら感じられるドヤ顔で、あたかもスポーツものの少年漫画ようなテンションで言い放ったキメゼリフであったが、彼の意図に反してなぜかチームのメンバーは盛り上がることなくザワつき、確実にチームの心を一つにすることに失敗していた。
なぜならそのセリフが言い放たれたのが得点ビハインドの後半開始前ではなく、試合途中のタイムアウト終了前でもなく、
前半すら始まっていない、試合前だったから・・・ |
|
2015 05,28 18:18 |
|
華絵門「なんでこんなものがうちに置いてあるんだよ!!!!」
普段温厚な人が怒ると怖さは倍増であることは想像がつくかと思われる。嫁こと華絵門も、普段は感情を表に出すタイプではないのだが、そのときばかりは、ブチ切れた。
わしは華絵門には秘密で、下駄箱の中にそっと隠していたものがあった。
隠していたものとは、 そう、 ドリンボのスパイク
ひょんなことからある日の練習後の罰ゲームでドリンボのスパイクを持ち帰らなければいけなくなってしまったのだが、小心者のわしはどうしても華絵門にそれを打ち明けることができず、しれっと家の下駄箱の隅の方に入れていた。
数日は気付かれずに済んだ。
しかしふとしたきっかけで華絵門が下駄箱の扉をあけた瞬間、ただならぬ臭いが内部から漏れ出てきた。何事?!とばかりに臭いの元を探った結果、いつもは無い薄汚れた袋が置いてあることを発見し、中をあけたら悪臭の根源であるドリンボのスパイクが入っていたのである。 (ドリンボの足臭は、学生時代、ハスキーズの後輩に練習後のドリンボの素足を至近距離で一思いに嗅がせるという拷問を行った際、「ケンタさんの足臭、嗅いだだけなのに、味がする」と言わしめたほどシロモノである)
華絵門に、すぐに捨てる、もしくは臭い対策を講じるよう命じられたわしは、とある日の昼休みに、心の友である(はず)のベジのメンバーに消臭に関する知恵を求めた。
コースケ「煮沸」
志村「確かキムチに消臭作用があるとかないとか」
春本「生ゴミにぶちこみましょう」
ガボン「東北のほうに核廃棄物の中間貯蔵施設があるよ」
様々な知恵を授けてくれたメンバーに感謝しつつ、わしは帰宅後にスパイクの消臭作業を血行することにした。
帰宅後、意を決して華絵門にこれから消臭を試みることを伝えると、心強いことに加勢してくれることになった。
臭いの元はドリ菌であるとあたりをつけ、コースケの提案どおり基本的に雑菌は熱に弱いはずであるので、加熱することにした。
わしはカメラを構え、華絵門がスイッチをひねると同時にスパイクを投下した。
一瞬プラスチックが溶けるような臭いがしたが、ドリ菌が死滅したようには感じられない。再び現状をベジのメンバーに相談すると、数秒のうちに的確な回答が返ってきた。
トミオカ「逆!」
確かに!!!
スパイクの裏よりも、内部のほうがドリ菌が繁殖しているに違いない!再び先ほどと同様、わしがカメラを構え、華絵門がスイッチをひねり、再度スパイクを投下した。 するとどうだろう、先ほどとは打って変わって、ドリ菌が断末魔の叫びをあげるが如く、火が青から黄色に変色しているではないか!しかしそれと同時に、猛烈なガスが台所に充満し、スパイクより高い体勢にあった華絵門はドリガスをもろに吸い込んでしまったため、猛烈に咳き込んでしまった。しかし命を落とすほどの攻撃力は残っておらず、しばらくすると収まってくれたので胸をなでおろした。
こうしてスパイクを火あぶりすることで消臭の目的は達成され、わが家には平和が訪れたのであった。 |
|
2015 05,12 18:08 |
|
ベジ・サムライ・スピリッツ・ヒートヘイズの4チーム合同大阪合宿の夜の部の話。
日曜日の練習を終えた後、わしは志村氏のお宅にお邪魔し、泊めてもらうことになっていた。わしの他にも、先日行われた済州島トーナメントの打ち上げを行うとのことで、関西女子チームのバディーズからはマイコ、カヨ、スピリッツからは志村氏、サムライからはタクヤ、スグル、エロ紳士シンタ、別に打ち上げとは関係ないがベジからはトノイケ、トミオカが集結した。
打ち上げは阪急電鉄岡本駅近くの居酒屋で行われたのだが、いかんせんわしを含めたベジの3人が初対面の人が多く、せっかくの打ち上げなのにギクシャクした滑り出しとなった。しかし俺たち、アルティとお酒あればみんなトモダチさっ!ということで、時間が経つにつれ皆の本性が現れ始めトークも弾んできた。しかし対人コミュニケーション能力が小3レベルのわしは部屋の隅で置き物のように息を潜め、人間観察を決め込んだ。
カヨの炸裂させるなぜかいやらしさを感じない下ネタに対して、ギンギンに生々しい下ネタを謎に紳士的な風格で飄々と返すエロ紳士シンタ。なぜか急にLINEゲームのポコパンをプレーし、タクヤの頼んだコーラを横取りして競うように一気飲みし続けるカヨとスグル。トノイケの一挙手一投足に対して生理的に無理と糾弾するカヨとマイコ。(カヨの出現率高すぎ)
済州島のトーナメントで優勝するという華々しい思い出を共有した彼らに対し、ドタ参のベジ3人といえば、初対面の人たちから「くちびるオバケ」と呼ばれるトミオカ、何をしても生理的に拒絶されるトノイケ、ただ空気のように部屋の隅に座るわし。思い返せば涙が出てくる構図であった。
が、我らがベジの主戦場のパーティー空間において、このまま引き下がるわけにはいかない。
様々な手段を一気にスッ飛ばして、トノイケが切り札を切った。
トノイケ「ハルオさんがボイトレやってるって、知ってます?」
それは確かに話題提供には効果的な一撃であるが、間違いなく大きな代償を伴うカードである。全ての代償はわしに降り注ぎ、皆の望む形で清算しなければ解放されない、ほとんど自爆テロのようなものである。どう考えても軽い気持ちで切ってはいけないカードである。
わしがボイトレを始めたのは3年前。日常生活に支障をきたすほど歌がヘタなのであるが、何かの弾みでカラオケに行かなければいかなくなってしまった場合、パーティーサークルベジグリフォンズの構成員として「僕は歌えません」では済まされないため、人並みに歌えるようになりたいという切実な願いから、道場の門を叩いたのである。しかし完全シークレットで教室に通っていたある日、全く予想だにしない形で世間に知られることになる。それは、自分の結婚式二次会である。幹事と華絵門が結託し、わしが教室に通うところから教室でトレーニングを受けている姿の一部始終を動画で盗撮され、あろうことか参加者120人の前で垂れ流されたのである。わしの人生で、あれほどの鬼畜サプライズは経験したことがなく、まさに羞恥地獄であった。それからというもの、何かと歌えという雑なフリを受けることが多いのだが、リアルガチ生き地獄であることを忘れないでいただきたい。
そんな経緯があるにも関わらず、知り合ってまだ数ヶ月しか経っていないトノイケは、極めてぞんざいなことにそのカードを投下したのである。打ち上げにきたメンバーたちはざわめいた。部屋の隅でむっつりしていた男がボイトレに通っているという事実がバレれば、ひといじりくらいはしたくなるものなのであろう。飲み会のあとカラオケに行こうという声が聞こえたりして、わしはまさに穴があれば入りたい心持ちであった。
そんなざわめきの中、これまで誰よりも存在感を消し、わしと同じく部屋の隅に鎮座していた男がなにやらもぞもぞと動き始めた。どこぞの南米地方の孤島にそびえ立つ石像風の置き物かと思っていたら、志村氏であった。トノイケがカードを投下した途端、彼は急に目を輝かせ、スマホをバチバチ操作し始めた。向かい側に座るわしには彼が何を企んでスマホを操作しているのか皆目見当がつかなかったが、すぐにそれは披露された。
志村「YoutubeにTrue Love(藤井フミヤの歌で今年のわしの課題曲)のカラオケがあるよー」
究極のドヤ顔でスマホの音量を上げ、Youtubeが再生される画面を見せてくる志村氏。
た、叩き殺してやりてぇ・・・!!!!!!!
志村氏による、良識ある人間には決してあるまじきハード鬼畜プレイにわしは卒倒寸前であったが、すでにカラオケの伴奏が始まってしまっている。そして、そこにいる皆がこっちを見ている。「振り返ると・・・」の歌い出しまであと5秒。
わしは頭をフル回転させて考えた。何かこの羞恥プレイから抜け出せる術はないものか・・・。
なかった。
わしはうまくもないTrue Loveを居酒屋の個室で歌わされた。その歌声をきいて皆哀れみの視線で見つめてくれていたが、その中で圧倒的にニヤニヤしていた志村氏には殺害願望しか抱かなかった。
しかしそんなフミヤにかけらも及ばない下手くそなTrue Loveが垂れ流される中、何かが心の琴線に触れてしまったのか、初対面であるはずのトミオカとスグルが唇を覆いかぶせるようなディープなキスをしてリアルTrue Loveをおっ始めていたので、彼らはデキているに違いない。 |
|
2015 05,11 20:41 |
|
2015年5月2,3日、我らがベジグリフォンズは、関東からはサムライ、関西からはヒートヘイズ、スピリッツとの合同合宿のため、大阪は堺市にある〝海とのふれあい広場公園(以下、広場)〟へと向かった。
関東から参加するサムライとベジにとっては土曜日の午前9時に広場に集合するのは一つの試練なのであるが、健全な思考を持ったサムライのメンバーは当然新幹線で大阪まで来たとのことであるが、我らがベジのメンバーにはその当たり前の選択肢を持っている者はおらず、全員が夜行バスか車に乗り合わせを選ぶという時点でマイナスからのスタートとなった。渋谷から出発して8時間後に堺に到着したが、既に全員の足がエコノミー症候群でビキビキになっていたと言っても過言ではない。
そして合宿2日目。初日にボコり散らかされてちょっと凹んだベジの面々だったが、だからこそ2日目に向けての気合いは十分であった。
9:30にアップ開始。気合いが入り、みんなやる気満々。すぐに動的ストレッチ開始。しかし既にこの段階で空回りの気配が見られる男たちが現れ始めた。
まず違和感を出し始めていたのは、そう、 コースケ
動的ストレッチのフォームか何かについてチームメイトにいじられていたコースケであったが、何かのスイッチが入ってしまったのか、突然彼は咆哮した。
コースケ「世界はちげーんだよ!」
何が違うのか、彼がドバイでのビーチアルティ世界大会でどんな体験をしてしまったのかは全くの不明なのだが、堺の広場でその時言い放ったコースケ先生の顔にエクスタシーが浮かんでいたことだけは間違いない。
誰もがその発言をスルーしていた中で、唯一そのコースケの激情を共有し、謎のスイッチが入ってしまった男がもう一人。
その男とは、そう、 ガーソー
彼は先のコースケによるドバイエクスタシープレイに触発されてしまったらしく、動的ストレッチの最中に、誰も求めていないのにわざわざ全員の視線を集めた上で「ごめんなさい、2%土下座」などと口走りながら2度だけ土下座するという羞恥プレイを自ら行っており、今考えると彼もその時点で心はアッチ側に逝ってしまっていたのだと思われる。
そんなこんなでちょっといつもと違うテンションの人たちが発生しつつも、だいたいいつも通り和気藹々とアップをするベジのメンバーであった。
そして十分にアップやチーム練も終わった10:30から、1試合目の対戦相手であるヒートヘイズとの練習試合が始まった。昨日ボコられたのでガッチリ気合を入れて臨んだ。ベジにしては珍しく先取点を取りよい流れで試合が進む。イーブンペースでお互い譲らない展開を見せるなか、遂にベジのオフェンスセットに綻びが生まれてしまう。敵陣エンド近くまで攻め進んだベジであったが、あと1パスくらいの距離でTOを起こしてしまい、そこからのヒートヘイズのガンガン駆け上がる速攻のカウンターをどうしても止められない。奥は2対2の状況で捕まえられていたのだが、コート中央の広大に空いたスペースに駆け込まれて長いパスが出ようとしたその時、チーム最年長のガーソーがポーチカットを試みる! ・・・が、あえなく失敗!エンドゾーン内で敵2:味方1の絶望的な状況が発生し、万事休す。手痛いブレイクを許してしまう。
その瞬間、コートサイドに鎮座していたあの男から発狂寸前の暴力的な叫び声をあがった。
コースケ「ちゃんと最後までつけやーーーーーーーーー!!!!なんで奥で放すんやーーーーーーーーーーーーーー!!!!」
その野蛮な叫びで正論をぶちかますコースケの発言を、ピュアなハートで全力で受け止めた男が一人。
そう、 ガーソー
ガーソー「奥を見てもらって前後ではさんで何がわりーんだよ!!」
コースケ「なんでエンド前で放すんだよ、ちゃんとつけよ!」
ガーソー「ちゃんと言ったじゃねーかよ!!!てめーちゃんと見てんのかよテキトウなこと言ってんじゃねーぞ!!!!」
コースケ「その言い方なんとかならねーのかよ!!!!!!!」
ものの15分前まで和気藹々とアップしていたのが嘘のように、よく晴れた堺の青空の下、突如サイドライン際で劇場ベジグリフォンズが勃興した。鬼気迫る怒鳴り合いだけでは収まらず、まさかの掴み合いにまで発展したところでチームメイトが鎮火作業に入り、なんとか事態は収まった。その一連の堺ふれあい広場ゲリラ新喜劇を間近でスピリッツの人たちが物珍しげに鑑賞されていたのだが、その中で一人、ひときわニヤニヤしていた気持ちの悪い男がいた。何奴?!!と確認したところ、志村氏(今シーズンはスピリッツに移籍)であったのが極めて鬱陶しかった。(志村談、この新喜劇は当事者であるよりも第三者として鑑賞したほうが楽しいらしい。が、そんなこと言いながらアップに積極的に混ざってくるあたり、まんざら当事者であることも嫌いではないに違いない)
その一件以降コースケのフラストレーションが臨界点まで蓄積されたらしく、ベジが失点した瞬間にサイドラインにてコースケが渾身の怒りを込めて蹴り上げたペットボトルは、会心の一撃を受けてビルの8階くらいの高さまで舞い上がった。
青い空、広い草原、美しい軌道を描いて飛ぶフライングディスク、そんなほのぼのした空間に突如天空に向かって垂直にカッ飛ぶペットボトル。そして、広大な空間の中で奇跡的にペットボトルの落下地点に立っていた尾中部長に直撃するペットボトル。それはそれは非日常的な美しい光景で、わしの脳に忘れがたい思い出として深く刻み込まれた。
日本全国、いつでもどこでもギザギザハートでガチバトル。そう、俺たちベジグリフォンズ! |
|
2015 04,12 20:05 |
|
アルティ界で1988年生まれといえば、彼らがU23代表で世界大会に出場した時の活躍や、国内の大会で88ensが優勝しまくっているように、名選手の豊作の年というイメージがある。Buzzやノマ、HUCK、MUDなどの強豪チームに所属しバリバリやっている彼らはアルティ界を盛り上げてくれている。
さて、我らが激安総合アクティビティパーティーサークルVegeGriffonsは、そんなスター性のある1988年世代には残酷なまでに見向きもされないわけだが、遂に我々の門をたたく者が現れた。
その名も、トノイケ。
話は変わって、2015年4月のある日の練習にて。練習試合で惨殺されたあとに気分を切り替えてお昼ごはんタイムに移っていると、突然あの男から悲鳴があがった。
ドリンボ「うぜーーー!俺のナポリタンが食われてる!!」
別にかわいそうとも思わない。アルティを12年もやっていれば、食べものを外に置きっぱなしにしていたらカラスに食われることなどとっくに学習していることなので、置いておいたやつが悪い。残念だったな、と、特に自分のご飯を分けてあげようなどこれっぽっちも思わないもののチラッとそちらに視線を移すと、ドリンボの持つナポリタンの容器に少し違和感を感じた。 通常、カラスにやられると、鋭利なクチバシでグサグサにやられて中身をほじくり出されるため、容器もガタガタだしまわりに中身が散らばっているものである。 しかしドリンボの持っている容器には特にダメージもなく、中身もキレイさっぱり完食されており、律儀に箸を中に入れて輪ゴムで閉じられていた。
おかしい。 これはカラスの仕業ではない。
一瞬の後、わしの頭に電撃が走るようにある記憶が蘇った。
以前の練習で、チームメイトの荷物の所で残飯を食いまくっている怪しい男が出没した。過去にそんな事件はなかったし、下手に刺激すると身の危険の可能性も考えられるため、少し遠目から様子をうかがってみると、なんとその不審者は面識のある人物であった。
その、練習中にチームメイトの残飯を物色して食い散らかしていた不審者とは、 そう、トノイケ。 彼は怪我中につき練習に参加できないにも関わらず志高くトレーニングのために練習場に来ているのだが、練習を見学しているうちにお腹がすいてしまい、チームメイトの残飯を食べていたのだという。
なんたる食いしんボーイ!
そんな記憶があったため、今回のナポリタン事件もトノイケが犯人なのではないかとドリンボにアドバイスしてあげた。その後ドリンボがトノイケを詰問したところ、ビンゴであった。 トノイケは慢性的にお腹が空いているらしく、わしが練習後の糖分補給のために買っておいたブラックサンダー2個のうち1個をぶんどっていった挙句、昼ごはんの中華そばを食べていたらずっと20cm隣で「中華そばおいしそうだなー。中華そばおいしそうだなー。」と言い続けているため、貴重な昼ごはんを分けてあげざるを得なかった。 しまいには、練習の合間にふと近寄ってきて戦術的な質問をされるのかなと思ったら、
トノイケ「練習終わったら、ラーメン食べにいきましょう。」
違ーーーーーう!わしの思い描いていた、キラキラ光るスター集団の1988世代と、違ーーーーーーう!!!!! さすが自らVegeGriffonsに入部してきた男。ひと味違う。 |
|
2015 04,08 12:35 |
|
ワシは華絵門。所有するiPhone2台、iPad2台、MacBook Air1台、iMac1台を扱いこなし、海外でも全ての必要な情報を手にするデバイスに集約させ次々とタスクを処理することから、二つ名を「デバイスの鬼」と呼ばれていることは周知の事実である。
それはさておき、ワシのハスキーズ時代の同期に咲子という女子がいる。アルテ界では「さっこ」と言ったほうが通じるであろうか。ワシとさっことはポン友の仲であるので、ここでは咲子と表記させていただく。
さて、みなさんの知っている咲子はどんな人物像であろうか。
ハスキーズの生んだ人間玩具・松田拓也にガチで恋愛感について物申され、乙女のダイヤモンドを流す咲子。ハスキーズの生んだアルテ界最大の負の遺産・ドリンボとのゲームに破れ、涙ながらにお帰りスポルトを連発する咲子。遊びのダーツであまりにも自らの投球が下手すぎることを嘆き、開始5分で涙する咲子。
そう、とってもピュアー、そしていつでも頑張り屋な咲子。しかしそれは、よそ行きの仮面でしかないのである。しかし10年も付き合ってくると、なかなか他には見せない顔を見せてくる。
2015年4月。ワシは各国連合の「Super Smash Brothers」というチームで韓国は済州島の大会に参加した。大会は土日に行われたので、金曜日にソウルに入り、1日観光するという計画をたてていた。ワシは午前中には到着しており、後から1人合流して一緒に行動する予定となっていた。後からやってくるのは、そう、咲子。
咲子のいない午前中、わしはテキトウに街をフラフラし、念のため公共交通機関での移動の可能性を考えて、「Tカード」をつくっておいた。Tカードとは日本でのPASMOと同じようなカードで、予めいくらかチャージしておき、専用端末が設置されているところにカードをかざすと支払いができるというものである。このような現地のトラフィック情報等も見逃さずに事前に備えておくのが、ワシがデバイスの鬼と呼ばれる由縁である。
午後、咲子がやってきた。次の目的地に行くのにどうしようかと相談したところ、咲子は言った。
咲子「バスでいいっしょ!」
異国での移動手段の中でバスは結構ハードルが高いのでわしは電車やタクシー等の代案を提案したが、咲子の中ではもうバスに乗ることに決まっていたようだ。
ワシ「バスは降りるときとか難しいし、電車とかタ・・・」
咲子「いけるっしょ!!!!!!!」
ほとんど喰い気味に、かつ完全なドヤ顔で言い放たれたワシに、もう選択肢は残されていない。咲子はよほど旅慣れているのだなと感心するばかりだった。もしかしたら以前に乗ったことがあるのかもしれない。
しばらくすると、バスがやってきた。
ワシが先にバスに乗った。前払いだったので運転席の脇にある端末にTカードをかざし支払いを済ませ、奥の座席へと向かった。
続いて咲子が来る、、、はずだったのだが、待てど暮らせどバスに乗ってから進んでこない。様子を伺ってみると、咲子は予想だにしない行動にでていた。
咲子「How much…?」
英語の全くわからない地元のバスの運ちゃん「あsdjがおいwj(韓国語)、テー!」
咲子「へ、なになに、わからない、テー??」
運ちゃん「テー、テー!!」
咲子「テー?!」
運ちゃんが「テー」と言って指差した先には端末が。すると何を血迷ったのだろう、咲子は自らの手のひらを、Tカードの支払い端末にバンバンかざしているではないか!!
そう、咲子はコースケばりのドヤ顔で「いけるっしょ!!!」と豪語していたものの、なんと己の気合いだけを頼ったノープランで韓国ローカルのバスにブッ込んだのであった!!!
そして現金で支払おうとして運ちゃんに英語でいくらか聞こうとしたものの運ちゃんは全く英語ができず、韓国語でTカードでの支払いを指示。しかし気合いしか持ち合わせていない咲子はTカードの存在を知らず、運ちゃんに「テー」と言われて「手」をかざすように指示されていると勘違い!!!!まさかの世界の技術に先駆けて、生体認証による公共交通機関への支払いを行おうとするという究極のトライに出たのであった!!!!!
当然、端末に手をかざしても“ピッ”と鳴るはずがなく、しばらくバンバンやっていたところでワシが事件現場にたどり着き、Tカードで咲子の分も支払ってあげたのであった。
そんな、ポン友にしか見せないブラック咲子情報を今後も仕入れることができたら、この場を借りて報告させていただきたい。 |
|
忍者ブログ [PR] |