2025 10,12 22:31 |
|
× [PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。 |
|
2015 03,26 19:17 |
|
2015年3月24日火曜日、超越した激務の私には飲み会に行く余裕などまるで無い日程にもかかわらず、ベジ新参者のトノイケに「20:00から東京駅付近の会場集合です。予約の頭数に入っているので来てください」という極めてぞんざいな扱いを受けたことがきっかけで、仕方なく一夜限りのさらば高間会に参加することになった。
会場に着くと、なにやら若い人たちがいっぱいいる空間で、他の団体と相席なのかなと思ったら全員アルティ関係者とのことで、交友関係の狭さと時代の移り変わりに切なさを感じざるを得なかった。
30人くらいが集合してから15分くらい経ったところで、本日の主役が登場した。なんでもその日は高間が通っていた某日本で一番偏差値が高い大学の卒業式だったとのことで、タイで買った、ゾウがたくさん描かれたお茶目なネクタイを上下黒のスーツに合わせるという出で立ちであった。さらば高間会はサプライズで計画されたものとのことだったので、入店した瞬間に30人から「おめでとう!」と祝われたときには、さぞかし驚いたことであろう。普段の練習では、走りたくない先輩たちに対してもっと走れとか無理強いをしまくる強引なスタイルがウリであったが、その時の高間は普段と違っておとなしく、なんだかヨソヨソしい感じではにかんでいたのが
そんなこんなで乾杯され、飲み会が始まった。ベジだけでなく色々な所属の人たちが来ていたが、わしは人見知りなのでとりあえずベジの連中と話していると、ふと店の入口から中東の香りのする風が吹き込んだ気がした。何だ、と思い入口を見てみると、ヤツが立っていた。
3月中旬までドバイで行われていた、
彼は出国前と打って変わって、その顔、そのたたずまい、そのオーラに圧倒的な自信、そして日本代表の誇りをまとっていた。そのオーラがあまりに光り輝きすぎて、一瞬そこに立っているのがコースケなのかケースケなのか判断に迷ったほどである。
そして開口一番、彼は言い放った。
コースケ「俺は2016年の世界選手権の代表を目指す。ロンドンに、俺より強いヤツに会いに行く。ハルオも目指すだろ?!」
あまりの神々しさに、わしは失禁寸前であった。いや、むしろもう失禁していたのかもしれない。ドバイを経験し究極的にアガっている彼のアルティに対するモチベーションはもう誰にも止められないことを、その一言で悟るには十分すぎた。
イーサン「ケンタ イズ ブルシット」
マックス「ケンタ イズ ザ ワースト」
ドリンボこの場にいないのにディスられてる???!
イーサン「ケンタ tried to piss in nappy. (ドリンボは成人用オムツを履いたまま小便しやがった)」
マックス「ブルシット」
と、なんやかんや言っていたが、ベジの誇る外国人傭兵部隊の戦士たちにとってもドリンボの評価はブルシットであることだけは理解ができた。そんな高間とは関係の無い話で盛りあがっている途中、何度かわしの背後を通ってトイレに向かう高間を見た気がした。そういえばさらば高間会だからたくさん飲まされてるのか、かわいそうに、と雑に思っていた。
わしは裏方側の人間であって現場のアドリブ対応では使いものにならないタイプであるにも関わらず、幹事のえびみりんのあっちゃんに中締めの挨拶を振られたりという鬼畜プレイが途中にあったものの、有志が用意したプレゼントが高間に贈られたり、みんなで写真をとったり、高間がまるで結婚式の新郎のように参加者に挨拶してまわったりと、ベジで見る高間からは想像のできないとてもほのぼのした高間会であったが、エンタケ(宴もたけなわ)のうちにお開きとなった。もの忘れの激しいわしはその日に高間が4月から四国に行くことを知った(思い出した?)のだが、鬱陶しいけど、人望のある愛すべきキャラだったんだなぁと思ったのであった。それは、ちょっと(下手したらたった2週間)四国に行くだけなのにあれだけの人数がお別れ会にきてくれたことが証明している。
後日談、某えびみりんのAちゃんからタレコミがあったのだが、飲み会中に何度もトイレに行っていた高間であったが、飲まされすぎて上から下から放出していた訳ではなく、みんなの優しさに感涙していたとのこと・・・!(爆笑) PR |
|
2015 03,16 18:08 |
|
2015年3月、我らがパーティーサークルVegeGriffonsは静岡県富士市で開催されたドリームカップに出場した。
試合中、ひょんなことからベジとして参戦したオーストラリアU23代表かつモデル級イケメンのロッキーが、あまりのイケメンさにより敵の学生チームの女子の黄色い声援を我がものにしたことにより、あたかも自分たちが女子学生から応援されていると勘違いして気分を良くしたパーティー野郎たち(ベジの人たち)の動きは普段の3割増しになり、快進撃を続けた。
勘違い快進撃に陶酔した我々が無駄にパーティーパーティー言いながらウォーミングアップをしていたところ、メディアの方がカメラを向けてくださったのでバッチリパーティーサービスショットを提供したのだが、ハイライト映像では根こそぎカットされていたのは、大会翌日の通勤の電車の中で冷静な頭で振り返ってみると当然の結果である。
というわけでなんだかんだで勝ち進んだ我々は、遂にベスト8を賭けてノマと対戦することになった。試合の40分前まで気合の入っていた我々だったが、何やら山のほうから暗い雨雲と、冷たい雨を含んだような冷たい強風が吹いてきて、怪しい雰囲気が出てきた。そして30分前、本当に強い雨が試合会場に降り注ぎ始めてからというもの、我々のハリボテのパーティーハートが崩壊するのにさほど時間は要さなかった。
悪い誰か「雨の中、外にいると体が冷えちゃうから、一旦車に戻って、試合開始10分前から一気にアップしてはどうだい?」
満場一致で全員車に戻り、とりあえず雨をよけるという現実逃避に走ることにした。
試合開始10分前、長身金髪カーリヘアの美形戦士・ロッキーと、滋賀の食いしんボーイ・トノイケと共に試合コートに戻ると、ノマがガンガンにアップしている一方で、晴れていたときにあれだけ元気だったパーティーピーポーたちの姿が一切見えない。5分前、ようやくバラバラと集まってきたが、当然のアップ不足の中、試合が開始された。
インドの地方紙では本試合は拮抗するものと予想されていたらしいが、キャプテンのトミオカが謎の食中毒によりゲボを撒き散らしてダウンしたこと、そしてベジの誇る日本代表の双子(クトミ兄弟)が2人とも世界大会出場中という不運が重なり、蓋を開けてみればまさにブラッディパーティー(日本名:血祭り)で、ものの10分でスコアは7-0に。しかし激安パーティーピーポーたちに忘れかけていたプライドが少しずつ思い出されてきたらしく、とりあえず本気で晴乞いをした結果、なんと試合途中から晴れてきたではないか。
起死回生とばかりにランボー怒りのサイドロングが発射され、これが通りなんとかキープし、これから流れをもっていこうとばかりに、
「ガンガン走れるやつがセットに入れ!」
という指示が出たため、我こそは!とばかりに皆先を急いでエンドゾーンに向かって走っている中で、微動だにせずダウンジャケットにくるまり、温まっている男が一人。
その反社会的な男とは、 そう、ドリンボ
寒い中試合に出ていない他のメンバーがサイドライン際を走ったりしてなんとか試合に参加しようという姿勢を見せる中、気配を消してただただじっと温まり、その場をやり過ごそうという鬼畜プレイにしけこもうと企むドリンボに、業を煮やしたあの男が遂に吼えた。
吼えたのは、 燻し銀とむっつりの狭間を攻め続ける男、 そう、志村
「ガンガン走れるやつがセットに入れ!」
ドリンボ「はいはい、みんながんばってー!」
志村「おい、ドリンボは今まで1ターンも出てないのにセットに入ろうとしないのかよ」
ドリンボ「いやいや、この点差じゃさすがに俺様が入ってももう無理だろ!」
鉄の男・志村氏のド正論に対し、何の後ろ盾も無い漢の逆切れで応戦するドリンボ。
志村「試合に参加して少しでも貢献しようという気はないのかよ!」
ドリンボ「いやいや、あるから!!」
志村「その姿勢からじゃ全然それが伝わってこねーんだよ!!!」
はっっ!!これはっっ!!!!!
わしの脳裏にデジャヴが甦った。それもとある良く晴れた日の、富士だった。その時は「試合の残り時間を誤って伝える」というバカ安な理由により火花が散りかけた瞬間に誰も仲裁に入らなかったため、サイドラインでドリンボvsコースケの激安な掴み合いに発展したのだが、今回も同じ展開になりかねない!!
ちょうどその時わしはドリンボ・志村の間という不運極まりないポジションに立っていたため、わしが仲裁に入るしかない。
わし「まぁまぁ、試合に貢献するって言っても、プレーするだけじゃなくて状況を分析したり、キャプテン不在でメンバー決めを考えたりとかいろいろ役割があるから、そこんとこ手伝ったりなんとかうまくやってくれよ」
仲裁なんだかよくわからないことを言いながらわしは2人の間に割って入り、とりあえず時間を稼いだ。そんな意味不明な時間稼ぎでも早期対策が功を奏し、今回のサイドラインでのバトルは未遂に終わったのだとさ。
32歳になっても思春期ハートでガチバトル、 ↑ ロッキーと |
|
2014 12,19 20:08 |
|
2014年12月14日、とてもよく晴れた空の下、北千住の河川敷某所で第004回ブッタカップという3対3の変則アルティの大会が開催された。
主催者は大会名を冠しているブッタ氏(正式名称:ゴーダマシッタールタ)とその友人たちで、主に社会人が30人ほど集まり、ピックアップにより6チームが組まれて試合を行った。ただ試合を行って勝敗のポイントを稼ぐだけではなく、昼休みにはルールに関するクイズも行われその成績もチームの勝敗ポイントに加算されるという試みもあり、アルティメットをしつつ正しいルール認識の啓蒙活動を行うというよく考えられた大会であった。
我らがチーム“くるり”は元MUDのアユさんを隊長として、STILTSの薦田っち、IKUのともこ、ベジのトミーとわしという、最後のボーナスキャラ以外かなり戦力が整っており、優勝候補筆頭の5人であった。
そんなチームくるりは、さっきからギャーギャーうるさい2人組を擁するチームと対戦することになった。鬱陶しい2人のうちの1人は、実は現役からリアルに煙たがられていると専らの噂の、お馴染みベジのコースケ先生。もう1人は、ベジ9割:θ1割でお馴染みの、θのカズキ。息をする暇を惜しんでガタガタ言っている2人がいるチームにだけは負けるわけにいかない(1回目の対戦は我々がボコし、今回が2回目の対戦)という想いで、試合が始まった。
試合が始まると、コースケ&カズキはSOTGを究極的にないがしろにした外道なプレーを連発し、チームくるりを精神的に動揺させてきた。3対3の試合なのでコートはとても狭いのだが、それを逆手に悪用し、コースケは毎回突き刺さるような真縦のチョップでスローオフを投げてきて、その度にディスクが脇の茂みに転がっていき極めて鬱陶しかった。カズキに至ってはプレーだけではなく、自らのディフェンスや速攻のオフェンスのたびに「バカめーーー!!!」と叫んで我々を口撃しており、まさに狂気の沙汰としか言うことができない惨状であった。
しかしそんなカズキ、迂闊にも決して踏み入れてはいけない禁断の領域に足を突っ込んでしまった。
チームくるりのオフェンス時、チーム名のとおり“みんなでくるり(MUDさんの戦術)を狙う”という意識でいたので、選手の1名がくるりからのインサイを狙った。ディスクを持ったアユさんは、そこにインサイを投げた。そこにくるりを読んでディフェンスで待ち構えていたのは、そう、カズキ。
したり顔でポーチディフェンスを決め、あろうことかウィメンズ日本代表として2012年世界大会に出場し、その優勝メンバーである伝説の戦士・アユさんに向かってぞんざいに指を刺し、渾身の
「バカめーーーーーーーー!!!!!」
バーサク状態のカズキ以外、地面に落ちた髪の毛の音さえ聞こえるほど静まりかえるコートサイド。
わしに至っては衝撃の余り足の震えが止まらず、脳がこの重大事件に対して現実逃避しようとしたのか目の前の景色が白黒に変わり、走馬灯のように景色がスローに流れていく錯覚に陥った。
それと同時に、無言のアユさんのグラサンの奥で、何かがキュピーンと光ったのをわしは見逃さなかった。
試合後、アユさんの隣に金魚の糞のようにピッタリとつき、なにやらゴニョゴニョと言っている男がいた。
わしは耳を傾けてみると、男はこんなことを言っていた。
カズキ「えー、先ほどは本当に申し訳ありませんでした。投げたのがアユさんだと知らず、調子にのって失礼なことを言ってしまい、本当にすいませんでした。なんとお詫びしていいやら、・・・・・・・・・(謝罪が続く)」
アユさん「うん、ちょっとブランクあったから距離感が掴めてなくてねー。」
ワーオ、全然許されてなーーーーーい!!!!(核爆)
今後日本のどこかでカズキがアユさんを目撃するたびに菓子折りを納めにいくであろうことは、想像に易い。 |
|
2014 11,30 00:14 |
|
2014年11月、静岡県富士市某所にて。 韋駄天さん(大体出身の同期)をシンボルとする福島塗料雷神の面々は大会初日を終え、某居酒屋で夕飯を楽しんでいた。 飲み会の席で鬼畜と称される人見(早稲田出身の同期)は早々にウイスキーのロックと日本酒を大量オーダーし、その多くがコースケ先生(東京外国語大出身、…否、東京外国語大中退の高卒の同期)の胃袋へと消えていた。雷神初参加のコースケ先生は東西の強豪校出身の同期たちの前で売名しなければならないプレッシャーがあったのか、誰も見ていないのに明らかなオーバーペースで痛飲。後に吐血するほどリバースしたらしいが、残念ながら誰もその勇姿を確認していない。 さて、そんなこんなでワイワイやっていたら、突然、誰もが予想しない人物が登場した。 ??「どーもー!」 軽ーい感じで登場したこの人物、なんと韋駄天さんと同じく大体出身の同期、松野。この土日は超ハードスケジュールで大会に参加できなかったにも関わらず、この雷神の飲み会のためだけに県をまたいで富士に駆けつけたのだという。なんという同期愛!ヤスオ世代と呼ばれる、我ら1983生まれの絆の強さ!そんなサプライズもありつつ、雷神の宴は深まっていった。 宴も中盤を過ぎたあたりで数名が同時にトイレに行き、そこに松野が席を移動したのだが、このタイミングで、あってはならないコラボレーションが誕生してしまった。 松野の向かいに座るのは、 そう、 ドリンボ。 松野を「スローがうまくて足が速くてジャンプが高い」と表すなら、ドリンボは「スローが安くて足が遅い上に臭くてジャンプと同時に屁をこく」となるほど、アルティのクオリティが異なる。 この組み合わせ、わしの野生の勘でなんとなく嫌な予感がしていたのだが、不安は現実となってしまった。 ドリンボ「松野覚えてるかな、2010年の関東オープンの決勝の、日本代表vsベジ?」 松野氏「…」 ドリンボ「実はあの試合で、ゲヘヘ、俺と松野、対戦してるんだよね、覚えてる?」 松野氏「…」 ドリンボ「ベジのエースは俺だから松野が俺のディフェンスについてたんだけど、ゲヘヘ、ロングの競り合いあったよね?」 松野氏「…」 ドリンボ「奥に走る俺にロングが投げられて、松野は全力でカットしにきたけど、俺、余裕で上でキャッチしたよね?」 松野氏「…」 ドリンボ「ゲヘヘ、よゆーーでキャッチした後に横を見たら、勢い余って松野転んでたよね?」 松野氏「…」 ドリンボ「あれどうしたの?すげー弱くなかった??」 わしは驚きと絶望と怒りのあまり、震えと失禁が止まらなかった。ドリンボの話では、あたかも正々堂々と競り合って勝ったように聞こえるが、完全に都合よく記憶が書き換えられている。実際は完全に有利なポジションにいるドリンボに鋭めのロングが投げられ、松野は驚異的なスピードで全くの圏外からカットできるかできないかギリギリの距離まで持ち込んだのである。そしてドリンボは2mmだけジャンプしてキャッチ。それを話を盛りに盛りに盛りまくってキリマンジャロ並みに土台をつくった上で、まさかの上から目線。もしわしがショックで体が一切動かない状態でなければ、人類を代表して奴をナイフで刺すだけではなく、奴を構成する全ての細胞に爆薬を詰め、この世から跡形もなく消し去るように爆殺していたことだろう。 しかしそんな暴言を吐かれた当の本人は冷静なものだった。 ドリンボ「覚えてる???」 松野氏「で?」 ガタガタ言うドリンボを、たった一文字で一蹴したのであった。そして、世紀の対談は終了した. 試合で出るターンの全てでブレイクを献上した、ドリンボ、コースケ、ハルオ(通称ベジのボーナスセット)は、もう二度と雷神に誘われることはないだろう。 |
|
2014 06,10 11:20 |
|
(注:食事中の方は、決して読むべからず)
2014年6月、例年より早い全日本選手権の関東予選が開催された。
我らがアルティ界の人種のるつぼことベジグリフォンズは今年も謎の外国人や奇人変人、そして各地からの助っ人を集め、総勢28名という大所帯で大会に臨んだ。
それだけの人がいれば、事件はコートの中でも外でも簡単に起こり得る。
コート内のものでいえば、エレファンツモウ戦でドリンボのゴミのようなスクーバに対して曽我氏が突然のカチギレタイムアウトをとるという伝統芸能が早速披露された(結局発端は初期メンバー)。この挨拶代わりの伝統芸能のお披露目が、まさかの大会初戦の前半なのだから驚きである。土曜日の朝イチからこんな調子なのだから、残りの丸2日、先が思いやられる。
そんなゴタゴタな道中であったが、おそらく局地的にわししか被災していないであろう、不運極まりない事件に巻き込まれた件についてみなさんに伝えさせていただきたい。
この大会、最初から最後までクサイ男がいた。
その男とは、そう、 ドリンボ
加齢臭という男の宿命なのか、服が生乾きで臭っていたのか、見た目からの先入観なのかわからないが、今大会の彼はデフォルトで壊滅的な足臭によってコーティングされていた。大雨も手伝って、濡れたスパイクの中で蒸れに蒸れて熟成された足臭は、もはやニオイ博士が嗅いだら一撃でその敏感な嗅覚が破壊され、その資格を剥奪されてしまうであろうシロモノであった。
散々クサイクサイ言われたドリンボだったが、夜の宿では大会中にも関わらずビールをゴブゴブ飲み、更にはチーズ味のスナックをバクバク食べ、己の臭気の鍛錬に余念が無かった。
翌朝、宿で朝飯を食べ、わしは部屋に戻り歯磨きをしていた。洗面台の隣にはトイレ(家庭用の洋式便器1コ)があり、わしはトイレの入口の真正面に立っているような位置関係である。
ただただボーっと歯磨きをしていたら、食事から戻ってきたドリンボがトイレに向かって背後を通過した気がした。
洗面台の鏡越しに奴の顔を確認しておくべきだった。おそらく、限りなく邪悪な微笑に包まれていたことであろう。
ドリンボは個室トイレに扉をフルオープンのまま座っていた。彼は病気なのでそれくらいのことは日常茶飯事に行うため、無駄な免疫力がついていたわしは何の抵抗も感じずに、引き続きボーっと歯磨きをしていた。しかし冷静に状況分析すると、わしと便器に座るドリンボの距離は1mもない上に、遮るものが何もないというシチュエーションが構築されていたのであった。にも拘らず、わしの嗅覚、聴覚、視覚、そして心は完全開放のノーガード状態であった。
次の瞬間。
ドボボボボボボボボボボボボ!!!
わしが洗面台前の床で息も絶え絶えに悶絶していると、薄れ行く聴覚の端で、
ドボボボボボボボ ゲヘヘヘヘヘヘヘ(ドリンボの笑い) ドボボボボボボボ ゲヘヘヘヘヘヘヘ ドボボボボボボボ ゲヘヘヘヘヘヘヘ ドボボボボボボボ ゲヘヘヘヘヘヘヘ ・・・・・・・・・・・・・・・・・
という、考え得るこの世で最低の不協和音が奏でられていた。
また一つ、私は心に傷を負った。 |
|
2014 05,27 11:56 |
|
我らがベジグリフォンズの選手は、アルティ以外に活動を広げている人が多い。
中でも夢の1983世代のガボンに至っては、三鷹1部リーグのサッカーチームの正ゴールキーパーとバンドのドラマーという二足のわらじを履き散らかしているのだから、アルティでのスローがとっ散らかるのもご愛嬌なのである。
さてガボンとはICU出身の宗一郎のことなのだが、学生時代はさほど交流は無かった。
今ほどアルティが情報化されていなかった2004年くらい、関東地方で都市伝説的に噂された男がいた。その男は学生離れした飛距離のロングをバックでもサイドでもぶっ放しまくり、更にはミートに向かってくる味方に対して躊躇なくハンマーを叩き込むという、いろいろな意味で身の毛もよだつようなQBなのだという。ディフェンスではガハガハ笑いながらフライングボディープレスの如きダイブでマーカーをブチ殺し、その上頭にはドクロの描かれた手ぬぐいを巻いているというのだから、もはやアルティ界の反社会勢力である。
絶対にトモダチになれない。
身も心も小動物のわしは大会会場で肩で風を切って闊歩しているガボンを見かけても、なるべく目を合わさないように心掛けたものである。
それから10年余りの時間が経ち、なんやらかんやらを経て今ではベジで一緒にプレーしている。
ある日、ガボンからチームにライブのお誘いがあった。アルティの28倍くらい真面目に取り組んでいるというバンド活動の晴れ舞台とのことである。しかしそのお誘いが、ベジの35人、ベッカム47人の計82人全員から既読スルーされているのがあまりにも残酷だったので、夢の1983世代の同期代表としてわしは観賞に行ってあげることにした。
ライブハウスは三軒茶屋にあり、ライブハウスの暗くてタバコくさいイメージに反して白壁で間接照明がやわらかに灯っており、お洒落カフェと言っても過言ではないような雰囲気だった。その雰囲気に反することなく、しっとりとした感じで他のバンドが演奏を始めた。
しっとりとした雰囲気の中でガボソは緊張を紛らわすためか、ベジユニ上下を装着し、スポーツドリンクの代わりに赤ワインをボトルでガブ飲みするという奇行に走っていたのが唯一の違和感であった。
遂にガボンのバンドが登場してきた。演奏前の音あわせを少しやり、オラーー!とばかりにガボンはシャツを脱ぎ捨て上裸になった。ガボソのバンドはこれまでのバンドの演奏とうって変わって、激しいドラムのリズムが叩き込まれる!
ん??
かっこいい、確かに歌も演奏もカッコイイ!素直にそう思うのだが、何か大きな違和感を感じてならない。
あれ?あるはずのものが、無い??!!!!
そう、田中家の証、下腹部から首下まで見事なリバーストライアングルに生い茂る、薔薇族垂涎の圧倒的な胸毛(竜二郎も同様)が完全に剃毛されているではないか!!!!むしろ草食系貧弱色白男子よりもツルンツルンではないか!!!!!!
ガボンの身に何があったんだ、といろいろ推測を巡らせているうちに、あっという間に1時間のパフォーマンスは終了してしまった。恐らく会場で違和感を感じまくっていたのはわしだけだったようで、皆大いに盛り上がっていた。(後日談で、そのライブには業界の方がコッソリ視察に来ていたとのことなのだが、ドラムがプロ級と絶賛していたとのことである)
ライブが終わり、わしはライブの感想そっちのけで剃毛の理由を聞いてみた。
すると、バンドの魔女っ子ボーカルによる「上裸で演奏なさい」の鶴の一声により、已む無く上裸で演奏しなければならなくならなかったそうだが、剃毛は自らの判断とのことである。おそらく、一見破天荒にみえるガボソも蓋を開けてみると実はピュアな乙女のようにナイーヴなので、みんなに胸毛を見られるのが恥ずかしかったのだと思われる。
今後、いろいろな意味でガボンのライブは要注目であーる。 |
|
2014 05,16 20:44 |
|
30歳を迎えた今年、わしは心に大きな傷を負った。この場を借りて、赤裸々に告白させていただきたい。
2014年5月3日(土)、富士川緑地公園にて中部の複数チームとの合同練習があり、関東からは唯一ベジが参加した。わしも参加したのであるが、富士までの道のりはまさに地獄であった。GW初日ということもあり東京~富士で普段の約2倍の3時間を見込んだが、全然甘かった。朝5時過ぎに車で東京の実家を出発したが、結局グラウンドに着いたのは10時半を過ぎていた。
その時点で相当体力的に削られていた我々であるが、更に諸状況が追い討ちをかけてきた。当日の練習参加が8名(内、1人は第一試合でインジャリーのため離脱)、対戦相手が5チーム、気温の上昇と重なり、最終試合を終えた頃にはベジの全員の体がボロボロであった。
わしと同じ夢の1983世代の1人であるじんぼに至っては、最終試合の最後のゴールをキャッチした後、「一歩も動くことができない。全身が攣っている。」と仁王立ちのまま呼吸と瞬き以外の行動を一切停止してしまったほどである。
5試合計250分近くを7人で走り抜いた我々は、泥にまみれ、汗にまみれ、試合終了のゴールと同時に全員がグラウンドに倒れこんだ。そんな状態の我々に対し、ビーバップトレーナーことマコン君は無慈悲にトレーニングを課し、日頃の恨みとばかりにシゴキ上げてきた。我々が悲鳴をあげながら苦痛に耐えたことは想像に易いであろう。
そんな凶悪なスケジュールをこなした我々には風呂に行く体力も残されていなかったため、ボロボロのドロドロの状況にも関わらずすぐさま夕飯を食べて帰ることにした。(まさかの東京ー富士の日帰り練習)
店を選ぶ思考のためのブドウ糖すらも残されていなかった我々は、自動的におなじみの丸天(天ぷら、海鮮丼屋さん)へとたどり着いていた。皆が各々に注文し丼ものをかっ込んでいると、今までガス欠のため全く機能していなかったと思われる嗅覚が復活したらしく、あからさまに強烈な足臭を感じた。
誰だ?!と犯人探しが始まったが、わしの隣にはコウスケ先生が座っており、コウスケ先生の向かいのじんぼも何だか異常に臭いと発言していたので、コウスケ先生が容疑者としてあがった。不運なことに狭い座敷でわしが隣だったため、わしが確認のテイスティング(スメリング?)をすることになった。
コウスケ先生の素足の至近距離でめいっぱいスメリングした瞬間、通常の足臭の域を遥かに超えた刺激臭がわしの鼻腔から脳天を直撃し、その衝撃でわしの体は上空に飛び座敷の下の地面まで転げ落ちた。わしが地面で悶絶していると、チームメイトが救出にきてわしは座敷まで運び上げられた。
その非日常的な足臭は単に今日の練習によって培われただけではなく、話に聞くと前日の午前3時まで飲んでいたとのことだったので、体中の毒素が足臭に集約されていたらしい。それにしても近年稀に見るおぞましい匂いであった。
コウスケ先生足臭事件が一段落し、コウスケ先生も反省したらしく足を手ぬぐいでふき人の方向に足を向けなくなったら匂いも収まり、いつもの食事風景が戻った。
しばらく平和に団欒しそろそろ食べ終わる頃になってきたところで、急に猛獣の如き暴力的な臭気が周囲を汚染し始めた。
なんだこの匂いは!!と再び全員で色めきだっていると、誰かが叫んだ。
「ドリンボが足を伸ばした途端に臭くなった!!!!」
そう、食事中のドリンボは足を屈めていたため座敷の机の下に足があり、そのおかげで匂いがダイレクトに大気に飛散することはなかったのだが、食事を終え足を伸ばしてリラックス体勢に入ったら机の向こう側から足がはみ出してしまい、机というフタによって分散されることのないダイレクトの足臭が解き放たれてしまったのである。
遠めで嗅いでも目に星が光るような臭気であったが、ハード鬼畜プレイマニアのあの男が耳を疑う発言をした。
曽我「ハルオ、ドリンボの足臭を嗅ぎながらご飯を食べてみれば?」
許されることではない。
わしは体調どころか、生命の危機すら感じるこの発言に全力で抵抗しようとしたが、本来選手のコンディションを守るべきキャプテン・高間が間髪入れずにiPhoneをこちらに向け、言った。
高間「撮影しているので早くしてください。」
どう考えても東京大学を卒業した偏差値の高い者の判断とは思えない。チームメイトが下手したら命を落とすかもしれないという状況に、まんまと便乗して囲い込んできた。こうなるとわしに逃げ道は無い。
曽我氏から白メシの入った茶碗と箸を受け取ると、チラッと下のほうで蠢くドリンボの足を目の端で確認した。
そこには地球上のありとあらゆる汚物によって形成された、デフォルトで茶色いのに今日の練習によって更に毒味を増したグロテスクな足が二つ並んでいた。
わしは覚悟を決めて、
白メシを口に含み、
ドリンボの足裏の3cmのところまで鼻を近づけ、
一思いにスメリングした。
鈍重で粘度のある猛烈な足臭がわしの鼻腔、眼窩、脳神経の全てを破壊しながら頭蓋骨内を駆け巡り、わしは再び衝撃で宙を舞い、座敷の下に墜落した。
あまりのショックのため目の前の景色は白く光ってぼんやりし、脳神経を損傷したわしの目からは止めどなく涙が溢れ、鼻の粘膜は瞬時に全て腐り切ったため鼻水も滝のように流れ始めた。もはや人体から発せられる匂いではなく、兵器である。
しかしわしは務めを忘れなかった。
スメリング前に口に入れたごはんを、チームメイトのために必死に食べた。
なんでだろう、白メシなのに、味がした。
ドリンボの信じがたい足臭はあまりに粘度が高く、その後10分くらいは鼻の中の残り香がとれず、わしは苦しみ続けることになった。
このトラウマは、いつか時間が解決してくれるのだろうか・・・ |
|
2014 05,01 19:40 |
|
夢の1983世代の1人であるガボンから、知人からりきしの業務日誌の更新頻度が遅いというクレームが入ったというクレームがあったので、小ネタ。
東日本の学生の、この時期の大会といえばフレッシュマンズカップ。4月に予選が行われ、日を改めて決勝が行われる。
夏の学生選手権の前哨戦ともいえる重要な大会だが、学生の、特に4年生にとっては今も昔も悩ましい問題が1つある。それは、“就活の最もキビしい時期に開催される”ということである。
民間企業の就活では、選考が進むと土日に関わらず問答無用でスケジュールをぶち込まれ、まず日程をずらす交渉は成立しない。皆が望む大手企業になればなるほどその傾向は強い。
我らハスキーズの三銃士(または社会のゴミ)ことドリンボ、部長、わしの3人も、当然の如く4月には内定なんて出ておらず、いよいよがんばらないとやばい!という時期にフレマンは開催された。
大会初日、我々は頼もしい後輩の活躍もあり全勝。2日目、初戦に勝ち、さぁ次は準決勝だ!というところで、4年生でスタメンのあの男から信じられない発言が飛び出した。
ドリンボ「俺、これから就活で面接だから帰る。」
戦友たちから、どれだけの罵詈雑言が浴びせかけられたことか、想像に易いであろう。当然、フレマンを棒に振るくらいの大事な面接なんだろうな!と詰問されると、奴は重い口を開いた。
ドリンボ「JALインターナショナルのパイロット選考の3次面接・・・」
皆、口を閉ざした。色々なことが頭をよぎっていたのだろう。「この顔面でパイロット・・・」「この顔面でスッチーと・・・」「この顔面で制服に角帽・・・」「この顔面にウン百人の命を預けるのか・・・」「この顔面に・・・」
全員が唖然としているところで、ちょうどよいタイミングを見つけたのか、ドリンボは去っていった。これが世の中、これが就活、これが現実、なのか・・・。4年間一緒にやってきたのに、いとも簡単に戦友を引き剥がしてゆくのが社会なのか、と、ポッカリ心に穴があいたようであった。
その数十分後、準決勝が始まった。
ラインナップした7人の中に、いつもいるドリンボはいない、、、あれ、いるーーーーーーーーーーー!!!!
ドリンボ「俺はアルティをとった。パイロットの代償は高いぜ?ぜってー勝つぞ!!」
みんな最高に盛り上がった! いつもは鉄鉱石の削岩現場しか連想できない彼の顔面が、その時だけは、ちょっと、キムタクに見えた。
準決勝は、あっさり負けた。
それから8年後、そのままパイロットになっていたらそろそろ訓練も終わり大型旅客機の副キャプテンくらいにはなっているはずの彼は、現在ニート、1ワイフ・1ベイビー・7愛人を囲い、逞しく生きている。 |
|
2014 05,01 12:58 |
|
大学を卒業して8年。
在学期間の約2倍の時間が経つと、学生時代の記憶があやふやになり、なんだか美化されてくる。更に、大会とかで学生のアルティメッターを見てると、みんな若々しくて爽やかで、自分もあんな頃があったんだなぁと、とても懐かしく思えてくる。 ふと、当時の写真を振り返ってみた。 爽やかではない!!どこかにみんなで旅行に行ったとか、キレイな恰好して出掛けたとか、無い!!!!てか、被写体に爽やかさが全く無い!本当にこの顔で学生なのか???!! これが、現実。 (おまけ)まだ似てた頃の双子 |
|
2014 03,17 10:22 |
|
3/15,16の土日に今年も富士にてドリームカップが開催され、我らがベジグリフォンズも出場していた。 『格上あっても、格下なし』という信条(現実)に従い戦う我々は、この大会でも一点差を争うギリギリのアツい戦いを繰り広げていた。 しかし最も激アチだった瞬間は、サドンデスのオフェンス時でもなく、激風の中での試合前のフリップでもなく、日曜ののんびりした気候の朝イチのコートサイドで発生していた。 そんな激アチ空間を演出したのは、ベジグリフォンズのプロフェッサーことコウスケ氏と、 試合中盤、我々は焦っていた。残り時間が少ない中、オフェンスの不調により1ダウンで相手を追っていた。そんな中ディフェンスセットが失点し、オフェンスセットがラインナップしたくらいのタイミングで、突如サイドラインから怒号が響き渡った。 コウスケ「何で俺ばっかり文句言われなきゃいけねーんだよ!!!!タイムキーパーに確認したんだよ!!!」 コウスケ氏は憤怒の形相でそう怒鳴ると、同じくサイドラインにいたドリンボの胸ぐらにつかみかかった。 ドリンボ「なんだよおめーがいつも違うこと言うから悪りーんじゃねえか!!!残り時間5分じゃなくて、15分もあるじゃねえかよ!!!!」 胸ぐらを掴まれ怒鳴られたドリンボも一歩も引かず、まさに一触即発の修羅場に発展!それをチームメイトがなんとか引き剥がしてなだめ始めたくらいのタイミングで、相手がスローオフを投げ、サイドラインでのバトルは収束した。 ことのキッカケは、ふとドリンボがコウスケ氏に残り時間を尋ねて「残り5分」と伝えたすぐ後に、誰かが大声で「残り時間15分!残り時間15分!」と誤情報を宣言したことにより、ドリンボがコウスケ氏におめーはいつもふざけたこと言ってるんじゃねえよ!的な暴言を吐いたらしい。 コウスケ氏はわざわざ公式のタイムキーパーに時間を確認してから報告したにも関わらず不可解な情報が原因で罵倒されたのでおブチ切れになられたのは心中お察しするところであるが、コウスケ氏のブチ切れに対してのドリンボのそれを上回る逆ギレは謎が深い。 結局のところ、いらぬ誤情報を垂れ流した奴が真犯人なのであるが、その男とは、そう、私である。 俺たち激安ベジグリフォンズ(over 30)! |
|
2013 11,07 19:17 |
|
2013年10月、わしの所属するアルティチームのベジグリフォンズは久々に全国大会であるところの本戦に進出した。 1試合も気を抜くことができない激烈な試合と試合の間の休憩時間、ベジの中でも飛び抜けた変態である、夢の1983世代のじんぼは、同じく夢の1983世代のドリンボに気の利いたプレゼントを用意してきたのだという。 じんぼ「ほれ、オムツを買ってきたよ。」 たかがオムツ、されどそこには涙が出てくるほど感動的なストーリーがあるのである。 ご存知のとおりドリンボは日々自宅警備員として熱心に勤務されている一方で、湯水の如くガンホー(パズドラの会社)に課金(ミリオン超えの噂)をしており、それでいて新宿の摩天楼を一望できる一等地の新築物件をお買い上げになっているので、どうやって生計を立てているのか全くわからない状況にある。唯一わかることは、ただただ彼がパーフェクトフェイスなことだけなのである。 そんなパーフェクトフェイスな彼は、同じく夢の1983世代の韋駄天さん(現スピリッツ所属)と肩を並べるほど足が速いと自負しているため、今年誕生したベイビーに“最速”と名づけることを役所への出生届提出期限ギリギリまでためらっていたとのことであるが、じんぼはドリンボの生活環境やそのベイビーのことを彼なりに最大限気遣って、人知れず、今回オムツを買ってきてあげたのだった。 オムツを手渡されたドリンボが感謝のお礼を言うと誰しもが思った瞬間、彼はとんでもないことを口にした。 ドリンボ「これ成人用だから!!!!!!」 さすが夢の1983世代のじんぼである。今年の富士で一番の感動ストーリーが生まれたと思われた矢先、いとも簡単に瓦解したのであった。そしてあからさまにベイビーにはサイズ違いのオムツは、何の目的も果たすことのできないゴミと化したのであった。しかしその数分後、どこかから持ってきたカレーうどんの汁をオムツに流し込みチームメイトの遠征カバンにぶち込むという、用無しオムツの存在意義をすぐさま見出した1981世代の曽我さんのさすがの機転には、頭が上がらなかった。 そんなこんなでサックリ試合に敗れた我々は、途中で夕飯を済ませて富士宮にあるホテルに到着した。チームのミーティングを済ませ、各々風呂に入り、リラックスタイムに入っていた。 わしも例に漏れず風呂で今日の汚れを落とし、さっぱりした気分で部屋に戻る途中、部屋の前の廊下のあたりで何やらザワついている気配を察した。普段から非日常的な光景に慣れているベジの連中が、視線の先の対象からみんな同じくらいの距離をあけてドギマギしながら囲んでいた。 明らかに事件の香りがした。何だ?!喧嘩か???と思い、急いで現場に駆けつけてみると、そこには未だかつてない衝撃的な光景が繰り広げられていた。 そこには、全裸にオムツだけを装着した人が、ポツンと立っていた。ただ激しく違和感を感じたのは、身長が180cmくらいあった。 そして、ただ立っていただけではなかった。 明らかに用を足そうと全力で踏ん張っているではないか!!!!!!!!!! 日本経済新聞を購読する時間を犠牲にしてまで弊日誌を愛読される、推定平均IQ197の皆さんであれば、この行為が誰によるものか概ね察しがついているであろう。 全裸にオムツの男は、 そう、 ドリンボ あまりの光景に、わしは半分腰を抜かしかけた。オムツを装着して傍若無人に力んでいる成人男性を取り囲む野次馬の中に、イーサンというベジに新加入した外国人傭兵部隊の1人がいたのだが、明らかに「このゲス、死んでしまえばいいのに」という辛辣なお顔をなさっていた。日本国内での新人獲得マーケットをほぼ失いつつあるベジの中で、この常軌を逸した1件だけで海外市場まで途絶えてしまったのでは、激安なネタ提供の代償は大きすぎた。 そしてしばらくして、遂にその時がやってきた。永遠のライバル、ドリンボvsサイドギャザー。誰しもが少しだけ、ほんのちょっとだけドリンボの勝利を期待したが、先代の築き上げてきた文明技術にあえなく屈したのであった。 そしてドリンボはその血戦の後、トイレットペーパーで拭くことなく、何事もなかったかのように服をお召しになり、就寝されたのであった。 |
|
2013 10,02 18:42 |
|
【注意:極めて下品な内容ですので、苦手な方は読まないでください】 平成25年9月のアルティメット全日本選手権の東日本2次予選。 我らが好青年集団ベジグリフォンズは皆の予想を裏切り初日のリーグを首位通過し、宿においても高揚感に溢れていた。そんな中、ピアスに刈り上げモヒカンといういでたちのビーバップ整体師ことマコン君が夜に宿に到着し、献身的に疲弊した選手たちのマッサージに回ってくれていた。マコン君のマッサージは、「そこまで指が突き刺さっていいのか?!」と思わせるほど患部を指圧するため、皆ヒーヒー言うことは免れない。しかしマコン君が隣の部屋にマッサージに言ってしばらくすると、断末魔の如き叫び声が聞こえてきた。 「はあああああああああああああああああああぁぁぁぁぁう!!!!」 その叫び声の主は、 そう、 ドリンボ。 ドリンボが極度のオーバーリアクションであることは周知の通りだが、今回ばかりはただ事ならぬ事情があることを感じさせる叫び声であった。 わしは特に興味が無かったためその叫び声の理由を追究することは無かったが、翌日聞いた話によると、信州大学からの新入部員であるトミーが、マコン君のマッサージのどさくさに紛れて、どうやらドリンボの肛門に携帯電話を挿入してしまったらしい。 ただ肛門を拡張するだけならドリンボにとっては日常茶飯事の出来事のはずであるが、その日だけはどうも様子が違ったようだ。体を60度くらい傾けながらヨタヨタとトイレに向かったドリンボは、患部を手触点検して、宿に響き渡る声で叫んだ。 ドリンボ「痔ができてるーーー!!!!」 わしは地球上のあらゆるトピックスの中でもでも最も興味の湧かないこの件について、特に触れることもなく寝ることにした。 翌朝。 6時に朝ごはんを食べに食堂に向かうと、ケツを抑えながら不自然な動きでカタツムリ並の遅さで歩行している、苦痛に顔を歪めてもパーフェクトフェイスな人がいた。どうやら本気で痛い模様で、日常のあらゆる動作に支障をきたしているようであった。 その後試合会場に行き、ドリンボはなぜかスプレー式の消毒液を肛門にふりかけまくっていたが、チラリと患部の方に目を向けてしまったときに、驚くべきものを目にしてしまった。なんと、彼の肛門には親指くらいある特大の痔ができていた。朝から死にたくなった。 消毒液だけでは直接的な痛みがとれなかったのか、アップの前にキネシオテーピングをしてくれるテントに痔に効くテーピングをしてもらいにいったが瞬殺で門前払いされ(あたりまえ)、救護でロキソニン鎮痛剤をもらって帰ってきた。 しかしそのロキソニンの効果は抜群で、きっちり試合開始までに痔痛を調整してくるあたり、さすがパーフェクトフェイスである。ロキソニン効果は2試合分は持続したようだが、帰り道ではまた痛みが戻ってきたようで、ただの気持ち悪い人に逆戻りしていましたとさ。 めでたしめでたし。 <後日談> それから数日後、あまりの痔痛のため遂に病院に行ったパーフェクトフェイス。カメラ検査など受けた結果、全治1ヶ月とのこと。10月中旬の本戦には完治していなさそうなので、本戦に出られる選手たちはくれぐれも気安く彼のケツを挨拶がわりに叩いたり、棒で突いたりすることのないよう、ご協力をお願いいたします。 |
|
2013 08,14 15:51 |
|
何の悪気もなく、まわりを盛り上げようとの一心で繰り出した言動や行動が、時にその意図に反して驚くべき残酷な結果を生むことがある。
まさにそのようなシチュエーションに、先日出くわしてしまった。 とあるビーチアルティの大会にて。 わしはいつも通り「ベッカムに恋して」というチームに所属していた。このチームが自らをベッカム、ブラピ、デカプリオ、反町、パーフェクトフェイス等と名乗っているドリンボ(柴又地方では岩と呼ばれることもある模様)が中心となり、友人が友人を呼んで出来上がったことがこのチーム名の由来となっている。 我らがベッカムに恋しては、近年設立されたという東邦大学HEROZとの対戦となった。HEROZの選手たちはとても元気がよく、敵味方関係なくナイスプレーやおもしろいプレーに対してみんなで無邪気にはしゃぎ、大いに試合を盛り上げてくれたので、とても楽しい雰囲気で試合が運んでいた。 そんな和やかムードの試合展開の中、その後の身も凍るような事件が起きるとは夢にも思わなかった。 ベッカムに恋してのディフェンスセット。そのセットにはキャプテンのベッカムことドリンボが入っていた。HEROZのオフェンスがなかなか縦に進めることができずにいると、シビレをきらしたQBがロングをぶっ放した。奥での競り合いのディフェンスに、レシーバーにマッチアップしていたドリンボがディスクに向かっていった。 ドリンボは奥付きでついていたため有利なポジションをとることができ、いざ上空のディスクの競り合い!! 先に追いついたドリンボが有利なポジションから推定21cmの驚異的な大ジャンプをみせ、後から競り合ったHEROZのレシーバーが完全に当たり負けする形で上キャッチを炸裂させた。 その瞬間、コートサイドではしゃいでいるのHEROZのメンバーの中から生涯忘れられないであろう衝撃的な叫び声が聞こえた。 「うおー強えーーーーーー!やっぱ黒人は体幹がちげーーーーーーー!!!!」 涙が出てきた。 彼はベッカムもといドリンボをその日初めて見て、予備知識なしに感じたことをそのまま無邪気に口に出したのであろう。幸い、上競りの競り合いに勝った余韻にひたり散らかしているドリンボにはその残酷な叫びが聞こえなかったらしく、試合は何事もなかったかのように進行した。 わしはベッカムデカプリオを自負する友人がそんな勘違いをされていたことなど到底本人に伝えることはできないため、この鮮烈な記憶を墓まで持ってゆくことになるであろう。 |
|
2013 06,22 19:26 |
|
5月のある日、珍しい男から突然の連絡が入った。
ちゃんたま「HEYはるぴん、6月22日、ディスクゴルフしませんか?」 わしはその日特に用事が無かったし、激安で鬱陶しいちゃんたまとはいえ、まぁディスクゴルフならいいかと二つ返事でOKした。 それが、後に大きな罠であったことも知らずに… それから一ヶ月が経ち、ディスクゴルフ当日を迎えた。わしは前日にしこたま飲んだため猛烈な二日酔いでありほとんど心が折れる寸前であったが、ちゃんたまとその友人のためを思ってちゃんと家を出た。 集合時間通りの10時に新木場駅に着くと、そこにちゃんたまの姿は無かった。遅刻かコンチクショーと思い連絡してみると、案の定遅刻しやがっている上に、謎のメッセージが返ってきた。 ちゃんたま「おれはおくれてます!笑 改札前に木村っぽい人がいたら合流してください!ちなみに今日はサプライズ満載なんで期待してください!」 ちなみに、わしは『木村』が誰なのかも、連絡先も知らされていない。そしてサプライズ満載??最近何かあったっけなぁと思い返しても何も思い浮かばない。謎が謎を呼ぶが、二日酔いの頭痛の頭では深追いする気にもなれず、ただ叩き殺してやりてぇと思いながらちゃんたまの到着を待つことにした。 しばらく待つと、ちゃんたまが何の悪びれもなく到着した。わしが『木村』と合流していない旨を伝えると、 ちゃんたま「まじっすか。実は俺も連絡先を知らないんです。」 !!!????? THE放置プレイ?!! これがサプライズなのかと思ったら、更なるサプライズにより、衝撃が完全に上書きされた。 ちゃんたま「今日、何人来るか知ってます?(←知るわけがない) なんと、19人ですcome on baby!」 わしがただただ唖然としていると、ちゃんたまは更なるサプライズを繰り出してきた。 ちゃんたま「一応俺は会社の中でアルティメットの神と認識されてるんですけど、今回の社内のレクリエーションがディスクゴルフだったんで、はるぴんに社外講師として呼ばせてもらいました。」 レクリエーション???! 社外講師??!!!!! 事の真相は、このディスクゴルフはただ友人と遊ぶ事が目的なのではなく、ちゃんたまの勤める会社のレクリエーション企画のテーマがディスクゴルフで、自分だけでコーチすることに不安に感じたちゃんたまはぞんざいにわしを誘ったのであった。 わしは現地に着いてからそれを知らされるという、かなりレベルの高い鬼畜プレイをくらったが、もう後には引き返せない状況に陥っていた。そして何より鬼畜なのが、ちゃんたまが参加者の連絡先を誰一人把握しておらず、彼らと合流する手段が駅で声かけするしか無いという事態であった。 結局『木村』とは落ち合うことができないまま、新木場駅で30分ほど経過した。レクリエーションに参加するみなさんは11時集合とのことなので、その集団がいれば中には顔を知っている人がいるかもしれないという、ちゃんたまによる儚い希望的観測に基づく判断であった。 すると、少し離れたところに7人くらいの集団が形成されていた。 ちゃんたま「はるぴん、彼らに声をかけてきたらどうですか?僕からわざわざ行くのはもったいないです。」 理解を超える言動に硬直していると、さすがにちゃんたまから声をかけに行った。やはり彼らは『木村』(幹事さん)を含む参加者であった。総勢15人くらいの集まったところで、いざディスクゴルフのコースへ出発した。 コースに着くと、まずは講師紹介から始まった。 木村さん「今日行うディスクゴルフの講師は、アルティメットの神こと玉川さん(ちゃんたま)と、そのご友人のハルオさんです。」 するとちゃんたまが、このタイミングで死ぬ程鬱陶しい情報を挟んできた。 ・ハルオさんはディスクゴルフの大会で3位に入ったことがある。(本当は、ローカルの大会で参加者は10名のおじいちゃん) ・ディスクゴルフのルールを守らないとキレる。(別にキレない) ・サイドスローという投げ方があるが、ハルオさんが開発した。(開発していない) ・実は個人的に講師料20,000円を払っている。雨が降ったら30,000円になるので、晴れてよかった。(さっきまで講師することすら知らなかった) など、事実とは異なる情報を公然と垂れ流し始めたので、わしも対抗することにした。 わし「僕なんかローカルな大会で3位とかなので大したものではないのですが、ちゃんたまは韓国の大会で優勝したり、学生時代はアメリカのトップレベルの大学のチームでバリバリやって…」 と、わしが話している途中に、突然にわかには信じ難い耳打ちをされた。 ちゃんたま「はるぴん、スベってますよ」 肛門を二つにブチ割ってやろうかと思ったが、参加者のみなさんが見てるのでなんとか気持ちを抑えて挨拶を済ませたのであった。 その後みんなで少しスロー練をしたりして、いざディスクゴルフがスタートした。 うちのグループはH原さん、M黒さん、Y澤さんの四人グループだったのだが、7mくらいのアプローチを直接ゴールに入れたり、狭い木と木の間を普通に通したりなど、慣れるにつれてどんどんうまくなっていたので嬉しかった。それより何より楽しそうに取り組んでくれたのが一番であった! 全員がコースを回り終え、順位発表と景品の授与が行われた。そこで、まさかの結果が待っていた。 1位 ちゃんたま ぶっちぎりで1位をおとりになっていたが、何かおかしい。アルティメットの神ことちゃんたまは講師枠ではなかったのか?!当然わしは講師枠だったので表彰の対象にはならなかった。フリスビー歴10年近いちゃんたまは、初心者のみなさんを蹂躙した上、誰よりも嬉しそうに賞品をもらっていた。目の前に繰り広げられている信じられない光景に、わしはショックのあまり失禁寸前であった。 しかしながら、アルティメットの神ことちゃんたまに数々のサプライズや誹謗中傷を受けながらも、みんなと一日を過ごさせてもらってとても楽しかった! スポーツを通してのコミュニケーション、最高ですね!ありがとうございました。 |
|
2013 03,16 20:45 |
|
ドリームカップ。わしは久々に実家の車を出すことにした。
朝5時、今大会ではUSAオールスターと戦える可能性があるということで、わしは意気揚々と実家を出発した。ママンにおにぎりと飲み物を用意してもらっていたため準備万端、体調もバッチリであった。
一路富士へ!、の前に、吉祥寺に寄り道。ロータリーに着くと、向こうから飲み会明けで顔がパンパンにむくみ、ピンクの長袖ユニを装着した男が近づいてきた。そのおとことは、そう、
どりんぼ
これだけが今回の旅路の誤算であった。どりんぼがわしの車に乗ることは前夜に決まったのだ。
どりんぼは朝の3時まで飲んでいたようで、ひたすら眠そうであった。高速に乗ってしばらくすると、助手席はフルフラットに倒れ、眠りにつかれた。快適な一人ドライブが再開された。
無事に富士インターをおりて一般道を走っていると、なんだかニオイがしてきた。富士には漬物工場があったので、ふと懐かしさを覚えた。
…?
違う!!!漬物のニオイではない!!!!!
わしは反射的に窓をフルオープンしたが、時すでに遅し。寝ているドリンボのケツから溢れ出てきた高密度の屁は既に車内に充満していた。わしは必死に外の空気で深呼吸したが、完全浄化には至らず頭痛がしてきた。
頭痛をこらえ、なんとか会場近くのコンビニに辿り着いたところで、ふと一つの不安が頭をよぎった。
「ん、この胃の感じ、まさかわしは吐くのか??」
自分の思いに半信半疑ながらもトイレに行ってみると、まさかの大嘔吐。
その後も体調は優れず、一試合目の途中にコート脇の茂みで嘔吐。
次の試合、念願のUSAオールスターとの試合なのに、このままわしのドリームは終わってしまうのか?!と絶望していると、ようやく体内のガスが全て放出されたのか、何もなかったかのようにケロっと治った。
一時的な体調不良の原因は、どう考えてもドリンボの放出した屁以外考えられない。
ドリンボと密室を共有する方は、必ず換気の準備、またはガスマスクの準備を怠ることのないよう気をつけられたし。
|
|
2013 02,06 17:28 |
|
|
|
2012 08,07 18:48 |
|
先日の練習にて、
・前日のパーティーの影響でバスの発車時間に遅刻 ・先に着いていた優しい先輩(わし)がわざわざバスを見送って一緒にタクシーで行けるように待っててあげてるにも関わらず、そんな優しい先輩をぞんざいにもドリンクの買い物にパシる ・ノースリーブ&ハーフチャック&ハイカラーという異次元のスポーツウェア(アウトドア系)を装着 ・曽我さんの放った、胸元に落ちてきてキャッチするだけのスウィートなロングシュートを、太陽拳をくらったとかなんとかでスルー→TO という数々の鬼畜行為を繰り出して鬱陶しさ満開のちゃんたまであったが、なんだかんだで彼が一目置かれているのには訳がある。それは、「アメリカでの学生時代、地区予選決勝にて、ボゥを擁する史上最強のコロラド大学Mamabirdとギリギリの死闘を演じたことで有名な、カリフォルニア大学サンタバーバラ校Blacktideのオフェンスセットであった」という自称スーパーエリートの肩書きをふりかざし散らかしているからである。 しかし彼と会ってから1年、卓球&テニスちょザコ事件、K-POPダンススクール@渋谷事件、そして挙句の果てには済州島拘束P事件など極めて安いネタばかりを提供してきたこともあり、その肩書きも偽造されたものなのではないかという疑惑が巷で話題になっていたことは耳に新しいことと思われる。 しかしそんな周りの不穏な空気を察してか、ヤツはここにきて汚名返上キャンペーンを炸裂させてきた。 7月14日(土)。そう、世界大会@堺の決勝の日。 ちゃんたま:「あ、あれ俺の後輩だ!」 我々は観客席で試合を観戦していたのだが、誰も聞いていないのにちゃんたまが突然興奮した口調で話しながら、ツカツカと歩いていった。 後輩って誰やねんと彼の行方を見守っていたら、なんとあろうことか彼は女子のアメリカ代表の集団に突入してゆき、キャーキャー言われながら公然と女子たちを抱き散らかしているではないか。 ガビーーーーーーーーソ ご満悦の表情で戻ってきたちゃんたまの腕にはいつの間にかアメリカのリストバンドが装着されており、大学時代の後輩がくれた、とのこと。 クソ鬱陶しい!!!!!ΣΣ(゚д゚lll)ズガーン!! そして対北米戦略アナライザーとしてこの大会に参加しているわしでも知りえない情報をチラ見せ。 ちゃんたま「俺の後輩が今ボゥと付き合ってるんだって!超ウケる!w」 た、た、叩き殺してやりてえ!!!!!!ガ━━(゚Д゚;)━━━ン!! モ前はPCの画面を通してでしか北米アルティ情報を収集することのできないけど、漏れはリアルワールドで北米アルティ界を体験してるんだよっ、このキモヲタが!!!!!! ということを暗に叩きつけられたわしはグウの音も出すことができないほどの敗北感を感じたのであった。 それからだいぶ日のあいた後日、某氏からこんなタレコミがあった。 http://www.dailynexus.com/2005-05-12/mens-ultimate-uc-san-diego-denies-tide-nationals-berth/ 注目すべき文: Senior Jonny Hester and freshman Yoshi Tamagawa offered significant contributions to the team. 要するに「2005年UPA Collageの地区予選にて、(Blacktideの)4年生のジョニー・へスターと1年生の鬱陶し野郎・ちゃんたまはチームにとても貢献した。」ということである。ちなみにジョニー・へスターは今世界大会にアメリカ代表として出場していた。某氏曰く、当時ジョニー・へスターと肩を並べていた俺はアメリカ代表級!ということらしい。 極めて謎の多い男である。 |
|
2012 07,23 11:26 |
|
世界大会向けにベジ専属の謎の画伯にデザインを依頼していたものがあるのですが、不運なことに日の目を見ることがありませんでした。
ただこのまま埋もれさせてしまうのはもったいなさすぎるため、購入希望者を募って制作したいと思います。 購入希望者は、「7/25(水)20:00」までに「名前、希望サイズ」をFBのコメントとか、メッセージとかでお知らせください。 10人集まったら発注したいと思います。デザインのサンプルでは丸首シャツになってますが、実際はポロシャツになります。恐らく3500円くらいになると思われまーす。 |
|
2012 07,19 20:15 |
|
みなさんは直島(なおしま)をご存じだろうか。
直島とは香川県と岡山県の間の瀬戸内海に位置する小さな島である。 ただ直島が他の島と違う所は、直島は「アートの島」と呼ばれており、島じゅうに美術館はもちろんのこと、芸術作品やアートなプロジェクトに基づく家(家プロジェクトと呼ばれている)が点在している。 また、自然に囲まれた街並みもまるで昭和初期のような風情を漂わせており、その辺を散歩しているだけでタイムスリップしたかのような非日常感を感じることができる。 そんな直島は、1つの小さな島にも関わらず世界中から芸術に興味のある人たちが訪れるのだという。もちろんアルティ界のユニをつくり散らかしている、自称・安い方のハイパーメディアクリエイターことわしも例外ではなく興味を持っている。 関西方面への旅行の際に、ゴリ押しで直島ツアーを提案して総勢7人で直島を巡ったのであった。 直島に訪れる観光客はさすがにアート系の人種が多い。しかし彼らがだいぶ奇抜なファッションをしていても、不思議と直島だと馴染む。わしは当初ノーマルな服装をしていたのだが、半日ばかり過ごしているとわしの中に眠るアートの心に火が付き、ノーマルな格好をしている自分に苛立っていることに気付いた。 「東京エロス倶楽部ベジグリフォンズの安い方のハイパーメディアクリエイターという看板を背負って直島に来ているというのに、今のわしの格好のだらしなさといったらなんたることか。世界中から集うアートな人種たちにベジグリフォンズ魂を見せつけてやる!!」 わしは決心した。 ベジユニ2011モデルの上下を私服として装着し、更に真っ赤なスニーカーで足元を固め、意気揚々と街を歩いた。 背中にアートな紳士淑女・おしゃれキッズたちの視線をビシビシと感じる。そして中にはわしのことを直島に設置されている1つのアートと思いこんだのか、カメラをこちらに向けている人たちもいる。 「か、完全に勝ち組や…」 と、この現状でもだいぶ満足しているところに、事件は起きた。 わしのことを遠巻きに眺めている人たちの中に、1人やたら目が合う可愛らしいアート系女子がいた。なんかやたら目が合うなぁと思っていたら、その女子はおもむろにトコトコ歩いてこちらにやってきて、わしの胸元を指さして話しかけてきた。 アート系女子「そのキャラなんて言うんですか?」 がびょーん、可愛らしいアート系女子がわし(の着るベジユニ)に興味津津丸!! しかし女子とのコミュニケーションに全く免疫の無いわしはその質問に対し全く気の利いた回答をひねり出すことができず、パニックに陥ってしまった。 わし「ベジグリ君って言います。」 アート系女子「ベジグリ君?それって私服なんですか?」 わし「・・・はい。」 アート系女子「へー。何でベジグリ君って言うんですか?」 わし「・・・えーと、(お腹あたりにあるVegeGriffonsという文字を指さしながら)なんかベジグリフォンズっていう訳のわからない言葉があって、それのキャラクターなんです。」 アート系女子「へーー。それって自分でつくったんですか??」 わし「・・・えーと、関西方面に僕が画伯と呼んでいる人がいまして、その人にベジグリ君を描いてくださいってお願いしたんです。(背中を向けながら)ちなみに背中にもベジグリ君がいるんです。」 アート系女子「へーーー。あーー、短パンにもキャラクターがいる!写真撮ってもいいですか??」 わし「どどどどどどーぞ。」 と、ガチで正面と背面から写真を撮られた。あまりに突然の出来事にわしはだいぶ取り乱していたが、キメ顔だけは忘れなかった。 アート系女子「ありがとうございます。すごいシャレオツですねっ☆」 素敵な笑顔を残して、アート系女子は去っていった。 壮絶な敗北感に打ちひしがれたわしは足元にあった椅子に崩れるようにして座り込んだ。 そしてわしの隣でその一部始終を見守っていたたくちゃんがポツリと言った。 たくちゃん「はるおさん、病気ですね。」 そんな、暑い暑い日の夏の思ひ出・・・ |
|
2012 05,08 19:03 |
|
その旅立ちは、とても順調なものとは言えなかった。期待よりも不安が先行し、言葉の通じない土地で知らない人ばかりに囲まれて、わしはいったいどうなってしまうんだろうか…、出発直前までそんなことばかり考えていた。
ひょんなことから、わしは済州島のアルティトーナメントに参加することになった。所属チームは「ソメイヨシノ」といって、ハスキー系でも、ベッカム系でも、ベジ系でもない。法政系を中心に、その友人たちが集まったメンバーの中に、もともとわしの友人と呼べる人は一人もいなかった。なぜわしはそんな状況にぶち込まれてしまったのか。 そこには、あるハード鬼畜プレイマニアの男の存在があった。 わしが済州島トーナメントに参加するきっかけとなったのは、とある3月上旬の小岩練へ向かうバスの中での会話である。曽我さんが一緒に乗っており、突然こんなことを言い始めた。 曽我氏:「ハルオ、済州島の大会って知ってる?俺、えびみりんの人から誘われてるんだけど、人数足りないみたいだからハルオも出ようよ!超楽しいらしいよ!!」 わしは以前の業務日誌にもあるように、かなり前からこの大会に興味を持っていたが、人が集まらなかったりなんだかんだで都合が合わず、これまで一度も参加することができずにいた。そんなこんながあってのお誘いだったので、特に他のメンバーのことも詳しく尋ねずに参加することに決めた。曽我さんもいることだし、まっ、いっか、というノリであった。 その日から2週間くらいが経ち、チームの取りまとめ役のカンちゃんという人からチーム結成の挨拶と、メンバー紹介の連絡が届いた。 カンちゃん(法政) ユウト(法政) ちの(法政) ともちゃん(法政) マリさん(上智、えび) ケイちゃん(横国、えび) みっちー(日体、セブンカラーズ) タカヒロ(日体、クルーズ) ダイシ(立教、ロキ) マル(慶應ホーンズ、トリガー) チュンソク(現地の韓国人選手) わし(慶應ハスキー、ベジ) おかしい、リストに載っているべき男の名前がない。 わしはマリさんにあの男はどうなっているのかを尋ねてみると、 マリさん:「曽我君はキャンセルになったよ~。」 …。 …。 …。 モノホンの鬼畜――――――!!!! キタ━━━━ヽ(゚ρ゚ )ノ━━━━!!!! わしはこのようないきさつで、韓国へ行くこととなった。しかも旅程もわしだけ別プランであり、みんな韓国に前日入りしているのに対し、わしは前日に大阪入りし、当日朝に関空から済州島へ直行便という極めて不安なものであった。また、済州島空港到着予定時刻が11:50で、次の試合開始時刻が13:00であったのも驚愕の鬼畜プレイであった。 大会前に顔を合わせたのは練習で集まった1回のみ。その練習に来れなかった人とは現地で初顔合わせといった状況であった。 わしはメンバー決定のお知らせから現地のグラウンドに着くまで、不安で不安でしょうがなかった。ほとんど知らない人たちとの週末はどんなことになってしまうんだろうと、一時はエントリーを後悔したこともあった。 しかし、いざ現地に着いてみると、そんな不安はすぐに吹き飛んでしまった。スポーツって、ホントこういうところが素晴らしい。 初日は4試合あった。わしは遅刻していったので2試合しか出ることができなかった。相手のレベルはさほど高くなかったが、わしがミスを連発(エコノミー症候群のせいだと必死に言い訳した)し、勝てる試合を落とす。2勝2敗。しかし得失点差か何かで、なんとか翌日の決勝トーナメントに進むことができた。 と、まぁ試合はボチボチな感じであったが、済州島の楽しみは夜のパーティーである!毎夜壮絶なパーティーが繰り広げられる。 初日夜のパーティーは、ホテルからチャーターバスで20分くらい離れた2階建ての酒場であった。貸し切りのその会場は、アルティの選手で埋め尽くされていた。パーティー費用はまさかのタダなので、恐ろしい量のビールが消費された。肉を食べたいだけ食べ、ビールを飲みたいだけ飲む!天国である。いつの間にか隣に知らないガイジソがいたり、今まであまり面識のなかった西日本の選手と知り合いになったり、アラブ系の顔をしたお方に「ホットシナモン」と書かれたあからさまに怪しいビンに入った粉をスプーン大盛り口にぶち込まれたり、それはそれは楽しいものであった。この日は翌日に試合も控えていたので、0時前にはお迎えのバスが到着し、ホテルへ送り返された。 そのバス中で、わしはある異変を見逃さなかった。 IKUのメンバーとして参加していた激安K-POP野郎ちゃんたまが、肉食系女子複数人にあからさまに気に入られていた。後日談を聞くと、彼はホテル到着後女子部屋にお持ち帰られていた。女子部屋では3人がかりで拘束されたあげく、大変なチョメチョメに遭ったとのことである。しかし翌朝会った時、口では「キビシかった…」と言っていたものの、その表情はまんざらでもなかったような感じだったは気のせいだろうか。 わしはわしで、自分の部屋に帰った後、耳舐めプレイをくらいまくった。どこもかしこも、極めてハレンチな夜である!!しかし残念なのは、耳を舐めてきたのがガイジソ女子でもなくニッポソ女子でもなく、法政男子のユウトだったという事実である。 2日目。 3試合が予定され、初戦に勝てば準決勝である。しかし激戦の末無念の敗退。是非勝ち上がって準決勝で優勝候補のIKUと戦いたかったところだったのだが、一歩及ばなかった。残りの順位決定戦の2試合には勝利し、結局5位。寄せ集めのメンバーで練習も1回しかしなかった割にはボチボチの結果と言えるだろうか。 さぁ、今夜もお待ちかねのパーティーである。この日は一次会は焼肉、二次会はダンスホールであった。一次会ではIKUのカヨに緑トウガラシを無駄に食わされ、わしとダイシは途中から全く使い物にならない状況に追い込まれてしまった。焼肉はすごくまいうーで、ユウトの誕生日サプライズのイベントとかもあったはずなのだが、トウガラシの圧倒的な存在感に記憶がかき消されてしまっているのがとても悲しい。 ビール、マッコリ、ソウジュ(韓国の焼酎)を大量摂取し、その上緑トウガラシの追い打ちで既に頭痛が半端ない状態で二次会のダンスホールへ。どのように移動したのかもあまり覚えていない。 気付けばダンスホールで知らないガイジソたちと相席しルールもよくわからない飲みゲーいをやっていると、日本でのテンションの6倍はノリノリでイケイケのちゃんたまがやってきた。 ちゃんたま:「ひゅぅ!ハルピンも奥でダンスしようよCome on baby!」 クソ鬱陶しいと思いながらもついていくと、そこには内気なわしなんかでは到底溶け込めないようなホットな空間ができあがっていた。みんな踊りまくっており熱気がムンムンしていた。わしが集団の端でモジモジしていると、既に汗でビショビショのちゃんたまに押し込まれ、いやでも踊っている風の空気を醸し出さざるを得ない状況に追い込まれてしまった。そんなこんなしているとそこの全員がだんだんヒートアップしてきて、いつの間にか全員上裸になっていた(さすがに女子は下着をつけていた。たぶん。)。酔っぱらってるし頭痛いし、ちゃんたまがレッスンに通っていることでおなじみのK-POPダンスをここぞとばかりに炸裂させているし、何が何だかわからん状態だったが、ひたすら楽しかったことは覚えている。 いつ服を着たのかどうやって歩いたのか何が何だかわからん状態のまま人の流れに任せてホテルの部屋に着くと、わしはある異変に気付いた。 あれ、ここはわしの部屋ではない。 そこにはVナスさんやMッチーさんといった、肉食系女子にカテゴライズされる方々がいらっしゃった。 捕食される・・・・・!! 脳裏をよぎった瞬間、草食系男子国代表わしはウサギの如く脱走していた。しかし今となってみれば、いきなり脱走するなんてちょっと失礼だったなぁと、少し後悔している。もしかしたらそこから哲学の議論が始まる可能性だってあった訳なのだから。逃げてごめんなさいテヘペロ いつ寝たのかも覚えていない壮絶な夜が終わり、最終日の朝を迎えた。当然わしはエライ二日酔いであった。しかし済州島マスターのカンちゃんに教えてもらった二日酔い用ドリンクや、ともちゃんからもらった頭痛薬を飲んだ後、韓国うどんを食べたらすぐに治った。その日は普通においしいご飯を食べたり買い物をしたり、観光を楽しんだ。夕方、日本へと飛び立った。 アルティあり、キャッツのメイクあり、無限のビールあり、カンチョーあり、緑トウガラシあり、ダンスあり、サイクリングあり、おいしいご飯ありと、この上なく楽しい3日間であった。おっと、実際に会うまでは不安だったメンバーたちも、この3日間ですごく仲良くなることができてホントよかった! 終わってみれば完璧に楽しい3日間であった!! ポッポチュセヨー!! |
|
2012 04,09 18:27 |
|
青春ど真ん中、高校3年生のホッケー県代表セレクション試合がゲヴォさんの嘔吐で無効試合になって以来のショッキングな事件が起きた。
それは忘れもしない、2012年4月8日春の陽気が気持ち良くなってきた立川での練習にて。 その日わしは怪我の治療をしてから練習に向かったため、チームの集合時間より1時間ほど遅れて練習場に到着した。立川の練習場は土手になっており、その上を歩きながらみんながどこで練習しているのかを探していた。 土手を1人とぼとぼ歩いていると、遠くの方でフリスビーを投げている集団を発見。わしはそちらの方に向かっていると、かなり前方の方で同じく土手の上を歩く1人の男の姿を確認した。ただ歩いているなら特に気にならなかったと思うのだが、わしは何だかその歩き姿に違和感を覚えた。少し近づきつつ観察してみると、手で顔面を押さえながらヨロヨロと目的もなく歩いている。歩いているというよりかは、徘徊していると表現したほうが雰囲気的には合っていたかもしれない。その男の後ろ姿からドリンボであることは間違いなかったのだが、遅刻していたしドリンボがただの二日酔いでフラフラしているだけだったら面倒くさいと思い、とりあえず放置してわし1人土手を降りて荷物置き場に到着した。 わしがスパイクを履いたりと準備を整えていると、ふと土手の上に人影を感じたので見上げた。 わしは言葉を失った。 ドリンボの顔面が壊滅的なまでに崩壊している??!!!! 酒を飲みすぎた日の翌日の奴の顔面は結構むくんでいてパンパンだったりするのだが、それでも原型を留めたむくみ方であった。 しかし今日は違う。 顔全体がボコボコに腫れ上がり、腫れ上がりすぎた肉が重力で垂れ下がっている。もはやその顔面からは原型が想像できず、パッと見で50歳は越えているような見た目になっている。 わしは心底ゾッとした。 これはこれまで恨みを買った人たちによる呪いなのか。それとも、安い暴れん棒将軍として暴れ散らかしていた奴の行動が遂に神様の逆鱗に触れ、天罰が下ったのか。 とにかく、このままの顔では今までの生活は不可能というほど恐ろしい顔面をしていた。あまりに顔面が痛かったのか水で洗ったようなのだが、その水が滴っている感じもより恐怖を引き立たせていた。 激安ハイパーアナライザーを自称するわしは事件解明のため本人に事情聴取してみた。聞くところによると、朝練習場に着くまでは普通の顔をしていたらしい。しかしコンビニのパンを食べ、日焼け止めを塗り、6kmくらいのジョギングを終えたところで急激に顔面に痛みを覚えてこんなことになってしまったとのこと。 ここで賢明な読者はおわかりになったことだろう。これは呪いでも天罰でもなく、周到に仕組まれた計画的犯罪だったのである。 コンビニのパンを食べる。これは単なる偶然であり、奴の選ぶコンビニやパンをコントロールすることは不可能に近い。 6km走る。これもチーム全員で行っていることなので、これが原因で顔面が腫れ上がることは考えにくい。 残るは、そう、日焼け止め。 ドリンボの、確実に他人の日焼け止めを使うという習性は学生時代から現在に至るまで変わっていない。その習性を利用し、わざと奴の近くに毒を盛った日焼け止めを放置し、まんまと使うよう誘導することはたやすいことである。 そして決定的な事実として、最近ドリンボに対して強烈な恨みを抱いていると思われる人物と、ドリンボの使った日焼け止めの所有者が、なんと一致している。 点と点が線となり、犯人像が具体化されてゆく。 新聞でも、テレビでも、ラジオでも、インターネットでも明かされていない、立川ドリンボ毒殺未遂の犯人とは・・・。 そう、ラフェ・・・ (真犯人を知りたい方は、速やかにベジグリフォンズへの入部手続きをお済ませください) |
|
2012 04,06 09:06 |
|||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
2012ドリームの個人成績。雨が降ってスコアシートへの記入が完全でなかったり、車の中に置きっぱなしで記入してない試合があったりと、残念ながら信頼性に欠けるデータであります。
|
|||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
2012 04,03 12:35 |
|
2012年3月吉日、東京は西麻布にてランボーとマイコの結婚式が執り行われた。わしはベジのメンバーとして二次会から参加させていただいたのだが、意外なことにランボーが主役のパーティーにしては至極穏やかな雰囲気のまま閉会と相成った。新郎による締めの言葉もキッチリとまとめられ、噂に聞いていたランボーのランボーたる由縁である破壊活動が微塵も感じられなかったことにわしは違和感すら覚えたまま会場を後にしたのであった。
そして三次会会場である西麻布ZESTへ。まさかここがこの後バトルコロシアムに変貌するなど、当時のわしは知る由もなかった。 三次会会場にて、ベジの社交性がなくてキモチワルイ男集団10名あまりは一角の長テーブルを陣取り、女子を席に呼んではゴミのようなコールで飲ませる(元部長主導)という最低な遊びに興じていた。そんなこんなしていると、遅れてお召し替えを済ませた新郎新婦(ランボーinアロハ)も会場に合流。ランボーはベジとは別の集団の方に絡みに行ったのを目撃した。 それから20分くらい経過したところで、いきなり謎のマイクアナウンスが入った。 ランボー:「みんな今日は飲みましょウィ~~~!!!」 今思えば、これがパーティー会場から闘技場への突入のゴングであった。 謎のマイクアナウンスから少し経つと、既にあちら側の世界の方の目つきをしたランボーが千鳥足でベジ席に寄ってきた。寄ってくるやいなやボディープレスをかまして体勢を崩し、転がった相手にボディーブローを喰らわせ弱らせたところでヘッドロックをかけつつ耳を咬むという暴力行為を繰り出してきた。最初の犠牲者はコウスケ先生。コウスケ先生はその後もすれ違いざまにみぞおちにボディーブローを喰らったり、情け容赦のない首投げを喰らい側頭部からベンチの座面に激突するなど、さすがのやられっぷりを見せていた。また曽我さんとちゃんたまもランボーのターゲットとなり、なぎ倒されて耳を食いちぎられそうになる被害を受けていた。曽我さんは必死な抵抗を見せていたがランボーの圧倒的な腕力に組み伏せられ成すがままに耳の穴を舐め散らかされていた。一方ちゃんたまはそんなランボーの暴力的な行為や耳舐め行為がまんざらではなかったらしく、自ら抱き寄せて恍惚の表情をしていたように見えたのは気のせいだっただろうか。 3人殺したランボーはまだ飽き足らず、少し離れた場所で初対面の女子と悩み相談に興じていたドリンボを標的にして突進していった。ラグビー部仕込みの重心の低いタックルをぶちかまし、体勢を崩したところで首投げを仕掛けようとしたランボーに、ドリンボは怯むことなく全力で応戦。それに対してランボーも更なる力技でドリンボを投げ飛ばそうとした瞬間、わしは見逃さなかった。 あの激安の殿堂ドリンボの目に殺意の波動が光った。 そこでリアルバウトに発展しそうだと察した野次馬が2人を必死に引き剥がした。この乱闘によりドリンボのスーツが大破。背中が真っ二つに裂けたスーツがその凄まじさを物語っている。「この光景どこかで見たことあるぞ?」と思ったが、それは現実ではなく、米ドラマ・プリズンブレイクの囚人の乱闘シーンであった。 その後もコウスケ先生がすれ違いざまにボディーブローを喰らったり、ヒラがヘッドロックをくらったり、双子兄方のケイスケが豪快に突き飛ばされ5m後ろの柱に激突する(この瞬間も、ケイスケの目に殺意の波動が光った。それを察した元部長が管理職らしく、凄まじいスピードでケイスケのクールダウンのためになだめに入っていた。)など、そんなこんなでベジのメンバーの半数以上がランボーに殺されたところで、ふと壁のようにそそり立つ巨人が近寄ってきて、落ち着いた口調で言った。 葛西:「彼の先輩である僕が、責任を持って面倒見させてもらいます。」 この救世主のような発言をした葛西とは、ICU出身のわしの同期の男である。もともと身長が180cm以上あってでかいのだが、社会人になってだいぶ肉がついたようで更にその迫力を増していた。 仕置人・葛西は、既に他の人をぶち殺しにかかっているランボーの背後から近づき、ベルトと襟首をふん掴んで引き剥がした。すると怒り狂ったランボーは続けざまに2発のボディーブローを葛西のレバーに叩き込んだものの、分厚い肉に守られた葛西は動じることなく、ランボーを上回る腕力によってそのままランボーを強制連行。 嵐が去った。 その後しばらくランボーは姿を見せていなかったが、いきなりマイクアナウンスが始まった。 葛西:「本日はみなさまお忙しい中、新郎新婦のためにお集まりいただきありがとうございました。宴もたけなわではございますが、・・・かくかくしかじか・・・。それではお開きとさせていただきます。今日はありがとうございました。」 ええええーーーー!!! 招待者がパーティーを締めた~~!!!!!! あまりにも刺激的な三次会であった。そして、そんな状況にも全く動じることのなかったマイコは、ランボーの妻にふさわしい度量を備えたすごい人なんだと改めて感じることができたのであった。 |
|
2012 03,05 16:57 |
|
タイトルを見て、「ああ!あれのことか!」とわかった気がした人は、すぐに病院に行った方がいい。
健全な日本国民の99.9%以上に理解し得ないであろう奇怪な行動を、遠くチェコはプラハの地にて目撃してしまったことを思い出した。 2010年7月、ハスキーズの負の遺産またはクズの親玉(と某後輩に呼ばれているらしい)ことドリンボ、元部長、わしの3人のゴミたちは、プラハでの世界大会出場権を獲得しつつも人数不足に悩まされていたノマに金魚のフンのような形でついていったことはご存知かと思う。クズの親玉衆の中でも群を抜いた安さを誇るドリンボは、中世の伝統ある景観の残る魔法の都プラハにて、日本代表のプライドを賭けた安さを炸裂させていた。 大会も中盤に差し掛かった4日目。リーグ戦を勝ち上がった我々は、強豪カナダはMephistoとの対戦を控えていた。Mephistoは海外アルティヲタのわしでも聞き慣れない名前であったが、2006年のオーストラリア・パースでの世界大会の際にも出場していたのでカナダないでは有名なチームなのではないかと推測された。 試合会場のスタジアムに到着すると、Mephistoのメンバーは練習を始めていた。この中にわしの知る選手はいないものかと遠めに視姦していると、顔を見なくてもわかるほどの圧倒的な存在感を誇る巨塔がそそり立っていた。 ま、まさかあれは!!!!!!!! アンドリュー!!!!!?? そう、Furious黄金期のキャプテンを務め、Furiousはもちろんカナダ代表の精神的支柱として君臨していた、アンドリュー・ラグストン(Andrew Lugstin)がいるではないか!遠目から見ても、196cmの巨体からは凄まじいオーラが放たれているのが感じられた。こんな人がいるチームと対戦することになるとは!!!わしはすぐにチームに報告したことは言うまでもない。 残念ながら試合はサドンデスの末16-15と惜敗してしまった。意気消沈した試合後の円陣の直後に、せめてもの記念にと我々はアンドリューとコミュニケーションをとってみようと近寄った。 適当に挨拶とかしているだけで、いかに彼が紳士的な男かを感じ取ることができた。爽やかな笑顔を見せつつ、いかにも賢そうな口調で易しく話してくれた。さすが長年カナダを引っ張ってきた男。わしは感慨深さのあまり失禁寸前であった。 そんな中、次の瞬間、青天の霹靂の如く衝撃的な言動がわしの脳天を貫いた。 ドリンボ「Hi, my name is Ando Ryu. Your name is the same with me, WAO!」 (訳 ハイ、僕は安藤龍だよ!同じ名前だね、ワオ!) アンドリュー「Oh,Ando? Nice!」 (訳 アンドー?ナイスだね!) ドリンボ「Yeah! Please take photos with me!」 (訳 そうだね!一緒に写真とってよ!) ・・・ わしの全身は大理石の如く硬直し、そして自分の耳を疑った。 現実を受け止めるのに途方もなく永い時間を要した。 !!!!??????? アンドウ リュウだと!!!!!???????? わしの隣で得意げにアンドリューと話している下衆な男が安藤という名前だったことは、出会ってから一度も耳にした事が無い。そして、どんなに掘り下げて検討してもメリットが一つも浮かばない安い嘘を、よりによってアルティ界の生ける伝説に向かって平然とつき通している。わしはこの男を直ちに殺害する義務感に駆られたが、あまりのショック状態だったわしは微動だにすることができなかった。 そんな、生ける伝説・アンドリューと安さの殿堂・安藤龍のツーショットがこちらである。 それから2~3日ばかりは彼は安藤という人格を持ち合わせていたようだが、チェコを経つ飛行機に乗った時点でその使命は解消されたようである。 ちなみに、タイトルにあった「アンドー 怒りのアンドリュー」は一体何なのかというと、大会会場にあった自由にお絵かきができるスペースに、奴が日本の威光を見せ付けるべく描き上げたゴミのような落書きに由来する。 |
|
2012 02,28 13:36 |
|
忍者ブログ [PR] |