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2010 05,10 13:41 |
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5月8日のビーチアルティ初日の夜、部長の企みによる男部屋でベッド1つ、枕2つという類希な宿手配により、わしはえいじと一緒に寝ることになった。 さっこ、くー、部長、ピーターと深夜2時頃まで部屋飲みをした後、我々はすぐに寝ることにしたところ、えいじからこんな要望が出た。 「上裸になっていいですか?」 5月上旬でまだ朝方は冷えるので寒くないかなと思ったが、家ではいつもそうなんだろうなと思い了承した。アルティをして酒を飲んで夜も更けていたこともあったので、お決まりのガールズトークもそこそこに2人ともすぐに眠りに落ちた。 午前4時頃、隣からなにやら言葉にならないもごもごいう音が聞こえてきたため目を覚ました。 隣を見ると、いつの間にやら2人は肌が触れ合うギリギリの距離まで接近しており、更にわしはベッドの縁すれすれのところまで追い込まれていた。 すると突然、えいじは寝ながら直立の姿勢になり、はっきりとした口調でこう言った。 「失礼させていただきます。」 何が!!?と思ったが、次の瞬間、わしは全ての布団を剥ぎ取られ、えいじはダンゴムシのように布団にくるまってしまった。 何という律儀な寝言!!! あまりに威風堂々と宣言されてしまったためわしは布団を取り返すことができず、仕方ないので私服の上着を布団代わりにしてガクプルしながら朝を迎えたのだった。 PR |
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2010 03,18 10:11 |
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引っ越し後荷物整理をしていたら自分の追いコンDVDが発掘され、最近卒業シーズンであることも重なって、おや懐かしいとばかりに鑑賞してみた。 全体の名プレー集から始まり、個人のプレー集と続き、メッセージビデオと続いた。
ふぅ懐かしいわ~と感慨にふけっていたら、続いて上下ユニ姿の気色の悪い男がSFC体育館の入口でストレッチしているという意味不明な映像が流れ始めた。
そうだ…
懐かしさと共に、輝かしい学生時代の思い出が込み上げてきた。
2006年の1月、わしは卒業制作の作業のため、一ヶ月くらい学校に通い詰めていた。
そのうち家に帰ったのは5日くらいしかなかったかもしれない。 1月も半ばに入りいよいよ作業も大詰め、命を削って最後の仕上げをしているところに、どりんぼより一本の電話が入った。
どりんぼ「相談があるんだけど…」
どりんぼにしては珍しく、電話越しの声が神妙であった。
事件にでも巻き込まれたのかと思い慎重に相談にのってあげることにした。
どりんぼ「やばい、俺卒業できないかもしれない。体育の最終レポート出すの忘れてた…」
わし「げ、まじか、何か事情があったのなら体育スタッフに相談してみなよ。」
どりんぼ「それが、今までずっとスノボに行ってて、2度も来ていたレポート未提出のメールをブッチしちゃっててさ、終わってる。」
わし「げぇ、それは終わっている。で、わしに何の用だい?」
どりんぼ「ハルオの所属している研究会の先生、体育スタッフの一員だったよね。なんとか頼み込んでレポート受け取るようにお願いしてくれよ、げへへへへ」
わし「ぅ…」
事件に巻き込まれたのはこっちだった。
自分の作業だけでもいっぱいいっぱいだというのに、訳のわからないことで先生と交渉しなければいけないという心労を背負わされ、全くもって不謹慎な話である。 それでもわしは4年間の付き合いもあるので、先生と面会の時間を予約し、他人事の相談にあがった。
先生「そういう話は本人が申し出るべきだよね。」
ごもっともこの上ないご回答である。
面談後すぐに電話にてどりんぼにその旨伝えると、彼はしょんぼりした様子であったが自らの責任に覚悟を決めた、かに思えた。
翌日の深夜1時。
研究室にて作業に没頭しているところに着信があった。 奴からだ。
嫌な予感がする…。
どりんぼ「体育スタッフの先生に、これまで体育の最終レポートを忘れた人はどれくらいの確率で卒業させてもらえたのか探りを入れてみてよ。」
わし「ぅ…」
深夜に超集中している最中に大胆に水をぶち差されるという鬱陶しさであったが、4年間同じチームで「喜びの共有」を分かち合ってきた友であったので、わしはすぐに先生との面会の時間を予約する連絡を入れた。
そして数日後、先生に相談してみた。
先生「いやぁ、それは実際体育スタッフでもわからないんだよね。年によっては全員卒業を認めないこともあるし。今の段階で卒業できるか、できないかははっきりできないな。今後開催される体育スタッフによる会議を経て、体育スタッフトップのSM先生の一存で決まると思うよ。」
今後の流れという有益な情報を携えて、どりんぼに報告した。
すると。
どりんぼ「なるほどね。まだ留年が確定したわけではないのね。じゃあ、どうすれば卒業できるか教えてくれるよう聞いてみてよ。」
わしはどりんぼによる傍若無人な立ち振る舞いに辟易し、奴の今後のため少しは社会的制裁を受けてもらわねばならんと確信した。
わし「そうだなぁ、とりあえず体育スタッフ会議の前に、SM先生に誠意を見せる必要があるね。そのためにはSM先生と直々に面会し、土下座でもなんでもして謝ることから始めないと。SM先生はバリバリの体育会系だから、体育会の反省の鉄則“坊主”にして行くとポイントが高いんじゃないかな。」
何も裏をとってない情報だが、どりんぼなりに切羽詰っていた模様で、わし独断のおもしろ司令をすんなりと了解した。
翌日、遂に奴が来校した。
SM先生に面会する前の奴に会うことができたのだが、確かに坊主であったが(湘南台駅の階段を上がったところにある床屋で坊主にしたらしい)、何か違和感を覚えてしょうがなかった。 わしは、誠意を見せる服装といえば、「スーツ+坊主」の組み合わせでバシッと決めてくるものと思いこんでいたが、ワールドワイドな感覚の持ち主であるどりんぼにそのような浅はかな常識は全く通用しなかった。
奴の格好は上から次のように組み合わされていた。
ニット帽→坊主→白のダウンジャケット→茶色のコーデュロイパンツ→ビジネスシューズ的な革靴
ビジネスシューズ的な革靴のところだけ、彼なりに誠意をみせたらしい。
どりんぼ「さすがにスニーカーより革靴のほうがいいっしょ」
わし「そうだね、いってらっしゃい」
勇ましい足取りでSM先生の研究室へ向かっていった誠意大将軍どりんぼの背中に、「無敵」の2文字が浮かび上がっているように見えた気がした。
数時間後。
しょげ返った誠意大将軍がそこにはいた。
面会した手応えは、惨敗だったらしい。
どりんぼ「なんでだろう、全くダメだった…」
爆笑をこらえきれないわし「そうか。。可哀そうに。。。でもこれで引き下がっちゃだめだぞ、チャンスがある限り何度も面会して誠意を見せ続けるんだぞ。」
数日後、どりんぼの明暗を分ける体育スタッフ会議が開催された。
会議後、わしは研究会の先生にどんな感じであったか尋ねてみた。
先生「結局、会議ではレポート未提出者は何人かいて彼らの処分について議論されたんだけど、今年はいろいろ大変だったみたいだよ。なんかSM先生の研究室にいきなり押し入って、平謝りを重ねた上になぜか坊主にしてきたことをアピールしてきた学生がいたみたい。それが彼なりの誠意だと思ったのかなぁ、おもしろい勘違いしてる人がいるものだよね。確かハスキーズの人だったみたいだけど、もしかして知り合い?」
わし「いえ、その人はたぶん知りません。」
これにて彼の人生が終わったことがほぼ確定的になった。
さよならどりんぼ、お互いベストを尽くしたが、残念だったな…涙
更に数日後。
レポート未提出者は全員留年がほぼ決まりかけていたところに、とある学生想いの体育スタッフ1人による情熱的な主張により、最終的にはその年はレポート提出が認められることとなった。
奇跡の大どんでん返しである。
レポート未提出者は罰として、体育館にて体育の授業で使用された柔道着を整理整頓するという労働が課せられた。
DVDに収録されていた、どりんぼが体育館入口でストレッチをしている謎映像は、この作業の直前の様子をとらえたものであったのだ。(撮影者:ガトリン、山田)
もちろんそのようなおもしろ映像が撮れるという情報をリークしたのは…
今後どりんぼが皆さんの前に坊主+革靴の組み合わせで現れたのなら、それは彼なりの精一杯の誠意であることを心に留めておこうではないか。 |
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2010 03,04 15:06 |
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隔年に1人のペースでハスキーズには珍妙な戦士が入部する。 彼ら珍妙な戦士の特徴としては、あまりに強力すぎる個性を持ち合わせているため、ふとした言動や行動が一般庶民たちに衝撃を与え、飲み会の場などでいつの間にかその人の話題で盛り上がってしまうという共通点がある。 そしてひとしきり盛り上がったところで、「げ、また奴の話をしてしまった…」と皆しょんぼりする。 ハスキーズに接してきてはや8年になるわしは、その歴史の中で何人もの珍妙な戦士を目撃、体験してきた。 今回はその珍妙な戦士達について小ネタと共に振り返ってゆきたいと思う。 ■ 2001年入学 ぴんくさん 恐らく最近のハスキーズの人たちは誰も知らないであろう、伝説の珍妙戦士である。元から現役入学よりも2,3才くらい年上なのだが、実際の見た目は実年齢よりはるか上でムチムチの服をきたおっさんという感じであった。大会などではコート脇にいるだけのぴんくさんなのだが、あまりの見た目のインパクトから某シャッター系の方々からも認知されていたというツワモノである。 ハスキーズを途中でフェードアウトし、卒業したかしてないかも不明であり、現在は長野県の実家で農家を継いでいるという説が有力である。 ちなみになぜぴんくさんと呼ばれているかというと、一発芸の際に髪の色をピンクに染め上げてきたからだとのこと。 ■ 2002年入学 どりんぼ どりんぼと聞いて誰のことだかわかるだろうか?他にも、「ロドリゴ、ドリゲロ、ドリゲレ、アジャゲロ、アジャ、どりんぼ、ベッカム」など、頻繁にその名を変えてきた。 彼とは共通の時間を過ごしてきたためエピソードは数限りなく、世の中のしょうもないことのおもちゃ箱のような人間である。その濃厚過ぎる見た目から、初対面の人は少しびびってしまうことも少なくないようだが、ふたを開けてみればただのどりんぼである。 強引な罰ゲーム、露出、セクハラなど、彼のキャラクターでなければ簡単にポリス沙汰になるようなこともなぜだか許されてしまい、更には自身が「キャラ得」を十分に理解した上で蛮行に及んでいるのがこの上なく鬱陶しい。 動物園のゴリラのように遠目から見ている分には面白いのだが、初心者はくれぐれも気をつけていただきたい。 ■ 2002入学 部長 一度見たら忘れることのできない迫力の顔面&態度の持ち主である。その圧倒的な迫力から、社会人になってすぐ部長にまで駆け上がって彼だが、学生時代の大切な試合前にうんこを漏らしスタメンから外れるという常軌を逸したエピソードも備えている。 妙な人間関係が多く、今となっては普通に使われているハスキーズロゴも、この男がデザイナーと知り合いだったおかげで生まれたものである。 2002年入学には上記のどりんぼと部長というとんでもないキャラクターが揃って入部してしまったため、それまでのハスキーズのさわやか・硬派なイメージは蹂躙されつくした。 ■ 2003年入学 ゴラム 「ドゥフ」という奇怪な効果音を発することで一世を風靡した珍獣である。ゴキブリのような黒味を帯びた光沢のある肉体をし、学校グラウンドで裸でダイブしても無傷であり、壮絶なX脚のためお姉さん座りしかできないという点からして普通ではない。いつも浮浪者のような悲惨な格好をしてキャンパス内をうろついていたため、ある日「おしゃれKidsへの道委員会」がワカナ委員長の元発足し、町田にて全身コーディネートしてもらってからというもの、少しは見てくれにも気が回るようになった模様である。 また、伝説の学生優勝戦士F宅での宅飲みでの寝ゲロ逆ギレ事件は当時を知る者としては有名なエピソードである。 ■ 2005年入学 たくちゃん 見るからにアルティメット向きのつくりではないものの、史上最強の決め顔を武器に数々の名写真を残してきた。 合宿のミーティング中での壮絶な放屁事件など、自虐的なネタに満ち溢れた異色の戦士である。 ■ 2008年入学 ごはん 名だたる珍妙な男たちに混ざって、唯一のくのいちである。 新入生一発芸の時に壮絶なレオタードを装着していた事件等、ことあるごとに話題をかっさらっている模様である。 とある合宿前の平日の晩、わし、ブチュチュンパ、マコ、Comic Bunny、キモラ、ごはんという異色のメンバーで湘南台のBarに繰り出した時のこと。ハスキーズきってのおしゃれキッズCBを筆頭に「ごはんトータルコーディネートサミット」が緊急的に開催され、髪を明るくしてみる、明るい色の服にしてみる、パーマをかけてみるなど数々の具体案が進言されたものの、結局積極的な回答が得られずにサミットは閉幕してしまった。 しかしそのおよそ10日後、某男子から衝撃のタレコミが。 「合宿前に、ごはんパーマかけてたみたいですよ。」 け、健気…。 合宿中に何度か会ったにも関わらず、わしは何も気づくことができませんでしたが何か。 ■ 2009年入学 MG この男の話題のさらいっぷりは尋常ではない。 まだまだ全容はつかみ切れていないが、今後の動向に注目してゆきたい。 脈々と受け継がれるハスキーズの歴史の中に燦然と輝く異色の戦士たちのエピーソードは、これからも続く…。 |
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2009 12,14 13:47 |
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自由と制度 アルティオフシーズンのベッカム&デリカッターズでは、ただ単にみんなで公園に繰り出し原始的な遊びを楽しむという健康的かつコストパフォーマンスの高い遊びをすることがブームとなっている。 先日は平均年齢25歳以上の総勢11名にも及ぶ紳士淑女たちで、埼玉県北部にある「森林公園」へと繰り出した。 東武東上線森林公園駅から森林公園までは3kmくらいあったのだが、尾中部長(http://www.spireinc.jp/)の完全な手配ミスにより全員が駅前のレンタサイクルを借りることになってしまった。 新世代の若者は当然のごとく自転車に乗れない子がいたりするので下手したらこの中にも乗れない人がいるかなと少し心配したのだが、さすがは全員昭和生まれ、全員余裕で乗りこなしていた。 約3kmの道のりを徒党を組んで爆走しようやく到着した森林公園は、広かった。園内を端から端まで歩くと1時間半くらいかかってしまうとのことなので、レンタサイクルは結果的に正解だった。 紳士淑女たちは公園に着くやいなや遊びだすという無邪気なことはせず、既に少し疲れているためまずは園内の食堂に向かった。食道にて休憩中に当日寝坊し遅刻していたさっこが予想外に早く合流した。公園までのサイクリングをどれだけ激走したのかが想像に易い。 その後はどこでもできるスロー練を楽しみ、スロー練にも飽きたところで次のアトラクションへと向かった。その名も、「ぽんぽこマウンテン」。日本最大級の面積を誇るトランポリンである。 素朴な感性を持つ11人の紳士淑女は童心のままトランポリンに走り込み跳躍を繰り返していたのだが、実はそのいたる所で悲劇が繰り広げられていた。 ゆきN氏「実は足首をひねっていました。その後も大丈夫だと思って跳ねていましたが、やっぱり痛いです。」 はなEもん氏「初任給で奮発して買ったDieselのジーンズが、気付いたら裂けてました。」 しかし最大級の悲劇は、あろうことか尾中部長の身に降りかかった。 トランポリンで無邪気に(必死に)跳ねている紳士淑女の人数は最初11名だったはずなのだが、集合写真を撮るために人数を数えていたら、なぜか14名確認された。 誰?? よくよく集団を見渡してみると、紳士淑女たちの中に3名の地元の少年少女が我々に同化していることが確認された。 名前を聞いてみると3兄弟らしく、長女まり、次女かえで、長男ナイトという小学生たちであった。 初対面というナイーブな関係である我々は当初無邪気に仲良くトランポリンを跳ねていたのだが、彼らは尾中部長の姿を視認した途端ににわかには信じ難い発言を繰り広げ始めた。 まり「きのこ気持ち悪い!」 かえで「やーいやーい、きのこきのこ!」 ナイト「うわー、きのこ、ち○こ丸見え!!」 集団リンチである。株式会社ス○○○においては部長という肩書きを持ち、社会的に大きな責任を持つ男が、小学生にかかればただの「きのこ」である。その後も「気持ち悪い」「エッチ」などの罵詈雑言を浴びせかけられた彼は、一足先にトランポリンから降り、疲れた大人の顔をして1人ベンチに腰かけていた。その姿に社会の哀愁を感じたことは言うまでもない。 人間としてはただのちん○丸出しきのこ野郎なのに、大人は自ら制度をつくりだしその対応に追われたがる妙な生きものである。彼らの目にはそう映っていたのかもしれない。 |
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2009 10,19 12:52 |
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症状:あれ?正面ミートで浮き玉を取りに行った時にピキっていった 結局、2試合を通して2セットに出ることができた。 出れるとお願いして出させてもらってこの結果なのだから、これが自分の実力と認めるしかない。 ベジのチーム力に自分がまだ通用していないことを実感した大会であった。
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2009 10,19 12:52 |
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症状:日常生活では特に違和感なし 明日から大会。 金曜は仕事を午後半休をもらい、出発前に最後のひまわりさんに行き、特別トレーニングを行う。 怪我をした瞬間からどうすれば大会までに間に合うかだけを考え、トレーニングを行ってきた。 大会が楽しみだ。 |
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2009 10,13 11:11 |
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症状:私生活では痛み無し! 日曜はベジ練に出る。 また、右足を怪我したからかどうかわからないが、 大会までには完治することを確信! |
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2009 10,13 11:07 |
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症状:私生活では痛み無し! ほとんど痛みが無くなったのでベッカム練に出てみる。 スロー練での踏み込みは問題ないので、 |
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2009 10,13 11:03 |
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症状:スニーカーでなら7割くらいの力で走れる。 今日も都合が悪くひまわりさんにいけなかったため、 |
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2009 10,08 16:15 |
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2006年3月。 そう、それはわしが愛するSFCを、ハスキーズを卒業する月。(その後半年もたたずに戻ってくるとは夢にも思っていない。) 当然の如くハスキーズの同期で卒業旅行を企画したのだが、うちの代は非常にまとまりが悪くみんなの日程が合わず、結局近場の軽井沢に1泊2日という悲惨な卒業旅行で終わってしまった。 一度も海外に行かずに卒業なんて耐えられない!! ということで、わしは改めて安井さん(「安い発言や行動ばかり繰り返す堂道さん」の略)と尾中部長(当時は就活留年決定で心の底から暇だったはず?)と韓国旅行へ行く計画を建てた。 しかし尾中部長は雪山パトロールに行ってたか、別に卒業しないんだから誘わなくていいじゃねということでか、なんだかんだで一緒には行かなくなってしまった。 ということで、最終的に安井さんと2人で韓国へ繰り出すことになった。 行くことを決めたのが3月17日くらいで、出発が3月20日くらい。 泊まる場所も何もかも決まっていない状態で航空チケットだけを手配し、まさに身一つで成田を飛び立った。 その時の格好と言ったら、これから2泊3日で海外旅行をする人たちのいでたちではなかった。 わしは私服1種類と、小さなショルダーバッグに替えのパンツ×1をぶち込んだだけというもの。 安井さんは「これから久地に練習に行くんですか?」といういつも通りの格好に、賞味期限が切れてからずいぶん経つ薄汚いリュックに日経新聞がぶち込まれているだけだった。 ソウル空港に着いたのは11時半くらいだった。 午前ではない、午後である。 そこからソウル市街へリムジンバスで運ばれ、見知らぬ土地に放置された時には既に深夜12時を回っていた。 観光どころの話ではない。 とりあえず寝場所を確保せねば。 しかし現地の地図も何もかも用意していない我々は深夜のソウルで途方に暮れまくった。 じっとしててもどうにもならないのでとりあえずウロウロしていると、遠くの方にホテルらしき明かりが見えたので近寄ってみた。 値段によってはあそこでもいいかと話しながら入口で料金プランを確認すると、1泊4万円とのこと。 さようなら、四つ星ホテル…。 更にウロウロしまくっていると少し繁華街っぽい通りに入り、その周辺で探索を続けることにした。 すると向こうから怪しげな露店を開いているおばちゃんが歩み寄ってきた。 警戒しながら何を言われるのかと耳を傾けていると、意外な言葉が出てきた。 おばちゃん:「お兄ちゃんたち泊まるトコないの?」 ビンゴ!かつ日本語である。 大いに驚き、身辺事情を赤裸々に語ったところ、おばちゃんはアドバイスをくれた。 おばちゃん:「ここの繁華街を少し進んだところに温泉マークがある建物がいくつかあるから、そこなら開いてるわよ。料金もホテルより安いし。」 ありがとう韓国のおばちゃん、助かりました。 ということで我々は韓国の町を「♨」を求めて歩き回った。 しばらく歩くとピンク色のネオンに彩られた建物の2階に「♨」が見えた。 1階の入口から入ろうとすると、入口にはなぜかすだれがつけてある。 おや? なおも階段を進むと、ピンクやら紫やらの卑猥な色のネオンで彩られたカウンターに受付のおっさんが立っていた。 わし:「2人ですが開いてますか?」 おっさん:「!? 開いてるよ…。」 わし:「1泊ナンボですか?」 おっさん:「1人2000円だが…。」 わし:「1部屋お願いします!」 よかった~、ようやく寝場所を確保できたーとホッとしながら部屋に案内されると、何やら様子が変である。 机には最新式のパソコン。ナイス。 ベッドはキングサイズで1台。枕は2つ。おや? 家族旅行とかで行くホテルではあまり見かけないアメニティが用意されている。おやおや? そう、韓国でいう温泉マーク「♨」は、日本でいうところのラ○○であった。 わしの韓国での初夜は、安井さんの胸の中で眠ることとなった…。 2日目。 朝起きたものの、別にやることはない。 その辺のそば屋に入り適当に朝食を済ませた後(へー、韓国の箸は金属製なんだ~という発見あり。)、ソウル駅から地下鉄に乗り途中下車の旅を始めた。 観光名所などには目もくれず、東大門トンデムン(南大門ナンデムンだったかも)近くの市場へと足を運んだ。 途中安井さんが屋台のおっさんに「オニイサン、オニイサン、イイ靴がアルカラ見テイキナヨ」といういかにも安い客引きにまんまと引っ掛かり店の奥に連れて行かれそうになる事件はあったものの、何をするでもなくただぐだぐだと市場を歩いて回った。 お腹が空いた頃、市場の中にあったいかにも大衆食堂という感じの食堂に入ったところで、安井さんが真露(GINRO)のビンが一本200円くらいだということに目が煌いた時点でその日は終了することが決定した。 とりあえず真露を頼み、それで心の底からどうでもいい山手線ゲーム等を延々とやった。テーマは「今日乗った地下鉄の駅の名前は?」から始まり、「ハスキーズの人の名前フルネームで」とかいう全く韓国でやるべきではない時間の浪費っぷりを延々と行い、罰ゲームで真露の一気飲みや何の生物かわからないものの腸詰一気食いなどくだらないことをたった2人でおよそ3時間ほどやっていた。 気付いたら外が暗くなっていることに気づき、慌てて外に出た。 夜の街をフラフラしていると、ゲーセンを発見し、そこのパンチングマシーンが1回25円くらいだったこともありまたハマってしまった。 ふと我に帰るとまた1時間くらい浪費していることに気づき、適当にまたフラフラしつつ夕飯を食べ、宿泊は当然のごとく温泉マークを探した。 今度の温泉マークのお店の受付には、若いお姉さんが座っていた。フランクに、「日本人ですが、2人大丈夫ですか」と尋ねると、最高に怪訝な顔をされながらも部屋を案内された。 頭上の大きなプラズマディスプレイにAVが流れっぱなしの中、わしは2日目の夜も安井さんの温かい胸の中で眠ることとなった。 3日目、最終日。 ミョンドンという日本でいう表参道みたいな町に行き、真っ当なショッピングを楽しむ。が、あまりに日本でやることと同じじゃんということに気づき、値段もあまり変わらないのだから日本で買い物すればいいやと思い何も買わなかった。 そんなこんなでソウル空港へ向かい、日本へ帰ったとさ。 そんな、ある意味エキサイティング(夜)だけれども、この上なくぐだぐだな卒業旅行でした。 |
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2009 10,08 09:02 |
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症状:まだ違和感は残るが、随分楽に歩けるようになってきた 腹の力と腰の折りたたみを意識しながらの業務。 治療:電気、柔軟、スーパー体幹トレーニング(約30分) 今日はシンプルに、より負荷の高い腰の折りたたみトレーニング法のみを伝授された。 |
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2009 10,05 11:17 |
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10月4日日曜日の柴又での練習にて、 今まで経験した肉離れだと「ピキッ」くらいな感覚だったのですが、 すぐにトレーナーにアイシング等の応急処置をしてもらったのですが、
と、普段は避けがちなネガティブな書き込みをした訳ですが、 2週間後の週末に全日本選手権・本戦が控えていますが、 今日からひまわり接骨院やトレーニング、酸素カプセルなどあらゆる手段を尽くして治癒を急ぎ、
何かと有言不実行に慣れてきてしまったこの頃ですが、 |
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2009 09,08 11:17 |
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1年以上痛みが続いている部分がある。 左足のスネが痛い。 クッション性の高いスニーカーで歩く分には支障はないのだが、 激務中に革靴で歩いたり、 ましてやスパイクでアルティをしたりなんかすると、 金属の棒で殴ったかのようなアザができ、腫れる。 その痛みのせいで、 左足だけのジャンプができないほどである。 おかしいなーとは思っていたのだが、 一ヶ月くらいの安静期間を設ければ大丈夫だろうと考えていた。 が、一か月ぶりの練習後、 また同じような症状が出て痛んでしまった。 チームのトレーナーに相談したところ、 骨に異常があるかもしれないということでレントゲンを撮ることを勧められた。 普通に歩けているし、 我慢すれば走ったりもできるし、 そんな重症ではないだろうと思っていたが、 某整形外科で撮ったレントゲン写真を見て驚いた。 骨に亀裂が入っているではないか!! ガビーンとなっているところに某整形外科のうんこ医者は追い打ちをかけてきた。 うんこ医者「痛いとわかっているのにそこを使うようなことをするから悪いんだ。」 うんこ医者「Qちゃんが引退したのもこの疲労骨折のせいで、みんなやめてしまう原因。」 うんこ医者「一番たちの悪い疲労骨折だ。」 うんこ医者「少なくとも今やってるスポーツは半年はできないな。」 うんこ医者「走ることはもちろん、ウォーキングもしてはいけない。」 うんこ医者「衝撃の大きい革靴をはいてはいけない。スニーカーを履け。」 うんこ医者「どうしても動きたいんだったら水泳程度なら大丈夫だろう。」 うんこ医者「ただ、3ヶ月後にレントゲンを撮って改善が見られなかったら、手術だな。」 うんこ医者「じゃあ湿布50枚と痛み止め3週間分出すから。」 うんこ医者「今度来た時には手術かどうかのゴーサインをだしてやるよ、ガハハ。」 疲労骨折…、終わっている。 しかしながら自分は医学的な知識は持っていないが、 このうんこ医者は自分のためを思って発言しているとは思えない。 例えこの方法で痛みが消えたとしても、 またスポーツをして同じような体の動かし方をしたらまた同じ症状が出てしまうことは目に見えている。 ということは即ち自分はもう一生スポーツができない体になってしまったということではないか。 この医者の意見を聞いたところで何も根本的な解決にはならない。 断固として納得がいかん。 うんこ医者が得意そうに不安要素を並べ立てている途中から、 わしは耳にシャッターを下ろした。 わしの心の声「もう二度と来ません」 山ほどの湿布と飲み薬を受け取り病院を出て、 その足で一直線に普段お世話になっているひまわり接骨院へ向かった。 このブログでも何度か登場しているひまわりさんだが、 ここに通うようになってから劇的に身のこなしが改善され、 今の運動能力の8割はひまわり式であることは間違いない。 またひまわりさんは怪我の根本的な治療を目指すため、 今まで一度も診療後に「ただ安静にしてなさい」と言われたことがない。 必ず原因となる体の使い方を修復するためのトレーニングを課せられる。 そしてすごく不思議なことに一度正しい身のこなしを覚えてしまうと、 例え怪我をしていても運動することができてしまう。 (自然と怪我の箇所に負担のかからないような身のこなしができるようになるので、怪我をしているのに違和感を感じないという不思議。) そんな、先ほどのテラうんこ病院と違い、 怪我をポジティブに考えられるひまわりさんにセカンドオピニオンを求めに行ったのだ。 かくかくしかじかとこれまでの経緯を伝えると、 いつものようにトレーニングが始まった。 何種かのトレーニングを終えると、ひまわりさんは言った。 ひまわりさん「じゃ、痛い方の足でジャンプしてみ?」 ガビーン。 骨にヒビが入ってるんだからさすがにそれは無理でしょ??? と半信半疑にジャンプしてみると、 痛くない。 ガビーン。 痛くない!!? 何度跳んでも痛くない!!!!? 別に麻酔をしたわけでもないのに!!? 継続してそのトレーニングを行うことにより、 自然と左足のスネへの負担が減ってゆくだろうとのことである。 そして念のため今後どれくらいスポーツをしてよいかを尋ねてみると、 ひまわりさん「普通に次回の練習に出てもいいよ。ただ、トレーニングだけは継続してね。」 カッコ良すぎる…。 2つの病院で、 片や革靴での歩行も禁止で薬漬けの絶対安静、 片やいつもの練習プラス身体能力改善トレーニング(もちろん飲み薬も、湿布すらない) という、両極端の診断。 セカンドオピニオンを求めたことで、 ここまで差のある選択肢を得ることができた。 どちらの選択肢を良いと判断するかはその人次第であると思うが、 自分は後者が自分に適している信じ、 練習とトレーニングを続けようと思ったことは言うまでもない。 |
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2009 09,01 11:08 |
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この日記は、現在所属するベジグリフォンズの同期であり、写真やブログにもちょくちょく顔を出してくる双子系アルティメッターによって書かれたものである。 雨が降ってきたため、いつもよりも早く練習を切り上げた東京エロス倶楽部 Vegegriffonsの面々は雨で冷えた体を温めるため、いつも練習後にお世話になっている鶴の湯にいった
いつものように外国製のシャンプーとボディーソープの匂いが銭湯に充満してきた頃、 「お前、いつも髭そってんな。」 しかし、この何気ない一言にある男が反応した 「じゃんけんで負けたやつ、チン毛剃らない?」 楽しいことが大好きなVege達がこの一言を見逃すわけがなかった。12名もいるため自分は負けるわけがないと思っているメンバーが しかしそのとき、遅れてきたキャプテン志村が一言。 「俺は嫌だ。」 ブーイングの嵐。そしてみんなが理由を聞くと一言 「宗教上の問題で。」 そんな理由は秒殺されるのはわかっていながらも小さな抵抗をした志村キャプテンの勇気を称えたい。 志村キャプテンがじゃんけん激弱なため、VEGEで物事を決める際の絶対的方法“指上げゲーム”で偉大なる剃毛者1名を決めることになった。 舞台は鶴の湯 露天の場。 一瞬で決まる戦いがあれば、何ターンも行われる戦いがあり、それはそれは手に汗握る戦いであった。 個人的には の戦いであった。そして、いくつものアツい戦いを終え、決勝に残ったのは 松井、はるお、啓介になった。 予想通りであるといえば予想通りであるが、松井が負けるのが個人的には1番盛り上がる展開と思っていたが、3人で行われた指上げで、松井はいち早く抜け出した。このあたりはさすが、毛の生えた心臓をもつ男である。 そして、はるおと啓介の一騎打ちとなる。 先に先手をとったのがはるおであった。しかし、啓介も食らいつき、1本対1本までもつれる展開となる。そのあとは両社1歩も引かないTO合戦である。 そして、決着は5ターン目?できた。 軍配ははるおに上がった。 そして、啓介ははるおの髭そり(たしかジレット フュージョン5+1 http://www.kimura-kouichi.com/essay/others/fusion5.html) それをみたVEGEのメンツのコメントは 第1位 : 気持ち悪い。
追伸:言いだしっぺが大体負けるのです。 |
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2009 08,17 17:28 |
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学生1次の写真をアップしましたよ!
夏休み中はリーマンの仕事が加速します。 写真を提供してくれた皆さん、 写真を撮ってくれた*さんありがとうございました。 |
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2009 06,24 15:57 |
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先日SFCのジムで学生たちに混ざってトレーニングをした。 思えばこのジムにも長いことお世話になっている。 入学してから数えると8年目になる。 4年前まではHuskieの一員としてHuskiesのために、 今はVegeGriffonsの一員としてVegeGriffonsのために、 自分の能力を少しでも上げチームに貢献しようとトレーニングをする。 ベンチプレスを終え上半身を起こすと、 正面の鏡張りになった壁面に自分の姿がうつっていた。 その時自分は赤の中京のユニを着ていた。 中京…。 学生時代の多くの時間を練習に費やし、 喜びや悲しみを共有し、 時には激しく怒鳴り合ったこともある仲間たちと過ごした4年間。 そんな様々な経験の中でも常に同じ方向を向いていた。 駒沢 1年生の頃はまだ見たこともなかった。 2年生の頃はただの夢でしかなかった。 3年生の頃は遠くはなれた現実味のない世界だった。 そして自分たちが4年生になり、 フレッシュマンでも惨敗し前評判の低かったハスキーズは、 遂にあと1つ勝てばその舞台に立てるところまでやってきた。 最後に立ちはだかったのは中京大学。 駒沢に立つ最後のチャンスを賭け、準決勝が始まった…。 学生選手権が始まるまでハスキーズは強くなかった。 というか自分たちは強いという実感はあまり持っていなかった。 フレッシュマンでは惨敗し、夏合宿で何とかチームとして形になったかなという程度で、何だかフワフワした気持ちのまま学生選手権に突入してしまった。 ただ、その年のハスキーズは例年とは違うメンバー構成であった。 通常は学生選手権となると4年生+3年生がほとんど出場してその中でもメンバーが固定されることが多いのだが、自分たち4年生があまり強くなかったことと、後輩が恐ろしく強力だったこと(3年生秀一先生の代、2年生石野氏の代、1年生堺氏の代)で、どんどんメンバーが入れ替えられていた。 その甲斐もあり、予選の実戦を経験するたびに彼らは強くなり、ハスキーズは強くなっていった。 一次予選初日リーグは独協、立教、明海の3試合で難なく突破した。 一次予選二日目上位リーグは日大、成蹊で、日大を倒し成蹊とは引き分けたが得失点差で1位通過した。成蹊戦はダウンペースだったのだが、最後の10秒で同点に追いつくというヒヤヒヤものの試合だった。 一次予選最終日上位トーナメントではシードだったため初戦がベスト4で日体と当たり、ダウンペースだったのを最後の5分くらいで逆転し、勝利した。この時点で本戦への出場が決定した。残りの試合は雨天のため中止となり、フリップにより運良く東日本1位として本戦に進めることになった。 最後は適当な感じで順位が決まってしまったものの、一次予選を終える頃には皆に“試合に勝てる感触”が芽生えていた。会場からの帰りの車の中、次の対戦相手、中京を倒すにはどうしたよいのかと議論し、翌日が一次予選の最終日であった西日本予選を早朝発で視察しにいくことを決めた。 翌日、はるばる愛知県までおもむき、中京のオフェンスセット、ディフェンスセット、オフェンス・ディフェンスの戦術をチェックした。西日本予選の決勝は大体vs中京で、13-7で大体が勝利した。 こうした準備のもと、本戦を迎えた。 中京、上智、関学、日大との5チームリーグだった。 初戦は中京。誰しもが中京の勝ちを予想していた。応援に来ていたハスキーズのOBでさえ中京には勝てないと踏んでいた。そんな状況の中、事前の調査からディフェンスのマッチアップやゾーンの形など出来得る限りの対策を胸に秘め、戦った。結果、9-4でハスキーズが勝利した。最初に連続得点した点差を守りきったという試合展開だった。強敵に勝つための悪あがきをして本当によかったと感じた瞬間だった。 いよいよ勢いにのったハスキーズは続けて日大、関学を倒し、更にはフレッシュマンズカップで準優勝していた上智をも倒し、5チームリーグを1位通過したのだった。 その日の宿での風呂で、「本格的に駒沢が見えてきた」と皆で語ったのを覚えている。シードのため次の試合が準決勝であり、中京vs成蹊の準準決勝の勝者が上がってくるという状況であった。中京は一度倒しているが、成蹊は前回ひどく苦戦した上にこれまで唯一勝利していないチームだったため、どちらかといえば中京があがってきたらいいなーとか話していた。そして翌朝、中京が成蹊を倒し、ハスキーズは中京と本戦で2度目の対戦を迎えるのだった。 本戦の準決勝が始まった。余裕のペースで進むであろうと予想していた試合だったが、昨日とは打って変わって終始ダウンペースの苦しい展開が続いた。ようやくがんばって追いついたと思ったら簡単にロングで点を取られてしまったり、身体能力の差を見せつけられるような点の取られ方をしたりと、誰が見てもハスキーズは苦しんでいた。しかしそんなつらい状況の中でも誰一人あきらめることなく立ち向かっていた。最も印象的なのはこの厳しい状況のなか相手のスローオフをほぼエンドゾーンのところでキャッチミスしてしまったのだが、執念としかいいようのないエンド前のマンツーでTOを取り返し、そのセットを得点した。そんな仲間たちの奮闘を目の当たりにする中、正直自分の実力ではこの試合は通用しなかったので試合には出ることができず外から応援することしかできなかったのだが、コートサイドでこんなことを考えていた。「なぜ自分はこのような場面で試合に出れるほどの努力してこれなかったのだろう…。最後の最後にこんな大事な場面が、こんなに苦しい試合展開が待っていて、その中で少しでもみんなの役に立てるプレーができるということが1年生、2年生、3年生の時に予想できたなら、どんなつらい練習でもしてきただろう…。」と、人生で2度と訪れない重要な場面で今までの自分の甘さをこれでもかと後悔していたのであった。二流選手の証である。 ダウンペースながらも執念のプレーを連発し、残り時間3分くらいで1ダウンまで追いついた。そして、意地とプレッシャーと疲労とが限界までに高まった状況の中、ハスキーズは中京からTOを奪った。そして残り1分、ノーTOでエンド前まで繋いで、同点まであとパスが一本。残り時間あと5秒。最後のシュートが2年生の横やんにとんだ。エンドラインぎりぎりのところでキャッチ。エンド内に足を残すために伸ばした足から白煙があがった。 インか?アウトか?? 「アウト」 いやいや、入っているでしょ。いや、でもラインを踏んでいるように見えた。云々、もめている間にタイムアップになった。ハスキーズとしては当然譲るわけにはいかない。2カ所からビデオが撮られていたのでビデオ判定も行ったのだが、不運にも人と重なってしまっており決定的証拠は映っていなかった。20分以上もめたが、どちらも譲らないため、最終的に学連の判断を仰ぐことになった。 学連は公平に、ルールに基づいた判決をした。 「ワンバック」 試合はランニングタイムのため、残り時間5秒に戻らない。ワンバック=タイムアップである。さぁサドンデス、なんとしてもブレイクをしてやる!と意気込んでいたものが、急にぷっつりと切れた。最後のプレーから20分以上経っていたので、なんだか負けた気もしなかった。何が何だかわからなかった。ただ、駒沢に行けないことだけははっきりしていた。 史上最悪に後味の悪い試合の終わり方だったが、誰が悪いわけでもない。白煙があがっていたからアウトと言った。公平を求められるのだからルールに則った。ルールに則ってプレーしている以上、自分たちは時間を戻してくれとは言えない。どうにもやりきれない気持ちで皆が涙しているとき、ライン際でそのプレーを見ていた他大の選手が、「いやー、あれは入ってたね」と話しているのが耳に入り、更にむしゃくしゃに追い打ちをかけた。 最後の学生選手権が終わった… 決勝の前日、自分は中京のHPの掲示板にメッセージを残した。 「準決勝では後味の悪い試合になってしまったけど、全ての状況が仕方のないことだったのだから、試合が終わった今、もう気にすることはない。自分たちは4年間駒沢に行くことができなかったが、せっかくその切符を手にしたのだから決勝戦の大体では絶対いい試合を見せてください。がんばれ中京。」
決勝では接戦の末、大体が中京を倒し優勝した。 表彰式で、3決で勝ったハスキーズは大体、中京と並んで駒沢のピッチに立った。 すると中京の一人が自分に話しかけてきた。 「決勝前夜のミーティングで掲示板に書き込まれていたメッセージをキャプテンが発表して、自分たちは晴れた気持ちで決勝に臨むことができた。」 そしてユニ交換を求めてきた。 彼は、最後にアウトコールをしたその人であった。 どれだけ勇気を出して話しかけてきたのだろう。いろいろ募る思いはあったが、ユニ交換に応じた。
それから4年が経ち、自分はその時交換したユニを着て、トレーニングをしている。学生の時のアルティの目標は明確であった。今の目標は?何のためにトレーニングしているのか?今後あの準決勝のような限界の状況がいつかくるのか?正直、よくわからない。あの日から、明確な目標が設定できなくなってしまったのかもしれない。そして、いくら望んでも、これからいくらあの時感じた後悔を取り返そうと努力しても、学生時代はもう2度と帰ってこない。 |
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2009 06,08 19:12 |
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おまたせしました!
・フレマン決勝 ・菅平ミックス の写真を更新しました! ご覧あれー。 |
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2009 04,27 15:40 |
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UPA Collage Regionals(South West地区)にColorado大学Kaliの一員として出場したはなえもんより結果速報が入りました。 Aチームのスタメンとして出場するはなえもんの活躍により、格上のUCLA (全米ランク11位)を撃破するなどの快進撃をみせ、なんとUPA Collage Nationals(日本での学生選手権・本戦ですね)への出場が決定したとのことです!! いやぁ、最近ハスキーズのメンバーが世界と触れる機会が多くなってきましたねぇ。 歴史を刻むにつれ、着々とチームとして成熟しつつあるのかなと感じます。 とても感慨深い思いです。 当のはなえもん君には、UltiVillageに激撮&インタビューされるよう、ハスキーズ魂を込めた激シブプレーを連発してもらいたいものです。 是非日本からはなえもん君を応援してあげましょう。 http://www.upa.org/scores/scores.cgi?div=122&page=3&tourn=5930 ↑UPA Collage Regionals(South West 地区)の結果 http://www.upa.org/scores/scores.cgi?div=18&page=3&team=1411 ↑Colorado Kali Aチームのメンバー(Kaliだけで4チームのレベル分けがあるみたいです) Aチームの中でしっかり背番号1を勝ち取っています http://kalifrisbee.com/ ↑Kaliのホームページ |
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2009 03,30 14:59 |
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久地練からの帰り道、わしはコペン(ポール元主将の下駄代わり)を運転していた。 途中寄り道したこともあり、湘南台付近に入った頃には既に9時を回っていた。 いやはや練習も疲れたし、その後のポール元主将のみなとみらいショッピングの荷物持ちをさせられたのも疲れたし、やっと帰ってきた~と、多少気が抜けていた。 そんな状態で湘南台4丁目付近の467号線と平行する道を時速60kmくらいで走っていたら、コペンの右前輪目がけて一直線に道を横断してくる物体があった。 白ネコちゃんだった。 あまりにも急に現れたのと今のスピードでは、 急ブレーキをかけても絶対に間に合わないタイミングだった。 やばい、本当に轢き殺してしまう…。 一瞬白ネコちゃんと目が合った。 背筋が凍りついた。 しかしそんな非常事態に備えカンフーの訓練を怠らなかった成果が発揮された。 瞬時に対向車線に対向車線がいないことを気配で感じたわしは、 急ブレーキと共にハンドルを思いっきり右に回し、 荷重が左にかかりきったところでハンドルを左に戻しアクセルを踏み込んだ。 普段かわいいコペンがその時ばかりは激しく唸りを上げてローリングした。 走行車線に戻ってからルームミラーで後方を確認すると、 道端でぺしゃんこになっている白ネコちゃんの姿は無かった。 白ネコちゃんが飛び出てきてからハンドルをきるまで0.1秒もかからなかったであろう。 |
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2009 03,27 17:25 |
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とある平日振休の日、ポール元主将に久地グラウンドまで送らされたのでハスキーズの練習に出た。 既にメガネ、コンタクトの無い生活に慣れ、2.0の視界があたりまえになっている。 レディースが奇数だったこともあり、わしは練習試合に混ぜてもらうことになった。 内心、アルティ歴7年&男なのでカッコ悪いところは見せられないと必死なのだが、いかにも余裕たっぷりで涼しげな顔でプレーしなければいけないところがOBとして難しいところである。 そして不運なことに宿敵の片山さんとマッチアップすることが多かったので更にその難易度は上がった。 さすがはOB、どこでもできるよ的にハンドラーに入ったものの、無残なほどのミスコミュニケーション振りでTOを連発してしまった。 またディフェンスでも読みがことごとくはずれ、あたかも自分がターゲットになっているかの如く長竹とミカにロングを通されまくった。 このままではOBとしての面子が保てない…。 わしは秘儀「男の脚力」を解禁する決断を下した。 強引なミート、強引なディフェンスを繰り返し、後半は多少持ち直してきた。 そしてブレイクチャンスがやってきた。 わしは再び片山さんとマッチアップしていたのだが、片山さんのオープンロングのカットにまんまとミカがシュートを放ってきた。 「ふ、悪かったね・・・。レディースにオープンロングを伝授した元祖はうちの代だから、その戦法はお見通しなのさ。ポジションもこっちが有利だし、残念ながらこのシュートはカットさせてもらうぜ…。」 と心の中でつぶやきながら走っていたら、最初はほぼ並走していたはずだったのになぜかいつの間にか追い抜かされ、シュートの軌道も若干風に流され完全に片山さんの方に吸い込まれていっていることに気付いた。 まずい しかしまだ男にはこのピンチを脱出できる方法が残っていた。 「ふ、大先輩相手によくがんばったけど、さすがにこれを見逃すわけにはいかないのさ。ファールかポジショニング負けかギリギリのところで競るという大人のディフェンスで止めさせてもらうぜ…。」 最終奥義 体当たり ジャンプした片山さんと走っている男がドカッ!とぶつかった。 片山さんは無残に吹き飛び、ディスクは地面に落ちた。 はずだった。 無い。 どこを探してもディスクが落ちていない。 まさか…。 そして男は気付いた。 その試合には絶対に臨んではいけないくらいのコンディションであったことを。 なんと、練習前に手の爪は切ったのだが、足の爪は切り忘れていたのだった。 それではいくらレーシックで視力2.0になっても、アルティはおろか歩行すら困難である。 爪さえ切っておけば…。 準備不足を非常に後悔したのであった。 |
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2009 03,23 17:57 |
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殺意の波動を極めるべく、ポール元主将と共に道場に向かった。 ポール元主将は今回はカシスビールなるものを修行直前にお飲みになり、 体調管理は万全の状態で臨むことができたようだ。 今回の修行もシルクロードの音楽に合わせて静的な柔軟から始まり、 徐々にダイナミックストレッチへ移っていった。 柔軟の中にはかなり過酷なメニューも含まれており、 目の前の拳士はまだ準備運動だというのに脚がガクガクと痙攣していた。 まだ開始して10分だというのに先が思いやられた。 冬だというのにストレッチだけで汗だくになり、 経験豊富な師範でもマメに水分を補給していた。 師範は何やらピンク色をした容器を持っていたので中国4000年の不思議な液体なのかと思い隙を突いて確認したところ「フォション ピーチ味」と小洒落た紅茶だったことが残念だった。 今回は新たに構えを3種類習った。 カンフーは動物の動きを参考にしているとの説明を受けたのだが、 真っ先に竜の構えから入ったのには中国のスケールの大きさに驚かされた。 竜の構え…写真が無いのでどのような形か知りたい人はポール元主将まで。とにかくアルティメットに直結する構えである。猛烈な踏み込みと、脇腹の柔軟性が求められる。 蛇の構え…残念ながら写真が無いのでどのような形か知りたい人はポール元主将まで。これは股関節と背筋の柔軟が鍛えられ、特に背筋はなかなかストレッチする機会がないのでつらかった。 鷹の構え…まことに残念ながら写真が無いのでどのような形か知りたい人はポール元主将まで。これは片足のバランスと、重心のコントロールが鍛えられる。師範に正しい姿勢に矯正されると途端につらくなるのが楽しかった。 動物を模倣した構えの他には突き、蹴りのコンビネーションも新たに習った。 ・ 下段回し蹴り→上段飛び回し蹴り ・ 上段2連回し蹴り ・ 上段3連突き→前蹴り→回し蹴り いかにカンフーが回し蹴り好きかがわかる。 しかしなかなか普段回し蹴りなんかしないので、回転のバランスがとれない。 飛び回し蹴りになるとしっかり踏み切りをおこない勢いをつけないと逆に着地の時によろけてしまうなど、身のこなしについて大いに考えさせられるところが多い。 カンフーを通じて身のこなしという永遠のテーマについて語り合いたい人は是非ポール元主将まで。 |
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2009 03,09 14:54 |
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私とPaul元主将が殺意の拳を極めるためカンフー道場に通い始めたことはみなさん御存じかと思われるが、実際に修行を始めてみての経過報告を行いたいと思う。 3月第一週の月曜日の20:30、業務後に道場へ直行した。 場所は湘南台駅のすぐ近くなので徒歩で通えるところがありがたい。 Paul元首相は酔拳を習得したかったためか修行の直前に生ビール中ジョッキを飲み干すという心意気を見せていたので、自分も負けていられないと闘志に火がついた。 いざ道場に入ってみるとそこには近い将来拳を交え、血を血で洗うことになるであろう数人の見習い拳士たちが既に待機していた。 彼らの中には映画に出てくるようなカンフー道着を装着している者もおり経験者の風格を漂わせていたのだが、その中Paul元首相はあろうことか新人戦クレイジーピンクユニを装着(ほろ酔い)していたのでそれはそれである種の風格を漂わせていた。 5分くらいの静寂の後、師範が入室された。 師範はおもむろに部屋に設置されていたCDコンポに向かい何やらCDをセットしたかと思うと、完全に「中国」「カンフー」をインスピレーションさせる音楽が流れ始めた。 突然の不意打ちに面食らっていると、隣でPaul元首相がニヤニヤ笑っておりこちらが冷や冷やさせられた。 後に師範の隙を突いて何のCDかチェックしたところ、「世界の音楽 シルクロード」と、本場のCDではないところが少しショックだった。 しばらくすると準備運動が始まった。 普段使わない筋肉のストレッチの連続だったので、真面目にやると結構大変だった。 一方、元ダンス部のPaul元主将は楽々とこなしていた。 その後、簡単な型の練習が始まった。 いかにもカンフーといった突き、蹴りからそれらのコンビネーションまでを軽くやったのだが、頭ではわかっていてもなかなか体がついてこず、和製ジャッキー・チェンまでの道のりは遠いなと実感した。 一方高校生の頃ダンス部でジャズダンスでブイブイいわせていたPaul元主将はさすがの身のこなしで次々に動きをマスターしていった。 中でも上段2連回し蹴りはPaul元主将の得意技であるので一見の価値はあるであろう。 そんなこんなで1時間半ほどの修行を終えた頃にはくたくたになっていた。 最後は太極拳のようなストレッチ&深呼吸を行い心身をリラックスさせ、今回の過程は終了した。 実に素敵な1時間半であった。 普段アルティメットしかしていないから体がアルティメット用の動きに慣れてしまっているのだが、それとは全く異なる動きをするカンフーを取り入れることによって様々な場面で身のこなしの幅が広がる気がした。 |
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2009 03,09 11:22 |
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早速春合宿の写真がアップされましたよ。 |
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2009 01,08 22:20 |
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冬合宿の写真をアップしました~。
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2008 12,15 18:45 |
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待望の写真アップですよ。
最近めっきり寒くなってきましたが、 アツかった2008年の夏を懐かしんでくだされ。 |
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