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2009 06,24 15:57 |
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先日SFCのジムで学生たちに混ざってトレーニングをした。 思えばこのジムにも長いことお世話になっている。 入学してから数えると8年目になる。 4年前まではHuskieの一員としてHuskiesのために、 今はVegeGriffonsの一員としてVegeGriffonsのために、 自分の能力を少しでも上げチームに貢献しようとトレーニングをする。 ベンチプレスを終え上半身を起こすと、 正面の鏡張りになった壁面に自分の姿がうつっていた。 その時自分は赤の中京のユニを着ていた。 中京…。 学生時代の多くの時間を練習に費やし、 喜びや悲しみを共有し、 時には激しく怒鳴り合ったこともある仲間たちと過ごした4年間。 そんな様々な経験の中でも常に同じ方向を向いていた。 駒沢 1年生の頃はまだ見たこともなかった。 2年生の頃はただの夢でしかなかった。 3年生の頃は遠くはなれた現実味のない世界だった。 そして自分たちが4年生になり、 フレッシュマンでも惨敗し前評判の低かったハスキーズは、 遂にあと1つ勝てばその舞台に立てるところまでやってきた。 最後に立ちはだかったのは中京大学。 駒沢に立つ最後のチャンスを賭け、準決勝が始まった…。 学生選手権が始まるまでハスキーズは強くなかった。 というか自分たちは強いという実感はあまり持っていなかった。 フレッシュマンでは惨敗し、夏合宿で何とかチームとして形になったかなという程度で、何だかフワフワした気持ちのまま学生選手権に突入してしまった。 ただ、その年のハスキーズは例年とは違うメンバー構成であった。 通常は学生選手権となると4年生+3年生がほとんど出場してその中でもメンバーが固定されることが多いのだが、自分たち4年生があまり強くなかったことと、後輩が恐ろしく強力だったこと(3年生秀一先生の代、2年生石野氏の代、1年生堺氏の代)で、どんどんメンバーが入れ替えられていた。 その甲斐もあり、予選の実戦を経験するたびに彼らは強くなり、ハスキーズは強くなっていった。 一次予選初日リーグは独協、立教、明海の3試合で難なく突破した。 一次予選二日目上位リーグは日大、成蹊で、日大を倒し成蹊とは引き分けたが得失点差で1位通過した。成蹊戦はダウンペースだったのだが、最後の10秒で同点に追いつくというヒヤヒヤものの試合だった。 一次予選最終日上位トーナメントではシードだったため初戦がベスト4で日体と当たり、ダウンペースだったのを最後の5分くらいで逆転し、勝利した。この時点で本戦への出場が決定した。残りの試合は雨天のため中止となり、フリップにより運良く東日本1位として本戦に進めることになった。 最後は適当な感じで順位が決まってしまったものの、一次予選を終える頃には皆に“試合に勝てる感触”が芽生えていた。会場からの帰りの車の中、次の対戦相手、中京を倒すにはどうしたよいのかと議論し、翌日が一次予選の最終日であった西日本予選を早朝発で視察しにいくことを決めた。 翌日、はるばる愛知県までおもむき、中京のオフェンスセット、ディフェンスセット、オフェンス・ディフェンスの戦術をチェックした。西日本予選の決勝は大体vs中京で、13-7で大体が勝利した。 こうした準備のもと、本戦を迎えた。 中京、上智、関学、日大との5チームリーグだった。 初戦は中京。誰しもが中京の勝ちを予想していた。応援に来ていたハスキーズのOBでさえ中京には勝てないと踏んでいた。そんな状況の中、事前の調査からディフェンスのマッチアップやゾーンの形など出来得る限りの対策を胸に秘め、戦った。結果、9-4でハスキーズが勝利した。最初に連続得点した点差を守りきったという試合展開だった。強敵に勝つための悪あがきをして本当によかったと感じた瞬間だった。 いよいよ勢いにのったハスキーズは続けて日大、関学を倒し、更にはフレッシュマンズカップで準優勝していた上智をも倒し、5チームリーグを1位通過したのだった。 その日の宿での風呂で、「本格的に駒沢が見えてきた」と皆で語ったのを覚えている。シードのため次の試合が準決勝であり、中京vs成蹊の準準決勝の勝者が上がってくるという状況であった。中京は一度倒しているが、成蹊は前回ひどく苦戦した上にこれまで唯一勝利していないチームだったため、どちらかといえば中京があがってきたらいいなーとか話していた。そして翌朝、中京が成蹊を倒し、ハスキーズは中京と本戦で2度目の対戦を迎えるのだった。 本戦の準決勝が始まった。余裕のペースで進むであろうと予想していた試合だったが、昨日とは打って変わって終始ダウンペースの苦しい展開が続いた。ようやくがんばって追いついたと思ったら簡単にロングで点を取られてしまったり、身体能力の差を見せつけられるような点の取られ方をしたりと、誰が見てもハスキーズは苦しんでいた。しかしそんなつらい状況の中でも誰一人あきらめることなく立ち向かっていた。最も印象的なのはこの厳しい状況のなか相手のスローオフをほぼエンドゾーンのところでキャッチミスしてしまったのだが、執念としかいいようのないエンド前のマンツーでTOを取り返し、そのセットを得点した。そんな仲間たちの奮闘を目の当たりにする中、正直自分の実力ではこの試合は通用しなかったので試合には出ることができず外から応援することしかできなかったのだが、コートサイドでこんなことを考えていた。「なぜ自分はこのような場面で試合に出れるほどの努力してこれなかったのだろう…。最後の最後にこんな大事な場面が、こんなに苦しい試合展開が待っていて、その中で少しでもみんなの役に立てるプレーができるということが1年生、2年生、3年生の時に予想できたなら、どんなつらい練習でもしてきただろう…。」と、人生で2度と訪れない重要な場面で今までの自分の甘さをこれでもかと後悔していたのであった。二流選手の証である。 ダウンペースながらも執念のプレーを連発し、残り時間3分くらいで1ダウンまで追いついた。そして、意地とプレッシャーと疲労とが限界までに高まった状況の中、ハスキーズは中京からTOを奪った。そして残り1分、ノーTOでエンド前まで繋いで、同点まであとパスが一本。残り時間あと5秒。最後のシュートが2年生の横やんにとんだ。エンドラインぎりぎりのところでキャッチ。エンド内に足を残すために伸ばした足から白煙があがった。 インか?アウトか?? 「アウト」 いやいや、入っているでしょ。いや、でもラインを踏んでいるように見えた。云々、もめている間にタイムアップになった。ハスキーズとしては当然譲るわけにはいかない。2カ所からビデオが撮られていたのでビデオ判定も行ったのだが、不運にも人と重なってしまっており決定的証拠は映っていなかった。20分以上もめたが、どちらも譲らないため、最終的に学連の判断を仰ぐことになった。 学連は公平に、ルールに基づいた判決をした。 「ワンバック」 試合はランニングタイムのため、残り時間5秒に戻らない。ワンバック=タイムアップである。さぁサドンデス、なんとしてもブレイクをしてやる!と意気込んでいたものが、急にぷっつりと切れた。最後のプレーから20分以上経っていたので、なんだか負けた気もしなかった。何が何だかわからなかった。ただ、駒沢に行けないことだけははっきりしていた。 史上最悪に後味の悪い試合の終わり方だったが、誰が悪いわけでもない。白煙があがっていたからアウトと言った。公平を求められるのだからルールに則った。ルールに則ってプレーしている以上、自分たちは時間を戻してくれとは言えない。どうにもやりきれない気持ちで皆が涙しているとき、ライン際でそのプレーを見ていた他大の選手が、「いやー、あれは入ってたね」と話しているのが耳に入り、更にむしゃくしゃに追い打ちをかけた。 最後の学生選手権が終わった… 決勝の前日、自分は中京のHPの掲示板にメッセージを残した。 「準決勝では後味の悪い試合になってしまったけど、全ての状況が仕方のないことだったのだから、試合が終わった今、もう気にすることはない。自分たちは4年間駒沢に行くことができなかったが、せっかくその切符を手にしたのだから決勝戦の大体では絶対いい試合を見せてください。がんばれ中京。」
決勝では接戦の末、大体が中京を倒し優勝した。 表彰式で、3決で勝ったハスキーズは大体、中京と並んで駒沢のピッチに立った。 すると中京の一人が自分に話しかけてきた。 「決勝前夜のミーティングで掲示板に書き込まれていたメッセージをキャプテンが発表して、自分たちは晴れた気持ちで決勝に臨むことができた。」 そしてユニ交換を求めてきた。 彼は、最後にアウトコールをしたその人であった。 どれだけ勇気を出して話しかけてきたのだろう。いろいろ募る思いはあったが、ユニ交換に応じた。
それから4年が経ち、自分はその時交換したユニを着て、トレーニングをしている。学生の時のアルティの目標は明確であった。今の目標は?何のためにトレーニングしているのか?今後あの準決勝のような限界の状況がいつかくるのか?正直、よくわからない。あの日から、明確な目標が設定できなくなってしまったのかもしれない。そして、いくら望んでも、これからいくらあの時感じた後悔を取り返そうと努力しても、学生時代はもう2度と帰ってこない。 PR |
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