2025 05,16 12:10 |
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2016 09,09 01:47 |
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台湾の、島の西寄りの真ん中へんにある都市、台中。2016年9月、ここ台中で東南アジア8カ国、全18チームが集う大会「Run To Taiwan2016」が開催された。
夕方に差し掛かってもなお灼熱の暑さで肌が焼かれる大会会場の片隅に、うつろな視線を虚空に彷徨わせたままぐったりとうなだれ、まるでマッチ棒の燃えカスのような状態で小さなアウトドアチェアーに腰掛ける上裸の男がいた。
その、激闘の末に廃人と化したジョーなのか、はたまたただの地元のくたびれたオッサンなのか判断に迷う男とは、
そう
コースケ
2日間で6試合をこなし、準々決勝で負けたものの5勝1敗とボチボチな戦績を残した我々であったが、彼だけは己のプレーを振り返り反省し、自問自答していた。
『俺がいないセットのほうがディスクがよく回る・・・』
試合中にポロッと口から出たその言葉が、彼の心境を如実に表していたのかもしれない。
彼は東南アジアでの大会の呪縛から逃れられずにいた。
2012年の韓国・済州での大会の準々決勝。ユニバースポイントのオフェンススタート。時の人、鮫島萌氏と肩を並べ、コースケもラインナップしていた。キビシイ向かい風の中なんとかエンド前までディスクを進め、あと3mでゴール。まさに勝利目前!そして、スタックの中から萌萌がディフェンスを置き去りにしてオープンに駆け込む!ディスクを持っていたコースケはドフリーの萌萌にサイドオープンを投げる!萌萌、驚異的な跳躍力でカッ跳びダイブ!
しかし無情にもディスクは萌萌の手に収まることはなかった。コースケの手から離れたディスクは50cmだけ空中にいたが、その後すぐに地球さんとコンニチハして、まるでカーリングのように大地を滑っていった。直後、ガイジソ追い風暴力プレイで一瞬でゲインされ、The Endという結末を迎えたのである。
それ以来わしはそんな彼のトラウマを払拭させてあげたいと常日頃考えている訳なのだが、2016年、四年越しに遂にその瞬間がやってきた。
日本からやってきた、チーム虹丸ことCHAOSというチームとの対戦中、フォースサイドマンツーに対するオフェンスで、わしはハメ側でパスを受けた。すかさず前方に目をやると、広大に開いた45度のスペースに、漫☆画太郎ばりに顔面を完全開放させたコースケが、素晴らしいお手本のような角度でミートに入ってきた。そしてその背には、今大会で実力・容姿ともに最強スペックを誇る男、アンディ国枝をピッタリと背負っていた。
わしの脳内コンピューターは瞬時にこのバトルの勝率を弾き出した。
『コースケの全力ミートとわしのスローが完璧に噛み合ったときだけ、コースケは究極に強いヤツ・アンディに勝つことができる』
"俺より強いヤツに、会いに行く"
迷っていたわしをロンドンに導いてくれた、決意のセリフ。
ロンドンでは選手ではなく法的に最強の男・ポリスメンに会ってしまった、負の記憶。
2012年から引きずる、東南アジアのトラウマ。
様々な記憶が走馬灯のようにわしの頭を駆け巡った直後、決心したわしは超越した集中力で渾身のサイドスローをコースケに投じた!!!!!
完璧な角度、完璧な高さ、完璧な速度!!!
まるでコースケのミートのコースとわしのスローのコースが一直線の赤い糸で結ばれているかの如く、ディスクはコースケの胸に吸い込まれていった。
後は任せた!王者アンディのプレッシャーに打ち勝ち、トラウマを払拭してくれ!!!!
捕食 ┳┳ ヽ(^▽^ゞ)イタダキマース♪
手元でバインゴしたディスクと共に、朽ち果てた漫☆画太郎はミートの勢いそのままにコート外へと消えていった。やはり、イケメンは正義なのであった。
アウトドアチェアーに腰掛けるマッチ棒の燃えカスに、チームメイトは慰めの声をかけていた。そんな中、またしても彼の口からポロッと本音が漏れた。
コースケ「俺はいつになったらスターになれるんだろう・・・」
その時点では、彼は知る由もなかった。後の閉会式にて、前夜のパーティーでワンマンパフォーマンスを炸裂させ大観衆を沸かせたコースケが、大会公式の賞『Party King』を単独受賞し、多くのアルティメッターから日本の誇るスターとして羨望の眼差しで指さされるようになることを・・・! PR |
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