2025 05,16 02:50 |
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2012 01,16 11:38 |
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わしの父親の名はヨシノブという。歳はだいたい55歳で、わしの性格はだいぶO型の父から受け継いでいるところが多いと思われる。しかしわしの目から見ても、未だに妙な行動をとることが多い。
北海道旭川市出身のヨシノブは、高校までは北海道に住んでおり、ギャグで受けた某義塾にまさかの合格。それを機に上京。某義塾では体育会ゴルフ部に所属し、当時の写真を見ると学ランに坊主にティアードロップのグラサンという鬼畜のような格好をしていたのだが、そんな姿に誇りを持ちドヤ顔でキャンパスを闊歩していたことは容易に想像される。「ゴルフ部時代の思い出は?」とたずねると、試合の帰りの車にて、ドライバーが食あたりにより車内でウン○コを漏らしてしまい、みんなで「車糞(シャグソ)、車糞!!」と言ってゲラゲラ笑ったこととのことで、ゴルフ部時代のスコアなどは一切不明である。 だいぶリーマン歴の長くなってきているヨシノブだが、55歳になっても遊ぶ心を忘れない。ある日突然買って帰ってきたプレステの「パイロットになろう」というゲームを業務からの帰宅後に毎日3時間以上プレイして、あまりに集中して画面を凝視したために目から出血させてみたり、ある日突然ペットボトルロケットを作成し近所の小学校の校庭で発射させてみたり、突然謎のフィギュアをコレクションし始めたり、その一貫性の無い趣味は途絶えることが無い。 そんなヨシノブは最近専らランニングにはまっており、東京マラソンを筆頭にフルマラソンやハーフマラソンにチャレンジしている。ヨシノブは普通の形のランニングウェアをアンダーアーマーのコンプレッションタイプのようにピチピチに着ることが最先端のファッションだと勘違いしているらしく、信じられないくらい小さいサイズのオレンジのタンクトップと黒ベースにオレンジラインの入った短パンを装着している。もともとそういう着方をするようには裁断されていないため、ただ単純に大幅にサイズを間違えている人にしか見えないのだが、本人が満足してしまっているので修正の余地は無い。 そして2011年の年末あたりから、自分が走るレースがあるとわしと妹の分も勝手にエントリーするという極めて迷惑な行為に満足を覚えているらしく、そのせいでわしはこの12月と1月だけで2回もレースに出場するはめになった。 1月15日(日)には新宿シティマラソンという大会が国立競技場周辺で開催され、我々はハーフマラソンの部は抽選に漏れたので10kmの部に出場することになっていた。現在のヨシノブにとってはランニングがプライベートのプライオリティーの1位となっているため、実際かなり練習している。この元旦も突然わしは拉致られ、いきなり10kmくらい走らされた。しかしわしもわしでヨシノブに負けるつもりはないので、業務後などにちょくちょく走って準備を整えていた。 いよいよ新宿シティマラソンを翌日に迎えた夜、ふとヨシノブからメールが入った。 ヨシノブ:「会社の仕事が忙し過ぎて出場することができなくなった。」 え!????勝手にエントリーされたから渋々練習してきたのに、1人で走るなんて意味無いじゃん!!!?? わしは愕然としたが、その時訳あってゲイの集まる酒場にいたためいろいろ思考能力が低下していた。わしは当初ゲイツアーの1次会にしか参加しないつもりだったのだが、結局もうやけくそよ☆!とばかりに2次会のガチのゲイバーへと突入してしまった。ガチのゲイバーの異空間っぷりはそれはそれは楽しく、翌日に控えたレースのことも忘れて深夜まで飲み続けてしまった。結果終電を逃し、タクシーで帰宅した。 朝自宅にて、昨晩の劣悪な鏡月さんがまだだいぶ頭痛と内臓の違和感という形で残っている状態で目覚めると、1Rの狭小住宅にはえーじとたくちゃんが寝ていた。 ん?????僕は新しい世界を開拓したのかな???? わしはシャワーをしながらオシリを確認したが幸い開通した形跡はなかったのでとりあえず安心した。そしてその後すぐにえーじとたくちゃんと別れ、昼からのレースの参加証を取りに一度実家に帰宅した。 実家に到着すると、そこにはうちひしがれた面持ちのヨシノブがダイニングテーブルに鎮座していた。 ヨシノブ:「社会というものはホント最低だ。この無念をどうか晴らしてきて欲しい。ヨシタカなら10km40分の壁を打ち破ることができるはず。わしの分もがんばってきてくれ。」 高校時代の10km走55分という記録しかもたないわしにとって、40分という記録はどんなものか未体験であったが、奇しくもわしはこれまで40分切りを目標に練習してきていた。さすがヨシノブ、何の悪気も無くただの勘でクリアできるかできないかのギリギリのラインを攻めてきた。わしはヨシノブの無念を背負い、国立競技場へと向かった。 国立競技場はランナー以外にも観客が大勢おり、メインスタンドは満員というような状況であった。フィールドの脇にはチアリーダーや太鼓を叩くグループがおり、大会の雰囲気に華を添えていた。 10kmの部の参加者は3000人。気迫でスタート時のポジションをなるべくスタートライン近くにとると、まわりはガチのユニを装着したランナーばかりであった。それに対してわしはベジのクレイジーピンクユニにpatagoniaの黒パンという浮きまくった格好に、3000円という激安シューズで対抗。スタートまであと少し。緊張が高まる。 11:40、遂にスタート!!信じられないスピードで国立競技場のトラックを駆け抜ける先頭集団に負けじとわしもがんばる。奴らの記録は10km35分。せめて中盤まではついていきたい!! コースは国立競技場を中心とした周回コースを4周し、最後はまたトラックを1週してゴールというものであった。 最初の2週はかなり先頭集団にいた。しかし3週目に入り異変が起きた。 だいぶ心肺が疲れてきたところで、遂にアイツが逆襲を始めた。 鏡月さん コメカミに脈拍を感じるたび、わしの目の前に 「鏡月」 「鏡月」 とフラッシュバックのように残像が見えるようになってきた。明らかに集中力が削がれ、若干ペースダウンしてしまった。それでもなお気迫の走りを見せていると、奴らは攻撃の手を緩めることなく波状攻撃を加えてきた。奴らは排泄系器官に容赦なく襲い掛かってきた。 ピッ わしは年末に続き茶色いアイツと軽くご対面しつつも、歯を食いしばって4周目に突入した。ペースダウンしたものの、4周目に入る前から周回遅れの人たちをゴボウ抜きし続けた。 手元のアナログ針時計(Swatch)でちょうど40分経過くらいのところで国立競技場のトラックに突入。わしは鏡月の残像と茶色いアイツとイケメンゲイの「ダーリン」という幻聴を全身に感じながら、まるで短距離走のようなラストスパート!!トラックの400mだけで気迫で5人くらい抜かしてフィニッシュ!!!!! 父と約束した40分を切ることができたのか!!!!?????? 記録用紙を係員から手渡されると、そこには非情な結果が。 41分50秒(120位/3000人) わしは悔やんだ。汗とアイツにまみれ父の無念を背負って走った10km。前日の不摂生さえなければ・・・。 わしは国立競技場のスタンドでしばらく悔し涙を流し続けたの。そしてアイツの処理をすることなく、そのままアルティの練習へと向かったのであった。 追伸 ゲイバーにて、わしは「ダーリン」、ドリンボは「やれないチン」として、ゲイ人気を二分したのであった。 PR |
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