2025 05,16 12:32 |
|
2016 02,05 08:38 |
|
わしがアルティ界で尊敬している人物を3人挙げよと言われたら、真っ先に候補として思い浮かぶ人物として、“かんさん”という男がいる。(通称は“かんちゃん”なのだが、わしは彼を尊敬するがあまり“ちゃん”付けでは失礼と感じ、“さん”付けで呼ばせていただいている。) かんさんは実は今をときめく法政アサマックスの創始者だったりするのだが、国内ではツウな関係者の間では有名であるが、あまり名前を聞かないという人もいるかもしれない。それはなぜかというと、彼の主戦場は東南アジアだからであり、実際彼は年に4回は東南アジアの大会に出ているのではないか。とりわけ韓国にかけて彼の右に出る者は確実にいない。東南アジアにおいてどれくらいかんさんがすごいかというと、一緒に東南アジアの大会に出ると、本当に数多くの選手がかんさんに声をかけてくる。中にはかんさんが光臨することを事前に察知した友人が、貢ぎ物をもってかんさんをたずねてくることがあるほどである。韓国にいたってはほとんど日本よりもホームで、会う人会う人全員ポン友状態である。 そんなかんさんの尊敬すべきところは、東南アジアの大会に出るとき自分だけ良い思いして楽しむのではなく、チームメイトの旅程をパーフェクトコーディネートして、初心者でも東南アジアアルティメットを満喫させてくれる点が挙げられる。その職人的なコーディネート力は身内だけに収まらず、2015年にフィリピンで開催されたマニラスピリッツという大会において、参加した日本代表チームの現地コーディネートをしたのだというのだから、ホンマにすごい男なのである。 しかしながら、ただすごいだけではこの業務日誌には登場できない。 かんさんはすごいだけでなく、悲劇的に運が無いという点において、過去の出演者に並ぶインパクトを残してくれている。その悲運さといったら、実は彼はハード鬼畜プレイマニアなのではないかと疑うほどである。今回はかんさんの悲運に関する、いくつかエピソードを紹介させていただきたい。 1.冷凍かんさん事件@台湾 アルティメッターが100人いたら99.3人が知らないと思われる、Sushiという男がアルティ界に存在する。自らをSushiと名乗る(この時点でアヤシイ香りがプンプン)その男は、過去にドイツを中心としたヨーロッパ地域でアルティを嗜んでいたという経歴を引っさげ、現在は京都は鴨川界隈において鴨川グラビトン・デスブリンガーズというアルティチームを立ち上げ、選手兼監督として部員4人を仕切っているのだという。 とある2015年9月開催された台湾での大会にかんさんと参加したときに一緒のチームになったのが、わしとSushi氏との初対面であった。Sushiはそれはそれは強烈な個性の持ち主であり、たった2日間のトーナメントであるにも関わらず数え切れないほどの業務日誌級のネタを提供してくれたのだが、あまりにキャラが強烈すぎて向こう3年はお腹いっぱいで消化しきれないうえに、たとえ紹介してもほとんどの人が彼のことを知らないことが懸念されたため、夢と希望のALLボツにさせていただいている。 さて、そんなSushiネタの一つに、「Sushiの部屋は冷凍庫事件」というものがある。9月の台湾なので外気は軽く35℃を超えるので宿の部屋では基本冷房をつけていたが、よくわからないアジア製のリミッターの外れた冷房とSushiの組み合わせがよくなかった。自称暑がりなSushiはマシンの極限まで設定温度を下げて部屋に鎮座しておられたのだが、ホテルの廊下を彼の部屋の前まで行くと、比喩ではなく部屋の扉の隙間から白い冷気が噴き出していた。後に判明することだが真夏だというのに室温は10℃だったという。 そんなハード鬼畜プレイ環境の部屋のSushiの相方は、 そう、 かんさん 「やばいよー、こんな凍える部屋で寝たら確実に体壊しちゃうよー」と、若干暗い影を落とした悲壮感漂う微笑を浮かべながら冷気が噴き出している部屋に入ってゆくかんさんを、チームメイトたちは戦地に赴く友人と今生の別れのような、そしておもしろ半分の気持ちで見送ったのであった。 (この件のせいか、翌日の試合後に全ての背筋とわき腹を攣るという現象に見舞われたかんさんは、救護テントにいたまるで内山君のような台湾人デブちんトレーナーに、ほとんどプロレス技のバックブリーカーのようなハードなストレッチを受け、漫☆画太郎を彷彿とさせる絶叫を発していた。 のをわしは隣でニヤニヤしながら見守っていた。)
2.アイソレーション俺 事件 アイソレーションという言葉の意味は、「分離」とか「孤立」といったもので、アルティでもスタックを意図的にずらしてレシーバーが仕掛けるスペースをあけるといったときに使うこともある。 2015年のGAIAカップにて。 富士グラウンドの広い大地に大の字に寝転がり、ジタバタしながらなにやら叫んでいる男がいた。 「いやいやいや、ホントむりだってーー!!」 誰に言っているわけではなく、男はうつろな目をしたまま空に向かって吼えていた。 傍から見たらトチ狂っているとしか思えないこの男、 そう、 かんさん 30歳をとっくに超えた男のその姿があまりにいたたまれなかったわしは、かんさんに話を聞いてあげることにした。 わし「かんさん、そんなに転がって、どうしたんだい?」 かんさん「ハルオちゃんやばいんだよ、助けてよ!GAIAカップに招待されてるアメリカの選手たちを、急遽俺が横浜まで送ることになったんだよ!突然すぎて全然聞いてないよ!しかも彼らを受け入れる人がいつ帰宅するかもわからない状態なんだよ!どうずればいいんだよ!俺は何のドライバーなんだよ!いったい何のプレイなんだよ!まじでアイソレーション俺なんだけど!ハルオちゃん助けてよ!」 わし「ほぅ・・・」 わしはすれ違いざまに脚にすがりついてきたかんさんを華麗にふりほどき、その後決して後ろを振り向くことはなかった。 ↓USA軍団専属ドライバー・かんさん 意外と楽しげ 3.かんさんベンチコート葬 事件 2016年1月中旬。千葉県某所でマスター代表の選考会が行われていた。練習会も含めると約半年間、もはや顔馴染みとなったメンバーでやってきたのが、その日の選考で半分近くのメンバーがいなくなる。そんな状況でもちろん皆生き残るために必死であり、それは必然的にプレーにも現れていた。 いったい何人の怪我人が出ただろう。少しでもスローがマイナスに入ったら容赦なく捨て身でダイブが飛んでくる。しかしレシーバーはそれをわかっていても、覚悟を決めて身を呈してディスクをキャッチしにいく。そして、2人は激突。それはそれは今まで経験したことのないシビアな空間であった。 「ぐはぁ!」 そんな過酷な環境の中でのゲーム中、スタックの中で急に崩れ落ちた男がいた。特に接触はなかったように感じるが、その男は歩くのも困難な様子でインジャリーを宣言した。 その男とは、 そう、 かんさん 息も絶え絶えにサイドラインまで這いつくばってやってきたかんさんは、もうダメポとばかりに大地へと倒れ込んだ。当時とても寒かったので、サイドラインにいた選手たちは気を遣ってかんさんにベンチコート等の上着をかけてあげた。・・・が、いかんせんその数が多すぎたらしい。皆ゲームに集中していたためすぐに戦闘モードに切り替わり、かんさんのことを忘れていた。次にかんさんを見たときは、ゲーム終了後。そこで見たものは。元かんさんがいた場所にはベンチコートが山盛りになっており、もはや外からかんさんの姿を確認することが不可能な状態であった。やばい、窒息する!とばかりにトウモロコシの皮を剥くようにベンチコートをはがしてゆくと、倒れたときと同じ姿勢のままで、悲壮感漂う面持ちのかんさんが現れた。ちなみにとても温かかったらしい。 腰をインジャー(後のMRI検査で椎間板ヘルニアと判明)してピクリとも動けなくなっていたかんさんは、半年間代表を目指して一緒に練習会に参加してきたにも関わらず、一番大事な場面での不運な事故により、リタイアを余儀なくされてしまったのであった。 選考会からしばらくたった日、かんさんから一枚の画像が送られてきた。 物理的な腰の大怪我と共に、代表の選考をリタイアするという強烈な挫折感という心の大怪我。それに追い討ちをかけるようなセルフ肛門開通プレイ。 わしの涙は止まることを知らなかった。 PR |
|
コメント |
コメント投稿 |
|
忍者ブログ [PR] |