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2013 03,16 20:45 |
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ドリームカップ。わしは久々に実家の車を出すことにした。
朝5時、今大会ではUSAオールスターと戦える可能性があるということで、わしは意気揚々と実家を出発した。ママンにおにぎりと飲み物を用意してもらっていたため準備万端、体調もバッチリであった。
一路富士へ!、の前に、吉祥寺に寄り道。ロータリーに着くと、向こうから飲み会明けで顔がパンパンにむくみ、ピンクの長袖ユニを装着した男が近づいてきた。そのおとことは、そう、
どりんぼ
これだけが今回の旅路の誤算であった。どりんぼがわしの車に乗ることは前夜に決まったのだ。
どりんぼは朝の3時まで飲んでいたようで、ひたすら眠そうであった。高速に乗ってしばらくすると、助手席はフルフラットに倒れ、眠りにつかれた。快適な一人ドライブが再開された。
無事に富士インターをおりて一般道を走っていると、なんだかニオイがしてきた。富士には漬物工場があったので、ふと懐かしさを覚えた。
…?
違う!!!漬物のニオイではない!!!!!
わしは反射的に窓をフルオープンしたが、時すでに遅し。寝ているドリンボのケツから溢れ出てきた高密度の屁は既に車内に充満していた。わしは必死に外の空気で深呼吸したが、完全浄化には至らず頭痛がしてきた。
頭痛をこらえ、なんとか会場近くのコンビニに辿り着いたところで、ふと一つの不安が頭をよぎった。
「ん、この胃の感じ、まさかわしは吐くのか??」
自分の思いに半信半疑ながらもトイレに行ってみると、まさかの大嘔吐。
その後も体調は優れず、一試合目の途中にコート脇の茂みで嘔吐。
次の試合、念願のUSAオールスターとの試合なのに、このままわしのドリームは終わってしまうのか?!と絶望していると、ようやく体内のガスが全て放出されたのか、何もなかったかのようにケロっと治った。
一時的な体調不良の原因は、どう考えてもドリンボの放出した屁以外考えられない。
ドリンボと密室を共有する方は、必ず換気の準備、またはガスマスクの準備を怠ることのないよう気をつけられたし。
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2013 02,06 17:28 |
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2012 08,07 18:48 |
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先日の練習にて、
・前日のパーティーの影響でバスの発車時間に遅刻 ・先に着いていた優しい先輩(わし)がわざわざバスを見送って一緒にタクシーで行けるように待っててあげてるにも関わらず、そんな優しい先輩をぞんざいにもドリンクの買い物にパシる ・ノースリーブ&ハーフチャック&ハイカラーという異次元のスポーツウェア(アウトドア系)を装着 ・曽我さんの放った、胸元に落ちてきてキャッチするだけのスウィートなロングシュートを、太陽拳をくらったとかなんとかでスルー→TO という数々の鬼畜行為を繰り出して鬱陶しさ満開のちゃんたまであったが、なんだかんだで彼が一目置かれているのには訳がある。それは、「アメリカでの学生時代、地区予選決勝にて、ボゥを擁する史上最強のコロラド大学Mamabirdとギリギリの死闘を演じたことで有名な、カリフォルニア大学サンタバーバラ校Blacktideのオフェンスセットであった」という自称スーパーエリートの肩書きをふりかざし散らかしているからである。 しかし彼と会ってから1年、卓球&テニスちょザコ事件、K-POPダンススクール@渋谷事件、そして挙句の果てには済州島拘束P事件など極めて安いネタばかりを提供してきたこともあり、その肩書きも偽造されたものなのではないかという疑惑が巷で話題になっていたことは耳に新しいことと思われる。 しかしそんな周りの不穏な空気を察してか、ヤツはここにきて汚名返上キャンペーンを炸裂させてきた。 7月14日(土)。そう、世界大会@堺の決勝の日。 ちゃんたま:「あ、あれ俺の後輩だ!」 我々は観客席で試合を観戦していたのだが、誰も聞いていないのにちゃんたまが突然興奮した口調で話しながら、ツカツカと歩いていった。 後輩って誰やねんと彼の行方を見守っていたら、なんとあろうことか彼は女子のアメリカ代表の集団に突入してゆき、キャーキャー言われながら公然と女子たちを抱き散らかしているではないか。 ガビーーーーーーーーソ ご満悦の表情で戻ってきたちゃんたまの腕にはいつの間にかアメリカのリストバンドが装着されており、大学時代の後輩がくれた、とのこと。 クソ鬱陶しい!!!!!ΣΣ(゚д゚lll)ズガーン!! そして対北米戦略アナライザーとしてこの大会に参加しているわしでも知りえない情報をチラ見せ。 ちゃんたま「俺の後輩が今ボゥと付き合ってるんだって!超ウケる!w」 た、た、叩き殺してやりてえ!!!!!!ガ━━(゚Д゚;)━━━ン!! モ前はPCの画面を通してでしか北米アルティ情報を収集することのできないけど、漏れはリアルワールドで北米アルティ界を体験してるんだよっ、このキモヲタが!!!!!! ということを暗に叩きつけられたわしはグウの音も出すことができないほどの敗北感を感じたのであった。 それからだいぶ日のあいた後日、某氏からこんなタレコミがあった。 http://www.dailynexus.com/2005-05-12/mens-ultimate-uc-san-diego-denies-tide-nationals-berth/ 注目すべき文: Senior Jonny Hester and freshman Yoshi Tamagawa offered significant contributions to the team. 要するに「2005年UPA Collageの地区予選にて、(Blacktideの)4年生のジョニー・へスターと1年生の鬱陶し野郎・ちゃんたまはチームにとても貢献した。」ということである。ちなみにジョニー・へスターは今世界大会にアメリカ代表として出場していた。某氏曰く、当時ジョニー・へスターと肩を並べていた俺はアメリカ代表級!ということらしい。 極めて謎の多い男である。 |
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2012 07,27 12:18 |
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【月曜日】
ゲヴォさん「今度家に遊びに行ってもいい?」 わし「半年分溜めた部屋の掃除をしなければいけないからクソ面倒くさいけど、いいよ。」 ゲヴォさん「おっけー、今週のどっかで遊びに行くね~。」 【火曜日】 わし、帰宅後11時から健気にも年末並の大掃除を敢行。 【水曜日】 わし「部屋の掃除してやったぞ!いつでも来いや!」 ゲヴォさん「今週のどっかでいくよ~。」 【木曜日】 午前のゲヴォさん「今日サッカーの試合あるから、ずの(高校時代までのニックネーム)の部屋で観戦しようで!」 わし「いいじゃんそれ!」 6時に仕事を終えたゲヴォさん「先に家に帰って、ずのの連絡待ってるわ~」 わし「すまんもう少しかかりそうだから、終わったらすぐ電話するわ!」 その後仕事を終えたわし「すまんすまん遅くなってしまった!今どこ?」 ゲヴォさん「今駅にいる。」 わし「今日どうするよ?」 ゲヴォさん「うーん、今日は何か疲れた。帰るわ。またね~。」 このプレイについて、鬼畜プレイ以外に表現があるのであれば、誰か教えてください。 (|| ゚Д゚)トラウマー |
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2012 07,23 11:26 |
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世界大会向けにベジ専属の謎の画伯にデザインを依頼していたものがあるのですが、不運なことに日の目を見ることがありませんでした。
ただこのまま埋もれさせてしまうのはもったいなさすぎるため、購入希望者を募って制作したいと思います。 購入希望者は、「7/25(水)20:00」までに「名前、希望サイズ」をFBのコメントとか、メッセージとかでお知らせください。 10人集まったら発注したいと思います。デザインのサンプルでは丸首シャツになってますが、実際はポロシャツになります。恐らく3500円くらいになると思われまーす。 |
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2012 07,19 20:15 |
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みなさんは直島(なおしま)をご存じだろうか。
直島とは香川県と岡山県の間の瀬戸内海に位置する小さな島である。 ただ直島が他の島と違う所は、直島は「アートの島」と呼ばれており、島じゅうに美術館はもちろんのこと、芸術作品やアートなプロジェクトに基づく家(家プロジェクトと呼ばれている)が点在している。 また、自然に囲まれた街並みもまるで昭和初期のような風情を漂わせており、その辺を散歩しているだけでタイムスリップしたかのような非日常感を感じることができる。 そんな直島は、1つの小さな島にも関わらず世界中から芸術に興味のある人たちが訪れるのだという。もちろんアルティ界のユニをつくり散らかしている、自称・安い方のハイパーメディアクリエイターことわしも例外ではなく興味を持っている。 関西方面への旅行の際に、ゴリ押しで直島ツアーを提案して総勢7人で直島を巡ったのであった。 直島に訪れる観光客はさすがにアート系の人種が多い。しかし彼らがだいぶ奇抜なファッションをしていても、不思議と直島だと馴染む。わしは当初ノーマルな服装をしていたのだが、半日ばかり過ごしているとわしの中に眠るアートの心に火が付き、ノーマルな格好をしている自分に苛立っていることに気付いた。 「東京エロス倶楽部ベジグリフォンズの安い方のハイパーメディアクリエイターという看板を背負って直島に来ているというのに、今のわしの格好のだらしなさといったらなんたることか。世界中から集うアートな人種たちにベジグリフォンズ魂を見せつけてやる!!」 わしは決心した。 ベジユニ2011モデルの上下を私服として装着し、更に真っ赤なスニーカーで足元を固め、意気揚々と街を歩いた。 背中にアートな紳士淑女・おしゃれキッズたちの視線をビシビシと感じる。そして中にはわしのことを直島に設置されている1つのアートと思いこんだのか、カメラをこちらに向けている人たちもいる。 「か、完全に勝ち組や…」 と、この現状でもだいぶ満足しているところに、事件は起きた。 わしのことを遠巻きに眺めている人たちの中に、1人やたら目が合う可愛らしいアート系女子がいた。なんかやたら目が合うなぁと思っていたら、その女子はおもむろにトコトコ歩いてこちらにやってきて、わしの胸元を指さして話しかけてきた。 アート系女子「そのキャラなんて言うんですか?」 がびょーん、可愛らしいアート系女子がわし(の着るベジユニ)に興味津津丸!! しかし女子とのコミュニケーションに全く免疫の無いわしはその質問に対し全く気の利いた回答をひねり出すことができず、パニックに陥ってしまった。 わし「ベジグリ君って言います。」 アート系女子「ベジグリ君?それって私服なんですか?」 わし「・・・はい。」 アート系女子「へー。何でベジグリ君って言うんですか?」 わし「・・・えーと、(お腹あたりにあるVegeGriffonsという文字を指さしながら)なんかベジグリフォンズっていう訳のわからない言葉があって、それのキャラクターなんです。」 アート系女子「へーー。それって自分でつくったんですか??」 わし「・・・えーと、関西方面に僕が画伯と呼んでいる人がいまして、その人にベジグリ君を描いてくださいってお願いしたんです。(背中を向けながら)ちなみに背中にもベジグリ君がいるんです。」 アート系女子「へーーー。あーー、短パンにもキャラクターがいる!写真撮ってもいいですか??」 わし「どどどどどどーぞ。」 と、ガチで正面と背面から写真を撮られた。あまりに突然の出来事にわしはだいぶ取り乱していたが、キメ顔だけは忘れなかった。 アート系女子「ありがとうございます。すごいシャレオツですねっ☆」 素敵な笑顔を残して、アート系女子は去っていった。 壮絶な敗北感に打ちひしがれたわしは足元にあった椅子に崩れるようにして座り込んだ。 そしてわしの隣でその一部始終を見守っていたたくちゃんがポツリと言った。 たくちゃん「はるおさん、病気ですね。」 そんな、暑い暑い日の夏の思ひ出・・・ |
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2012 05,08 19:03 |
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その旅立ちは、とても順調なものとは言えなかった。期待よりも不安が先行し、言葉の通じない土地で知らない人ばかりに囲まれて、わしはいったいどうなってしまうんだろうか…、出発直前までそんなことばかり考えていた。
ひょんなことから、わしは済州島のアルティトーナメントに参加することになった。所属チームは「ソメイヨシノ」といって、ハスキー系でも、ベッカム系でも、ベジ系でもない。法政系を中心に、その友人たちが集まったメンバーの中に、もともとわしの友人と呼べる人は一人もいなかった。なぜわしはそんな状況にぶち込まれてしまったのか。 そこには、あるハード鬼畜プレイマニアの男の存在があった。 わしが済州島トーナメントに参加するきっかけとなったのは、とある3月上旬の小岩練へ向かうバスの中での会話である。曽我さんが一緒に乗っており、突然こんなことを言い始めた。 曽我氏:「ハルオ、済州島の大会って知ってる?俺、えびみりんの人から誘われてるんだけど、人数足りないみたいだからハルオも出ようよ!超楽しいらしいよ!!」 わしは以前の業務日誌にもあるように、かなり前からこの大会に興味を持っていたが、人が集まらなかったりなんだかんだで都合が合わず、これまで一度も参加することができずにいた。そんなこんながあってのお誘いだったので、特に他のメンバーのことも詳しく尋ねずに参加することに決めた。曽我さんもいることだし、まっ、いっか、というノリであった。 その日から2週間くらいが経ち、チームの取りまとめ役のカンちゃんという人からチーム結成の挨拶と、メンバー紹介の連絡が届いた。 カンちゃん(法政) ユウト(法政) ちの(法政) ともちゃん(法政) マリさん(上智、えび) ケイちゃん(横国、えび) みっちー(日体、セブンカラーズ) タカヒロ(日体、クルーズ) ダイシ(立教、ロキ) マル(慶應ホーンズ、トリガー) チュンソク(現地の韓国人選手) わし(慶應ハスキー、ベジ) おかしい、リストに載っているべき男の名前がない。 わしはマリさんにあの男はどうなっているのかを尋ねてみると、 マリさん:「曽我君はキャンセルになったよ~。」 …。 …。 …。 モノホンの鬼畜――――――!!!! キタ━━━━ヽ(゚ρ゚ )ノ━━━━!!!! わしはこのようないきさつで、韓国へ行くこととなった。しかも旅程もわしだけ別プランであり、みんな韓国に前日入りしているのに対し、わしは前日に大阪入りし、当日朝に関空から済州島へ直行便という極めて不安なものであった。また、済州島空港到着予定時刻が11:50で、次の試合開始時刻が13:00であったのも驚愕の鬼畜プレイであった。 大会前に顔を合わせたのは練習で集まった1回のみ。その練習に来れなかった人とは現地で初顔合わせといった状況であった。 わしはメンバー決定のお知らせから現地のグラウンドに着くまで、不安で不安でしょうがなかった。ほとんど知らない人たちとの週末はどんなことになってしまうんだろうと、一時はエントリーを後悔したこともあった。 しかし、いざ現地に着いてみると、そんな不安はすぐに吹き飛んでしまった。スポーツって、ホントこういうところが素晴らしい。 初日は4試合あった。わしは遅刻していったので2試合しか出ることができなかった。相手のレベルはさほど高くなかったが、わしがミスを連発(エコノミー症候群のせいだと必死に言い訳した)し、勝てる試合を落とす。2勝2敗。しかし得失点差か何かで、なんとか翌日の決勝トーナメントに進むことができた。 と、まぁ試合はボチボチな感じであったが、済州島の楽しみは夜のパーティーである!毎夜壮絶なパーティーが繰り広げられる。 初日夜のパーティーは、ホテルからチャーターバスで20分くらい離れた2階建ての酒場であった。貸し切りのその会場は、アルティの選手で埋め尽くされていた。パーティー費用はまさかのタダなので、恐ろしい量のビールが消費された。肉を食べたいだけ食べ、ビールを飲みたいだけ飲む!天国である。いつの間にか隣に知らないガイジソがいたり、今まであまり面識のなかった西日本の選手と知り合いになったり、アラブ系の顔をしたお方に「ホットシナモン」と書かれたあからさまに怪しいビンに入った粉をスプーン大盛り口にぶち込まれたり、それはそれは楽しいものであった。この日は翌日に試合も控えていたので、0時前にはお迎えのバスが到着し、ホテルへ送り返された。 そのバス中で、わしはある異変を見逃さなかった。 IKUのメンバーとして参加していた激安K-POP野郎ちゃんたまが、肉食系女子複数人にあからさまに気に入られていた。後日談を聞くと、彼はホテル到着後女子部屋にお持ち帰られていた。女子部屋では3人がかりで拘束されたあげく、大変なチョメチョメに遭ったとのことである。しかし翌朝会った時、口では「キビシかった…」と言っていたものの、その表情はまんざらでもなかったような感じだったは気のせいだろうか。 わしはわしで、自分の部屋に帰った後、耳舐めプレイをくらいまくった。どこもかしこも、極めてハレンチな夜である!!しかし残念なのは、耳を舐めてきたのがガイジソ女子でもなくニッポソ女子でもなく、法政男子のユウトだったという事実である。 2日目。 3試合が予定され、初戦に勝てば準決勝である。しかし激戦の末無念の敗退。是非勝ち上がって準決勝で優勝候補のIKUと戦いたかったところだったのだが、一歩及ばなかった。残りの順位決定戦の2試合には勝利し、結局5位。寄せ集めのメンバーで練習も1回しかしなかった割にはボチボチの結果と言えるだろうか。 さぁ、今夜もお待ちかねのパーティーである。この日は一次会は焼肉、二次会はダンスホールであった。一次会ではIKUのカヨに緑トウガラシを無駄に食わされ、わしとダイシは途中から全く使い物にならない状況に追い込まれてしまった。焼肉はすごくまいうーで、ユウトの誕生日サプライズのイベントとかもあったはずなのだが、トウガラシの圧倒的な存在感に記憶がかき消されてしまっているのがとても悲しい。 ビール、マッコリ、ソウジュ(韓国の焼酎)を大量摂取し、その上緑トウガラシの追い打ちで既に頭痛が半端ない状態で二次会のダンスホールへ。どのように移動したのかもあまり覚えていない。 気付けばダンスホールで知らないガイジソたちと相席しルールもよくわからない飲みゲーいをやっていると、日本でのテンションの6倍はノリノリでイケイケのちゃんたまがやってきた。 ちゃんたま:「ひゅぅ!ハルピンも奥でダンスしようよCome on baby!」 クソ鬱陶しいと思いながらもついていくと、そこには内気なわしなんかでは到底溶け込めないようなホットな空間ができあがっていた。みんな踊りまくっており熱気がムンムンしていた。わしが集団の端でモジモジしていると、既に汗でビショビショのちゃんたまに押し込まれ、いやでも踊っている風の空気を醸し出さざるを得ない状況に追い込まれてしまった。そんなこんなしているとそこの全員がだんだんヒートアップしてきて、いつの間にか全員上裸になっていた(さすがに女子は下着をつけていた。たぶん。)。酔っぱらってるし頭痛いし、ちゃんたまがレッスンに通っていることでおなじみのK-POPダンスをここぞとばかりに炸裂させているし、何が何だかわからん状態だったが、ひたすら楽しかったことは覚えている。 いつ服を着たのかどうやって歩いたのか何が何だかわからん状態のまま人の流れに任せてホテルの部屋に着くと、わしはある異変に気付いた。 あれ、ここはわしの部屋ではない。 そこにはVナスさんやMッチーさんといった、肉食系女子にカテゴライズされる方々がいらっしゃった。 捕食される・・・・・!! 脳裏をよぎった瞬間、草食系男子国代表わしはウサギの如く脱走していた。しかし今となってみれば、いきなり脱走するなんてちょっと失礼だったなぁと、少し後悔している。もしかしたらそこから哲学の議論が始まる可能性だってあった訳なのだから。逃げてごめんなさいテヘペロ いつ寝たのかも覚えていない壮絶な夜が終わり、最終日の朝を迎えた。当然わしはエライ二日酔いであった。しかし済州島マスターのカンちゃんに教えてもらった二日酔い用ドリンクや、ともちゃんからもらった頭痛薬を飲んだ後、韓国うどんを食べたらすぐに治った。その日は普通においしいご飯を食べたり買い物をしたり、観光を楽しんだ。夕方、日本へと飛び立った。 アルティあり、キャッツのメイクあり、無限のビールあり、カンチョーあり、緑トウガラシあり、ダンスあり、サイクリングあり、おいしいご飯ありと、この上なく楽しい3日間であった。おっと、実際に会うまでは不安だったメンバーたちも、この3日間ですごく仲良くなることができてホントよかった! 終わってみれば完璧に楽しい3日間であった!! ポッポチュセヨー!! |
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2012 04,09 18:27 |
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青春ど真ん中、高校3年生のホッケー県代表セレクション試合がゲヴォさんの嘔吐で無効試合になって以来のショッキングな事件が起きた。
それは忘れもしない、2012年4月8日春の陽気が気持ち良くなってきた立川での練習にて。 その日わしは怪我の治療をしてから練習に向かったため、チームの集合時間より1時間ほど遅れて練習場に到着した。立川の練習場は土手になっており、その上を歩きながらみんながどこで練習しているのかを探していた。 土手を1人とぼとぼ歩いていると、遠くの方でフリスビーを投げている集団を発見。わしはそちらの方に向かっていると、かなり前方の方で同じく土手の上を歩く1人の男の姿を確認した。ただ歩いているなら特に気にならなかったと思うのだが、わしは何だかその歩き姿に違和感を覚えた。少し近づきつつ観察してみると、手で顔面を押さえながらヨロヨロと目的もなく歩いている。歩いているというよりかは、徘徊していると表現したほうが雰囲気的には合っていたかもしれない。その男の後ろ姿からドリンボであることは間違いなかったのだが、遅刻していたしドリンボがただの二日酔いでフラフラしているだけだったら面倒くさいと思い、とりあえず放置してわし1人土手を降りて荷物置き場に到着した。 わしがスパイクを履いたりと準備を整えていると、ふと土手の上に人影を感じたので見上げた。 わしは言葉を失った。 ドリンボの顔面が壊滅的なまでに崩壊している??!!!! 酒を飲みすぎた日の翌日の奴の顔面は結構むくんでいてパンパンだったりするのだが、それでも原型を留めたむくみ方であった。 しかし今日は違う。 顔全体がボコボコに腫れ上がり、腫れ上がりすぎた肉が重力で垂れ下がっている。もはやその顔面からは原型が想像できず、パッと見で50歳は越えているような見た目になっている。 わしは心底ゾッとした。 これはこれまで恨みを買った人たちによる呪いなのか。それとも、安い暴れん棒将軍として暴れ散らかしていた奴の行動が遂に神様の逆鱗に触れ、天罰が下ったのか。 とにかく、このままの顔では今までの生活は不可能というほど恐ろしい顔面をしていた。あまりに顔面が痛かったのか水で洗ったようなのだが、その水が滴っている感じもより恐怖を引き立たせていた。 激安ハイパーアナライザーを自称するわしは事件解明のため本人に事情聴取してみた。聞くところによると、朝練習場に着くまでは普通の顔をしていたらしい。しかしコンビニのパンを食べ、日焼け止めを塗り、6kmくらいのジョギングを終えたところで急激に顔面に痛みを覚えてこんなことになってしまったとのこと。 ここで賢明な読者はおわかりになったことだろう。これは呪いでも天罰でもなく、周到に仕組まれた計画的犯罪だったのである。 コンビニのパンを食べる。これは単なる偶然であり、奴の選ぶコンビニやパンをコントロールすることは不可能に近い。 6km走る。これもチーム全員で行っていることなので、これが原因で顔面が腫れ上がることは考えにくい。 残るは、そう、日焼け止め。 ドリンボの、確実に他人の日焼け止めを使うという習性は学生時代から現在に至るまで変わっていない。その習性を利用し、わざと奴の近くに毒を盛った日焼け止めを放置し、まんまと使うよう誘導することはたやすいことである。 そして決定的な事実として、最近ドリンボに対して強烈な恨みを抱いていると思われる人物と、ドリンボの使った日焼け止めの所有者が、なんと一致している。 点と点が線となり、犯人像が具体化されてゆく。 新聞でも、テレビでも、ラジオでも、インターネットでも明かされていない、立川ドリンボ毒殺未遂の犯人とは・・・。 そう、ラフェ・・・ (真犯人を知りたい方は、速やかにベジグリフォンズへの入部手続きをお済ませください) |
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2012 04,06 09:06 |
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2012ドリームの個人成績。雨が降ってスコアシートへの記入が完全でなかったり、車の中に置きっぱなしで記入してない試合があったりと、残念ながら信頼性に欠けるデータであります。
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2012 04,03 12:35 |
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2012年3月吉日、東京は西麻布にてランボーとマイコの結婚式が執り行われた。わしはベジのメンバーとして二次会から参加させていただいたのだが、意外なことにランボーが主役のパーティーにしては至極穏やかな雰囲気のまま閉会と相成った。新郎による締めの言葉もキッチリとまとめられ、噂に聞いていたランボーのランボーたる由縁である破壊活動が微塵も感じられなかったことにわしは違和感すら覚えたまま会場を後にしたのであった。
そして三次会会場である西麻布ZESTへ。まさかここがこの後バトルコロシアムに変貌するなど、当時のわしは知る由もなかった。 三次会会場にて、ベジの社交性がなくてキモチワルイ男集団10名あまりは一角の長テーブルを陣取り、女子を席に呼んではゴミのようなコールで飲ませる(元部長主導)という最低な遊びに興じていた。そんなこんなしていると、遅れてお召し替えを済ませた新郎新婦(ランボーinアロハ)も会場に合流。ランボーはベジとは別の集団の方に絡みに行ったのを目撃した。 それから20分くらい経過したところで、いきなり謎のマイクアナウンスが入った。 ランボー:「みんな今日は飲みましょウィ~~~!!!」 今思えば、これがパーティー会場から闘技場への突入のゴングであった。 謎のマイクアナウンスから少し経つと、既にあちら側の世界の方の目つきをしたランボーが千鳥足でベジ席に寄ってきた。寄ってくるやいなやボディープレスをかまして体勢を崩し、転がった相手にボディーブローを喰らわせ弱らせたところでヘッドロックをかけつつ耳を咬むという暴力行為を繰り出してきた。最初の犠牲者はコウスケ先生。コウスケ先生はその後もすれ違いざまにみぞおちにボディーブローを喰らったり、情け容赦のない首投げを喰らい側頭部からベンチの座面に激突するなど、さすがのやられっぷりを見せていた。また曽我さんとちゃんたまもランボーのターゲットとなり、なぎ倒されて耳を食いちぎられそうになる被害を受けていた。曽我さんは必死な抵抗を見せていたがランボーの圧倒的な腕力に組み伏せられ成すがままに耳の穴を舐め散らかされていた。一方ちゃんたまはそんなランボーの暴力的な行為や耳舐め行為がまんざらではなかったらしく、自ら抱き寄せて恍惚の表情をしていたように見えたのは気のせいだっただろうか。 3人殺したランボーはまだ飽き足らず、少し離れた場所で初対面の女子と悩み相談に興じていたドリンボを標的にして突進していった。ラグビー部仕込みの重心の低いタックルをぶちかまし、体勢を崩したところで首投げを仕掛けようとしたランボーに、ドリンボは怯むことなく全力で応戦。それに対してランボーも更なる力技でドリンボを投げ飛ばそうとした瞬間、わしは見逃さなかった。 あの激安の殿堂ドリンボの目に殺意の波動が光った。 そこでリアルバウトに発展しそうだと察した野次馬が2人を必死に引き剥がした。この乱闘によりドリンボのスーツが大破。背中が真っ二つに裂けたスーツがその凄まじさを物語っている。「この光景どこかで見たことあるぞ?」と思ったが、それは現実ではなく、米ドラマ・プリズンブレイクの囚人の乱闘シーンであった。 その後もコウスケ先生がすれ違いざまにボディーブローを喰らったり、ヒラがヘッドロックをくらったり、双子兄方のケイスケが豪快に突き飛ばされ5m後ろの柱に激突する(この瞬間も、ケイスケの目に殺意の波動が光った。それを察した元部長が管理職らしく、凄まじいスピードでケイスケのクールダウンのためになだめに入っていた。)など、そんなこんなでベジのメンバーの半数以上がランボーに殺されたところで、ふと壁のようにそそり立つ巨人が近寄ってきて、落ち着いた口調で言った。 葛西:「彼の先輩である僕が、責任を持って面倒見させてもらいます。」 この救世主のような発言をした葛西とは、ICU出身のわしの同期の男である。もともと身長が180cm以上あってでかいのだが、社会人になってだいぶ肉がついたようで更にその迫力を増していた。 仕置人・葛西は、既に他の人をぶち殺しにかかっているランボーの背後から近づき、ベルトと襟首をふん掴んで引き剥がした。すると怒り狂ったランボーは続けざまに2発のボディーブローを葛西のレバーに叩き込んだものの、分厚い肉に守られた葛西は動じることなく、ランボーを上回る腕力によってそのままランボーを強制連行。 嵐が去った。 その後しばらくランボーは姿を見せていなかったが、いきなりマイクアナウンスが始まった。 葛西:「本日はみなさまお忙しい中、新郎新婦のためにお集まりいただきありがとうございました。宴もたけなわではございますが、・・・かくかくしかじか・・・。それではお開きとさせていただきます。今日はありがとうございました。」 ええええーーーー!!! 招待者がパーティーを締めた~~!!!!!! あまりにも刺激的な三次会であった。そして、そんな状況にも全く動じることのなかったマイコは、ランボーの妻にふさわしい度量を備えたすごい人なんだと改めて感じることができたのであった。 |
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2012 03,05 16:57 |
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タイトルを見て、「ああ!あれのことか!」とわかった気がした人は、すぐに病院に行った方がいい。
健全な日本国民の99.9%以上に理解し得ないであろう奇怪な行動を、遠くチェコはプラハの地にて目撃してしまったことを思い出した。 2010年7月、ハスキーズの負の遺産またはクズの親玉(と某後輩に呼ばれているらしい)ことドリンボ、元部長、わしの3人のゴミたちは、プラハでの世界大会出場権を獲得しつつも人数不足に悩まされていたノマに金魚のフンのような形でついていったことはご存知かと思う。クズの親玉衆の中でも群を抜いた安さを誇るドリンボは、中世の伝統ある景観の残る魔法の都プラハにて、日本代表のプライドを賭けた安さを炸裂させていた。 大会も中盤に差し掛かった4日目。リーグ戦を勝ち上がった我々は、強豪カナダはMephistoとの対戦を控えていた。Mephistoは海外アルティヲタのわしでも聞き慣れない名前であったが、2006年のオーストラリア・パースでの世界大会の際にも出場していたのでカナダないでは有名なチームなのではないかと推測された。 試合会場のスタジアムに到着すると、Mephistoのメンバーは練習を始めていた。この中にわしの知る選手はいないものかと遠めに視姦していると、顔を見なくてもわかるほどの圧倒的な存在感を誇る巨塔がそそり立っていた。 ま、まさかあれは!!!!!!!! アンドリュー!!!!!?? そう、Furious黄金期のキャプテンを務め、Furiousはもちろんカナダ代表の精神的支柱として君臨していた、アンドリュー・ラグストン(Andrew Lugstin)がいるではないか!遠目から見ても、196cmの巨体からは凄まじいオーラが放たれているのが感じられた。こんな人がいるチームと対戦することになるとは!!!わしはすぐにチームに報告したことは言うまでもない。 残念ながら試合はサドンデスの末16-15と惜敗してしまった。意気消沈した試合後の円陣の直後に、せめてもの記念にと我々はアンドリューとコミュニケーションをとってみようと近寄った。 適当に挨拶とかしているだけで、いかに彼が紳士的な男かを感じ取ることができた。爽やかな笑顔を見せつつ、いかにも賢そうな口調で易しく話してくれた。さすが長年カナダを引っ張ってきた男。わしは感慨深さのあまり失禁寸前であった。 そんな中、次の瞬間、青天の霹靂の如く衝撃的な言動がわしの脳天を貫いた。 ドリンボ「Hi, my name is Ando Ryu. Your name is the same with me, WAO!」 (訳 ハイ、僕は安藤龍だよ!同じ名前だね、ワオ!) アンドリュー「Oh,Ando? Nice!」 (訳 アンドー?ナイスだね!) ドリンボ「Yeah! Please take photos with me!」 (訳 そうだね!一緒に写真とってよ!) ・・・ わしの全身は大理石の如く硬直し、そして自分の耳を疑った。 現実を受け止めるのに途方もなく永い時間を要した。 !!!!??????? アンドウ リュウだと!!!!!???????? わしの隣で得意げにアンドリューと話している下衆な男が安藤という名前だったことは、出会ってから一度も耳にした事が無い。そして、どんなに掘り下げて検討してもメリットが一つも浮かばない安い嘘を、よりによってアルティ界の生ける伝説に向かって平然とつき通している。わしはこの男を直ちに殺害する義務感に駆られたが、あまりのショック状態だったわしは微動だにすることができなかった。 そんな、生ける伝説・アンドリューと安さの殿堂・安藤龍のツーショットがこちらである。 それから2~3日ばかりは彼は安藤という人格を持ち合わせていたようだが、チェコを経つ飛行機に乗った時点でその使命は解消されたようである。 ちなみに、タイトルにあった「アンドー 怒りのアンドリュー」は一体何なのかというと、大会会場にあった自由にお絵かきができるスペースに、奴が日本の威光を見せ付けるべく描き上げたゴミのような落書きに由来する。 |
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2012 02,28 13:36 |
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2012 02,24 15:28 |
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関東オープンにて採取した様々なデータに基づき、我らがドリンドル主将がプラス要素のプレーとマイナス要素のプレーを数値化しなんやらかんやらの計算式をつくりあげ、チームへの貢献度をポイントで表したとのこと。 向かい風での大砲モードを求められたランボーは必然的にTOが増えてしまったので、ちょっとかわいそうだなぁ。
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2012 02,16 09:30 |
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東京都立聖オゲレツ学園エロス倶楽部ベジグリフォンズの2012関東オープンの個人成績が集計されました。
年間集計のトップには、キャプテンドリンボよりアレが送られるとのことです。所属選手の皆さんはアレの獲得のためがんばってください。
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2012 02,14 15:53 |
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2012年2月の第二週に関東オープンが熊谷にて開催され、我らが堂道ベッカムブラピデカプリオキャプテン率いるベジも出場した。0℃に近い気温で寒風吹き荒ぶグラウンドでのアルティはそれはそれは過酷なものであった。しかし去年一昨年はこれに加え雪まで降っていたとのことなので、それに比べればまだましだったのかもしれない。
凍えるような寒さの中でのアルティで普段以上に体力を消耗した我々は、一刻も早く暖をとりたいとホテルへ駆け込んだ。今回の宿は普通のビジネスホテルであったため大部屋で雑魚寝ではなく、2~3人部屋が何部屋も割り当てられていた。 と、ロビーにてキャプテンより部屋割りの決め方が発表された。 ドリンボ:「部屋割りは背番号順で埋めていきまーす。」 それはいけない。 わしの危険受信アンテナが激しく電波をキャッチした。 ベジの背番号を順に並べてゆくと、
00 ドリンボ |
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2012 02,01 12:34 |
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ベッカムとベジ(奇跡!)に、彗星の如く1人強烈なキャラクターが加入した。
その男の名は、 ちゃんたま その出会いは突然であった。きっかけは、元闘将ハルナからの1通のメールであった。 ハルナ:「私の知り合いでたまちゃんっていう人がいるんですけど、ベッカムに誘ってもらえませんか?なんでも、アメリカでアルティやってたらしいですよ~。」 正直その時点ではわしは何とも思っていなかった。アメリカのアルティ人口は日本とは比べものにならない規模なので、実力はホントにピンキリである。それは2011年に敢行したサンフランシスコ修行の際に肌で感じた。本場アメリカといえど、ローカルでやっている人はお世辞にもうまいと言えない人がいっぱいいた。 2011年のある日のベッカム練にて、遂にちゃんたまと初めて対面した。わしは見逃さなかった。彼の着るpatagoniaのウェアには、「UCSB」と書かれていた。 UCSBだと!????????? UCSBとは、University of California Santa Barbaraのことだが、アメリカ屈指の強豪校である。一世代前にUPA(現USA Ultimate)で優勝していたCondorsや、2008年あたりに同じくUPAで優勝したJamに所属する多くの選手がUCSB出身者である。すなわちアメリカアルティ界でも相当上のクラスにいらっしゃったということになる。しかも話を聞くとUCSB BlacktideのAチームのオフェンスセットに入っていたとのこと。 そんなお方を目の前に迎え、激安お下劣ドブメッターでしかないわしは足がガクプルした。 出会った瞬間は尊敬の眼差しMAXであったが、それもすぐに薄れていった。ちゃんたまは、ドリンボ、たくちゃんら変人レジェンドに引けをとらない妙な男であることがすぐに露になっていった。 アメリカ歴の長い帰国子女の聴く音楽といえば、わしの周りではたいていゴリゴリのHIPHOPやR&Bなどという印象であったが、彼は全力でK-POPに傾倒している。K-POPの流れるお店に入ると、たいていのBGMのアーティストを言い当ててくる。日本では全く知られていないグループとか人の名前とかがポンポン出してきて、限りなく鬱陶しいドヤ顔を決めてくる。そして、暇さえあればK-POPダンスの振り付けを炸裂させており、そんな姿は頻繁に目撃される。ここまでのK-POP野郎はわしの周りには彼しかいない。 そして彼は常にアクティビティを求める。特に卓球やテニスが好きらしく、クソ弱いくせに果敢にもわしに勝負を挑んでくる。謎のK-POPステップをふみながらストロークしてくるが、わしには全く通用しない。わしに勝てるようになりたいためか、これからテニススクールに通うという謎の発言まで飛び出している。わしを一歩でも動かすことができるようなショットが打てるようになるか要注目である。 そんな訳のわからない彼であるが、本業(?)のアルティについてはあまり多くを語らない。ただ、わしが「ブランドンスティーツとかってどうだったん??」とか「リージョナルスのファイナルでMamabirdと戦ってどうだった?」とか聞くと、「彼はうまいっていうか、ガシガシの肉体派だったね」とか「オフェンスは普通に通用したよ」とか、彼にしてはあまり誇張の少ない答えが返ってくるところをみると、こればかしはホンモノなのだろう。ベッカムはおろか、ベジでも最も潜在能力が高いことは間違い無さそうであるとふんでいる。(この前の練習でもシュートの競り合いでクソ鬱陶しいK-POPキャッチを決められてorz) りきしの業務日誌に取り上げられる個人としては最速記録と言っても過言でない早さであるが、わしの中で今最もホットな男、ちゃんたまにこれからも期待大である。 |
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2012 01,16 11:38 |
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わしの父親の名はヨシノブという。歳はだいたい55歳で、わしの性格はだいぶO型の父から受け継いでいるところが多いと思われる。しかしわしの目から見ても、未だに妙な行動をとることが多い。
北海道旭川市出身のヨシノブは、高校までは北海道に住んでおり、ギャグで受けた某義塾にまさかの合格。それを機に上京。某義塾では体育会ゴルフ部に所属し、当時の写真を見ると学ランに坊主にティアードロップのグラサンという鬼畜のような格好をしていたのだが、そんな姿に誇りを持ちドヤ顔でキャンパスを闊歩していたことは容易に想像される。「ゴルフ部時代の思い出は?」とたずねると、試合の帰りの車にて、ドライバーが食あたりにより車内でウン○コを漏らしてしまい、みんなで「車糞(シャグソ)、車糞!!」と言ってゲラゲラ笑ったこととのことで、ゴルフ部時代のスコアなどは一切不明である。 だいぶリーマン歴の長くなってきているヨシノブだが、55歳になっても遊ぶ心を忘れない。ある日突然買って帰ってきたプレステの「パイロットになろう」というゲームを業務からの帰宅後に毎日3時間以上プレイして、あまりに集中して画面を凝視したために目から出血させてみたり、ある日突然ペットボトルロケットを作成し近所の小学校の校庭で発射させてみたり、突然謎のフィギュアをコレクションし始めたり、その一貫性の無い趣味は途絶えることが無い。 そんなヨシノブは最近専らランニングにはまっており、東京マラソンを筆頭にフルマラソンやハーフマラソンにチャレンジしている。ヨシノブは普通の形のランニングウェアをアンダーアーマーのコンプレッションタイプのようにピチピチに着ることが最先端のファッションだと勘違いしているらしく、信じられないくらい小さいサイズのオレンジのタンクトップと黒ベースにオレンジラインの入った短パンを装着している。もともとそういう着方をするようには裁断されていないため、ただ単純に大幅にサイズを間違えている人にしか見えないのだが、本人が満足してしまっているので修正の余地は無い。 そして2011年の年末あたりから、自分が走るレースがあるとわしと妹の分も勝手にエントリーするという極めて迷惑な行為に満足を覚えているらしく、そのせいでわしはこの12月と1月だけで2回もレースに出場するはめになった。 1月15日(日)には新宿シティマラソンという大会が国立競技場周辺で開催され、我々はハーフマラソンの部は抽選に漏れたので10kmの部に出場することになっていた。現在のヨシノブにとってはランニングがプライベートのプライオリティーの1位となっているため、実際かなり練習している。この元旦も突然わしは拉致られ、いきなり10kmくらい走らされた。しかしわしもわしでヨシノブに負けるつもりはないので、業務後などにちょくちょく走って準備を整えていた。 いよいよ新宿シティマラソンを翌日に迎えた夜、ふとヨシノブからメールが入った。 ヨシノブ:「会社の仕事が忙し過ぎて出場することができなくなった。」 え!????勝手にエントリーされたから渋々練習してきたのに、1人で走るなんて意味無いじゃん!!!?? わしは愕然としたが、その時訳あってゲイの集まる酒場にいたためいろいろ思考能力が低下していた。わしは当初ゲイツアーの1次会にしか参加しないつもりだったのだが、結局もうやけくそよ☆!とばかりに2次会のガチのゲイバーへと突入してしまった。ガチのゲイバーの異空間っぷりはそれはそれは楽しく、翌日に控えたレースのことも忘れて深夜まで飲み続けてしまった。結果終電を逃し、タクシーで帰宅した。 朝自宅にて、昨晩の劣悪な鏡月さんがまだだいぶ頭痛と内臓の違和感という形で残っている状態で目覚めると、1Rの狭小住宅にはえーじとたくちゃんが寝ていた。 ん?????僕は新しい世界を開拓したのかな???? わしはシャワーをしながらオシリを確認したが幸い開通した形跡はなかったのでとりあえず安心した。そしてその後すぐにえーじとたくちゃんと別れ、昼からのレースの参加証を取りに一度実家に帰宅した。 実家に到着すると、そこにはうちひしがれた面持ちのヨシノブがダイニングテーブルに鎮座していた。 ヨシノブ:「社会というものはホント最低だ。この無念をどうか晴らしてきて欲しい。ヨシタカなら10km40分の壁を打ち破ることができるはず。わしの分もがんばってきてくれ。」 高校時代の10km走55分という記録しかもたないわしにとって、40分という記録はどんなものか未体験であったが、奇しくもわしはこれまで40分切りを目標に練習してきていた。さすがヨシノブ、何の悪気も無くただの勘でクリアできるかできないかのギリギリのラインを攻めてきた。わしはヨシノブの無念を背負い、国立競技場へと向かった。 国立競技場はランナー以外にも観客が大勢おり、メインスタンドは満員というような状況であった。フィールドの脇にはチアリーダーや太鼓を叩くグループがおり、大会の雰囲気に華を添えていた。 10kmの部の参加者は3000人。気迫でスタート時のポジションをなるべくスタートライン近くにとると、まわりはガチのユニを装着したランナーばかりであった。それに対してわしはベジのクレイジーピンクユニにpatagoniaの黒パンという浮きまくった格好に、3000円という激安シューズで対抗。スタートまであと少し。緊張が高まる。 11:40、遂にスタート!!信じられないスピードで国立競技場のトラックを駆け抜ける先頭集団に負けじとわしもがんばる。奴らの記録は10km35分。せめて中盤まではついていきたい!! コースは国立競技場を中心とした周回コースを4周し、最後はまたトラックを1週してゴールというものであった。 最初の2週はかなり先頭集団にいた。しかし3週目に入り異変が起きた。 だいぶ心肺が疲れてきたところで、遂にアイツが逆襲を始めた。 鏡月さん コメカミに脈拍を感じるたび、わしの目の前に 「鏡月」 「鏡月」 とフラッシュバックのように残像が見えるようになってきた。明らかに集中力が削がれ、若干ペースダウンしてしまった。それでもなお気迫の走りを見せていると、奴らは攻撃の手を緩めることなく波状攻撃を加えてきた。奴らは排泄系器官に容赦なく襲い掛かってきた。 ピッ わしは年末に続き茶色いアイツと軽くご対面しつつも、歯を食いしばって4周目に突入した。ペースダウンしたものの、4周目に入る前から周回遅れの人たちをゴボウ抜きし続けた。 手元のアナログ針時計(Swatch)でちょうど40分経過くらいのところで国立競技場のトラックに突入。わしは鏡月の残像と茶色いアイツとイケメンゲイの「ダーリン」という幻聴を全身に感じながら、まるで短距離走のようなラストスパート!!トラックの400mだけで気迫で5人くらい抜かしてフィニッシュ!!!!! 父と約束した40分を切ることができたのか!!!!?????? 記録用紙を係員から手渡されると、そこには非情な結果が。 41分50秒(120位/3000人) わしは悔やんだ。汗とアイツにまみれ父の無念を背負って走った10km。前日の不摂生さえなければ・・・。 わしは国立競技場のスタンドでしばらく悔し涙を流し続けたの。そしてアイツの処理をすることなく、そのままアルティの練習へと向かったのであった。 追伸 ゲイバーにて、わしは「ダーリン」、ドリンボは「やれないチン」として、ゲイ人気を二分したのであった。 |
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2011 12,24 09:48 |
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2011 12,24 09:47 |
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2011 12,07 09:41 |
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最近巷でベッカムテニスクラブなるテニサー的活動が行われており、この12月にも既に2度の開催が予定されている。
11月に行われた初回の練習では、万能系スポーツマン・マイクやテニス経験者の石野氏、卓球経験者のケンやたくちゃん(核爆)などがバシバシ打てており、かなりの盛り上がりをみせていた。しかしその盛り上がりの裏で、ポイントポイントで石野氏が前衛のたくちゃん(核爆)にスマッシュを叩き込んだりする遊びをしていたので、知らず知らずのうちにたくちゃん(核爆)の鬱憤が溜まっていたようである。 その鬱憤は、それから2週間くらい経ったとある休日のアルティの練習の帰り道、ふとした会話の中で爆発した。 わし「たくちゃん(核爆)はこの前のテニスで大変な目に遭ってたね。」 たくちゃん(核爆)「今度やるときは、石野をぶち殺します。」 宣戦布告 12月10日(土)、第2回ベッカムテニスクラブが開催されるが、現場でどれだけの血が流れるのか、考えるだけで恐ろしいばかりである。 |
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2011 12,01 14:46 |
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我が業務日誌にてD-ROADと双璧を成す圧倒的な存在感を醸し出しているゲヴォさんであるが、出会ってから10年以上経つ腐れ縁なのでもうお互い何を話しても新鮮な感覚は生まれないほどの関係なのであるが、最近になって彼のイメージがまた一つ上書きされることになろうとは思ってもみなかった。
今までのわしの彼に対するイメージは、 ・努力家 (小学校からずっと優等生) ・献身的 (ホッケー部のゴールキーパー防具を3年間1人で管理し続けた) ・優しい (男性に対して草食系、女性に対して肉食系) ・ゲーム好き (ウイニングイレブンから理解に苦しむゲームまで一通りたしなむ) ・非暴力主義 (自分を吊るし上げる守田くんに無抵抗) ・ゲロを吐きやすい体質 (試合中、飲み会などシチュエーションは問わない) ・爆毛 (自転車の車輪にフライングボディープレスしてもへっちゃら) ・顔面がロシア (修学旅行で北海道の稚内港にてロシア国籍の漁船を観察していたら、突然中から飛び出してきたロシア人になぜか1人だけ追いかけられた) ・ママ弁慶 (朝8時に起こしてねとお願いしておきながら、翌朝ママに起こされるとガチ切れ) ・性癖に寛容 (S高ホッケー部の部室ロッカーにア○ルシャワーという雑誌を隠し持っていた) まだまだ詳細に挙げられそうではあるものの、とりあえず上記の印象を抑えておけば彼のイメージとしては間違いないはずである。 ここに衝撃のイメージが追加されることとなった出来事が起きたのは、ある年の夏休みに、ゲヴォさんと現奥さんを湘南にておもてなしした日の帰り道の車中にて。 彼らは結婚式を数ヵ月後に控えていることもあったので、わしはゲヴォさんに「どうしてあなたはそんなに毛むくじゃらなのか?」とか「あなたは1日に2度しかヒゲを剃らないと主張しているが、本当は3回は剃っているのだろう?」とか核心に迫る問いを投げかけたい欲望をぐっとこらえて、2人の出会いなど当たり障りの無い質問に終始するという大人の対応をとっていた。 そんなその日のうちに忘れてしまいそうなやりとりの中で、実に心に残る話題が1件だけあった。それはわしが奥さんに、 わし:「ゲヴォさんって、どんなプレゼントをくれるんですか?」 と質問したときである。 奥さん:「○○ちゃん(ゲヴォさんのこと)は、よくタイツをくれるんですよ~。」 タイツ?? わし:「え、タイツって、スポーツ用とかではなくて、普段履くストッキング的なやつとか網タイツ的なやつですか?」 奥さん:「そう、普段のやつ。○○ちゃんは、人にタイツを履かせるのが好きなんだよね~?」 タイツを履かせるのが好き??!!????? 嫌な予感のしたわしは、間髪入れず問いただした。 わし:「てめー、まさか自分で履いたことはないだろうな!??」 ゲヴォさん:「・・・」 彼女にプレゼントするために買ってきたタイツを、待ちきれずに自分で履いてしまうって、何?!!????? ゲヴォさんの一風変わった趣味をあっけらかんと話してくれた奥さんにあっぱれであるが、まさかゲヴォさんにそんな鬼畜な、いやガチ鬼畜な感性があるとは寝耳に水であった。ゲヴォさんに関しては相当な情報通を自負していたが、こうもあっさり裏切られるとは・・・。衝撃は思いのほか大きかった。 ゲヴォさんに会うことがあれば、女性陣はくれぐれもタイツの見えないファッションでコーディネートされることをオススメしたい。(2012年ビーチアルティへの出場を、鋭意交渉中) |
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2011 11,24 17:28 |
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安いほうのハイパーメディアクリエイターを自称しているわしは、最近では大会ごとに複数のチームからユニフォームの制作を依頼される。
特に学生チームから依頼されると、わしは完全な善意に基づき、ほぼボランティアで依頼を引き受けてしまう。お金なんかより、学生たちの笑顔や「ありがとう」の言葉をもらえるだけで心が温まり、制作の原動力となるのである。 2011年11月19、20日と富士でGAIAカップが行われた際も、わしは複数チームのユニを手がけた。中でも日大のユニは糞安いテーマのくせに糞鬱陶しいほどにデザインの指示が多く、普通に国内の業者に頼んだら、プリント料とデザイン料で1着だけで軽く20000円は超えるようなシロモノを依頼された。 それでも、世界大会も一緒に行って思い出を共有したかわいい後輩たち(シュウヘイ、ヤイタ、ハル、スグル)のために一肌脱いでやるか、と、わしはナイチンゲール並みの献身さで、彼らの笑顔だけを思い浮かべて制作に励んだ。 制作作業中はつらくても、当日大会会場で彼らの近くを通るとお礼を言ってもらい、これまでの苦労が帳消しになるくらいうれしく思うものであった。大会が終わり車で会場を後にする際も、わしが車に乗っていることに気づいた日大ボーイや日大ガールがわざわざ車のほうに来てお礼してくれたのには、わしはいたく感激したのであった。 そんな心温まるやりとりの裏で、鬼畜としか思えない悪だくみを仕込んでいた野郎がいた。D-Roadと安さの契りを交わしてしまった男、そう、シュウヘイ。 大会2日目、ユニ制作にあたり連絡をとりあっていたシュウヘイがやってきて、チームから回収してくれたユニ代をもってきてくれた。 ユニ代は封筒に入っており異様な分厚さをしていたのだが、そこには心温まるエピソードがあった。 シュウヘイ:「今回ユニをつくってくれてありがとうございました。感謝の気持ちを込めて、ちょっと色をつけておきました。でもそれだけでは申し訳ないので、いろいろな割引券とか集めて入れておいたので、どこかで使う機会があったら使ってください。学生は貧乏なのでこんなことしかできなくてすいません。」 なんていうええ子たちや。 わしも学生時代極貧だったため、+αの費用を捻出するのはつらいものであるということは痛いほどに理解できるし、その代わりとして考えてくれたアイデアで割引券とかを入れてくれたということに、わしは何にも不満を覚えなかった。むしろ、その心意気にとても感激した。 わしのクリエイター業はこういうコミュニケーションのためにあるのだと、改めて再認識し、心温まる気持ちでGAIAカップは幕を閉じたのであった。 それから数日後。 わしは都内某所で激務に明け暮れていると、部署内でちょっとした現金の両替の必要が出た。その時たまたまわしは日大からもらった現金がたくさん入った封筒をそのまま持っていたので、女上司に「もしよければこれを使ってください」と差し出した。そういえば封筒の中には牛丼屋の割引券とかも入ってたなーとか思いつつも、両替に支障は出ないはずなので特に気にせずそのままにしていた。 すると、しばらく経ったところで、ポンッとデスクの上にピンク色の紙が置かれた。わしは最初何かのメモかなと思い書かれている事を読んでみると、こんな内容が書かれていた。 「No.21 Name神咲心愛 今日は心愛の相手をしてくれてありがとうございました◎ お兄さん!!初の南はどうでしたか?心愛はお兄さんに会えてすごく良かったです◎ 一緒にいれて楽しく過ごせました◎ でも今日生理中でごめんね!汗 でも触ってくれて嬉しかったよ!えへっ◎」 全身の血が凍りついた。 どう考えても女上司の書いたメモではない。 よく見るとそれは業務のメモ紙などではなく、どうにもこうにも毒々しい、そしてピンクの香りが漂うお店のポイントカード的なものであった。 糸冬 了…_〆(゚▽゚*) わしはこれからのアルティ人生において、日大には執拗なまでに辛辣な仕打ちを加え続けてゆこうと心に誓ったのであった。 |
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2011 11,21 19:31 |
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発言:竜さん
日時:2011/11/20 状況:GAIA初日の飲み会の翌朝 朝僕がトイレに入っていたら、おもむろに堂道さんも入ってきて後ろを通り過ぎて個室に入り、ゲロを吐き始めました。 朝から終わっていました。 |
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2011 11,21 19:27 |
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ハスキーの人たちと飲んだりするときに、その場にいないのに話題をさらっていく人物のことを、その偉大な存在感からわしは勝手に「モンスター」と呼んでいる。わしの中ではピンクさん、ドリンボ、ゴラム、サダオカ、ゴハン、磁石あたりが殿堂入りのモンスターズなのだが、そんな彼らと肩を並べる存在であり、過去の伝説ではなく今なおフレッシュな話題を提供し続けてくれる男がいる。
その男とは、 そう、たくちゃん(核爆) 先日のGAIAカップ2011は、初日の土曜日が驚異的な暴雨に見舞われ、富士のグラウンド一面が池になってしまうほどであった。それでも1試合だけ行われたのだが、賢明な選手たちは防寒具を工夫してそんな自然の驚異に立ち向かっていた。普段装着するアンダーアーマーやスパッツの上に、防水加工のヤッケを着て、更にその上にユニと短パンを重ね着するというスタイルがスタンダードであった。スパイクだけはどうしても代えが利かないので、足元だけがずぶ濡れになることは已む無しという状況であった。しかしたくちゃん(核爆)だけはそんなスタンダードから一線を画していた。アンダーアーマーやスパッツの代わりに「コットン100%のスウェット上下」、そしてスパイクの代わりに「くるぶし丈の長靴(内部がチェック柄というおしゃれ加工)」を装着していた。その上しっかり防水加工のフードで頭部の防御も固めたたくちゃん(核爆)のいでたちは、どこからどう見てもスポーツ選手ではなく、新宿地方のダンボール式家屋にお住まいの方のようであった。 見た目がスポーツ選手ではないたくちゃん(核爆)は試合中でもインクレディブルなプレーを連発していた。シュートをエンド内で一度キャッチしたのに即座に捨ててみたり、中でも圧巻だったのはダイブしてもとれるかとれないかわからないくらいのギリギリのロングシュートを、「まさかのたくちゃん(核爆)のダイブキャッチが見れるかも!?」とギャラリー全員が固唾を飲んで見守っていた際のプレーであった。ダイブキャッチといえば頭から前方にすっ飛んでキャッチしにゆくという運動が大方の認識なのであるが、彼は違った。彼は「ここぞ!!!」というタイミングで、仰向けにケツから地面に突っ込んでいった。そして見事な大の字の形で地面を滑っていた。その光景はまるでウォータースライダーで遊ぶ少年あった。そしてそんな形のダイブではディスクに手が届くはずもなく、当然のTOであった。 そんな激アチなプレーもさることながら、たくちゃん(核爆)は実はこのGAIAカップで人命救助にも貢献していた。 2日目日曜日の朝一の試合後、わしは大会前から体調を崩していたのがぶり返してしまい、全身がプルプル震えてしまうほど体の機能が低下してしまった。救護室に担ぎこまれて応急処置を受け、毛布にくるまれて横になっていたわしの脳に、ふと神の声が届いた。 神「摂取するタイミングは、今です」 わしは震える手でカバンを探り、黄金の巾着袋を取り出した。その中にはビー玉より少し大きいカプセルが入っており、ゆきのとモロ紅パイ太郎の助けを借り、専用ギロチンでカプセルを割ってみると、中から金箔に纏われた玉が出てきた。その神々しさから、これは現実世界の仙豆※であるとすぐに理解することができた。 ※仙豆 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BB%99%E8%B1%86 なぜわしがそんなものを持っていたかというと、GAIAカップの前の週にハスキーの後輩たちに開いてもらったお誕生日会に遡る。 わしは幸せ者なことに、愛する後輩たちからそれはそれは素敵なプレゼントをもらったのであった。激シブ5本指ソックス、お花、クッキー、白桃烏龍茶、非売品のお皿、クマのお人形さんなどなどホンワカするグッズの中に、1つ異様な雰囲気を醸し出している黄金の巾着袋があった。それだけは誕生日プレゼントとしてはあからさまに異質なものであったのだが、それをもらうときにわしはこう言われた。 たくちゃん(核爆)「やばそうになったら、これを飲んでください」 巾着袋の中身はたった1粒の玉なのだが、その割に非常に高価なものであり、プレゼントをもらった当時は正直「こんなどエライもん、どんなタイミングで飲めばいいんだ?飲んだら飲んだで、わしはどうかなってしまうんでないか!??」と甚だ不思議で複雑な心境であった。 しかしそれを摂取する日は、思いがけずすぐにやってきた。 神の声を信じてプルプル震える手で仙豆をかじった瞬間、体に驚くべき変化が起きた。それまで全身が猛烈な悪寒に襲われており、これまでの経験から恐らく体温が38.5℃はあるなという絶望的な体調であったのだが、体中に張り巡らされた血管という血管に、何かとてつもないエネルギーが駆け巡ってゆく感覚を覚えた。するとそれまで20分あまりプルプル震えていたのがフッと収まり、更に今までの猛烈な悪寒が体幹から末端にかけてみるみる消え去ってゆくことに気づいた。ちょうどそのタイミングで救護室のトレーナーさんに体温計を渡されたので計ってみると、なんと37.1℃であった。脈拍も、担ぎ込まれたときは恐ろしく速かったのが、通常に戻っていた。どう楽観的に考えても、今日1日はアルティなんて到底できないと思えたほど絶望的な体調から、奇跡的な回復をみせた。そしてわしは倒れた次の試合からなんとか復帰することができたのである。 未来を予見したたくちゃん(核爆)によって、鬱死寸前のわしは救われたのであった。 今後も、たくちゃん(核爆)にはその珍妙すぎる観察眼とインクレディブルな行動から、生ける伝説的モンスターとしてチームを盛り上げていっていただきたい。 |
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2011 11,17 14:50 |
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ハスキーズ20周年記念式典
ハスキーズには年1回、歴代のOBOGと現役学生の全員を迎えて行う「ハスキーズ総会」という行事がある。ハスキーズ総会の幹事は卒業5年目の代のメンバーが担当することが慣例となっている。 1990年に創立されたハスキーズは、2010年20年目を迎えた。そして奇しくも、負の遺産としてハスキーズの歴史の中でも、今やタブー視されている我々12代が幹事を務めることとなった。 前回の区切りの総会は15周年を記念して行われたのだが、当時学生だったわしはそのクオリティーに圧倒され、「社会人ってすごい!」と思ったものだ。伝統的に昼の部ではアルティメットを行い、夜の部ではパーティーを行う。15周年の昼の部の場所は、なんと代々木体育館であり、現在ワールドカップバレーが行われている会場が貸切となっていた。贅沢な環境でアルテミットを楽しんだ後の夜の部は、これまた豪華な会場が貸し切られており、15周年記念映像やハスキーズ専用スクリーンセーバー、記念Tシャツなど様々な手の込んだ記念品が手配されていて、先輩から「5年後の20周年の担当はおまえらだな!!」と肩を叩かれたのを覚えている。 当時ハナタレ大学生だったわしは極貧のあまりアンダーアーマーのヒートギア(ノースリーブハイネックのコンプレッション・黒)を私服として着用するくらいの最低ランクの人間だったので、5年後どうなることやら全く想像できずにただただハナをたらしていた。しかし、偉大な先輩たちの歴史を受け継ぎ、20周年記念総会を成功させなければならないという責任感は、当時からうっすらと芽生えていたことは確かである。 それから4年経ち、19年目のハスキーズ総会にて、「次回の幹事から一言」ということで、わしはマイクを握らされた。わしは「がんばります」と言った。自分で言うのもなんだが、わしは「がんばります」という言葉にはキッチリと責任を持ちたいというポリシーがある。そのため何事についても口先だけ「がんばります」と言って、結果云々より何よりがんばる姿勢が感じられない人にはあからさまに不信感を抱いてしまう。わしはその時100人以上の前で「がんばります」と宣言したので、これはエライ責任を覚悟したのであった。 それから丸1年、わしはがんばった。「映像制作」、「ハスキーズ選手名鑑」、「20周年記念ユニ」、「グラウンド手配」、「パーティー会場手配」、「協賛のお願い」など、メインどころの仕事はほぼ手がけた。中でも、「ハスキーズ名鑑」をつくるために要した時間は半年に渡る。選手名鑑には歴代のハスキーズの選手全員を載せたいと思っていたので、各代代表の方に協力してもらい代ごとに個人個人のデータを提供してもらうという方法をとった。それらを全員分編集するのはそれはそれは地味で時間のかかる作業であった。中には総会1週間前まで音信不通の代があったりして冷や冷やものであったが、なんとか締め切りまでに全ての代が揃った。 そこで気づいた。 あれ?20周年記念なのに、20代目の人たちの情報が無い!????? 数えてみたら、作業をしていたのは5月だったので、20代目の人たちはまだ入部が確定していないからデータが無いのである。 なんかおかしいぞ。 「~周年」という言葉を辞書で調べてみると、こんなことが書いてあった。 1 まる1年。また、一周忌。 2 数を表す語について、年数の経過を数えるのに用いる語。まる…年。 [大辞泉より引用】 あれ???まだ20代目の人たちが入りたてということは、20年目は終了していない。 ということは!!???????? 今回のハスキーズ総会は、『創立19周年』!!!!???????!?!? ガビーソ!!! わしはλ18で卒倒寸前であった。 ここまで周到に準備してきての、まさかの年数数え間違い!!! 我々12代が糞虫のように鬱陶しがられるのも納得がゆく。 今更後には引けないので、こっそり「20年目記念」ということで盛大にやらせていただいたが、実は2011年が本当の「20周年総会」であった。次回、恐らく25年が区切りになると思われるのだが、「25年目総会」とするのか「25周年総会」とするのか、幹事に該当する代の方たちには、是非なすりつけ合いの醜い争いを繰り広げていただきたい。 |
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