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2009 10,07 09:59 |
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症状:屈伸で激痛、歩くのが困難 怪我の翌日。 診断:肉離れ 治療:電気、柔軟、スーパー体幹トレーニング、包帯で圧迫 本日は内転筋の柔軟について学ぶ。
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2009 10,05 11:17 |
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10月4日日曜日の柴又での練習にて、 今まで経験した肉離れだと「ピキッ」くらいな感覚だったのですが、 すぐにトレーナーにアイシング等の応急処置をしてもらったのですが、
と、普段は避けがちなネガティブな書き込みをした訳ですが、 2週間後の週末に全日本選手権・本戦が控えていますが、 今日からひまわり接骨院やトレーニング、酸素カプセルなどあらゆる手段を尽くして治癒を急ぎ、
何かと有言不実行に慣れてきてしまったこの頃ですが、 |
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2009 09,30 18:03 |
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ハスキーズ史上最大の負の遺産、
堂道ベッカムデカプリオの結婚式で使用された映像を公開します。 涙もろい人は授業中とか仕事中とか見るのと注意してください。 |
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2009 09,24 17:45 |
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学生本戦(ごく僅か)と、
全日予選(レディー)を更新しましたよ! 上を目指してがんばれ〜! |
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2009 09,08 11:17 |
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1年以上痛みが続いている部分がある。 左足のスネが痛い。 クッション性の高いスニーカーで歩く分には支障はないのだが、 激務中に革靴で歩いたり、 ましてやスパイクでアルティをしたりなんかすると、 金属の棒で殴ったかのようなアザができ、腫れる。 その痛みのせいで、 左足だけのジャンプができないほどである。 おかしいなーとは思っていたのだが、 一ヶ月くらいの安静期間を設ければ大丈夫だろうと考えていた。 が、一か月ぶりの練習後、 また同じような症状が出て痛んでしまった。 チームのトレーナーに相談したところ、 骨に異常があるかもしれないということでレントゲンを撮ることを勧められた。 普通に歩けているし、 我慢すれば走ったりもできるし、 そんな重症ではないだろうと思っていたが、 某整形外科で撮ったレントゲン写真を見て驚いた。 骨に亀裂が入っているではないか!! ガビーンとなっているところに某整形外科のうんこ医者は追い打ちをかけてきた。 うんこ医者「痛いとわかっているのにそこを使うようなことをするから悪いんだ。」 うんこ医者「Qちゃんが引退したのもこの疲労骨折のせいで、みんなやめてしまう原因。」 うんこ医者「一番たちの悪い疲労骨折だ。」 うんこ医者「少なくとも今やってるスポーツは半年はできないな。」 うんこ医者「走ることはもちろん、ウォーキングもしてはいけない。」 うんこ医者「衝撃の大きい革靴をはいてはいけない。スニーカーを履け。」 うんこ医者「どうしても動きたいんだったら水泳程度なら大丈夫だろう。」 うんこ医者「ただ、3ヶ月後にレントゲンを撮って改善が見られなかったら、手術だな。」 うんこ医者「じゃあ湿布50枚と痛み止め3週間分出すから。」 うんこ医者「今度来た時には手術かどうかのゴーサインをだしてやるよ、ガハハ。」 疲労骨折…、終わっている。 しかしながら自分は医学的な知識は持っていないが、 このうんこ医者は自分のためを思って発言しているとは思えない。 例えこの方法で痛みが消えたとしても、 またスポーツをして同じような体の動かし方をしたらまた同じ症状が出てしまうことは目に見えている。 ということは即ち自分はもう一生スポーツができない体になってしまったということではないか。 この医者の意見を聞いたところで何も根本的な解決にはならない。 断固として納得がいかん。 うんこ医者が得意そうに不安要素を並べ立てている途中から、 わしは耳にシャッターを下ろした。 わしの心の声「もう二度と来ません」 山ほどの湿布と飲み薬を受け取り病院を出て、 その足で一直線に普段お世話になっているひまわり接骨院へ向かった。 このブログでも何度か登場しているひまわりさんだが、 ここに通うようになってから劇的に身のこなしが改善され、 今の運動能力の8割はひまわり式であることは間違いない。 またひまわりさんは怪我の根本的な治療を目指すため、 今まで一度も診療後に「ただ安静にしてなさい」と言われたことがない。 必ず原因となる体の使い方を修復するためのトレーニングを課せられる。 そしてすごく不思議なことに一度正しい身のこなしを覚えてしまうと、 例え怪我をしていても運動することができてしまう。 (自然と怪我の箇所に負担のかからないような身のこなしができるようになるので、怪我をしているのに違和感を感じないという不思議。) そんな、先ほどのテラうんこ病院と違い、 怪我をポジティブに考えられるひまわりさんにセカンドオピニオンを求めに行ったのだ。 かくかくしかじかとこれまでの経緯を伝えると、 いつものようにトレーニングが始まった。 何種かのトレーニングを終えると、ひまわりさんは言った。 ひまわりさん「じゃ、痛い方の足でジャンプしてみ?」 ガビーン。 骨にヒビが入ってるんだからさすがにそれは無理でしょ??? と半信半疑にジャンプしてみると、 痛くない。 ガビーン。 痛くない!!? 何度跳んでも痛くない!!!!? 別に麻酔をしたわけでもないのに!!? 継続してそのトレーニングを行うことにより、 自然と左足のスネへの負担が減ってゆくだろうとのことである。 そして念のため今後どれくらいスポーツをしてよいかを尋ねてみると、 ひまわりさん「普通に次回の練習に出てもいいよ。ただ、トレーニングだけは継続してね。」 カッコ良すぎる…。 2つの病院で、 片や革靴での歩行も禁止で薬漬けの絶対安静、 片やいつもの練習プラス身体能力改善トレーニング(もちろん飲み薬も、湿布すらない) という、両極端の診断。 セカンドオピニオンを求めたことで、 ここまで差のある選択肢を得ることができた。 どちらの選択肢を良いと判断するかはその人次第であると思うが、 自分は後者が自分に適している信じ、 練習とトレーニングを続けようと思ったことは言うまでもない。 |
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2009 09,01 11:08 |
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この日記は、現在所属するベジグリフォンズの同期であり、写真やブログにもちょくちょく顔を出してくる双子系アルティメッターによって書かれたものである。 雨が降ってきたため、いつもよりも早く練習を切り上げた東京エロス倶楽部 Vegegriffonsの面々は雨で冷えた体を温めるため、いつも練習後にお世話になっている鶴の湯にいった
いつものように外国製のシャンプーとボディーソープの匂いが銭湯に充満してきた頃、 「お前、いつも髭そってんな。」 しかし、この何気ない一言にある男が反応した 「じゃんけんで負けたやつ、チン毛剃らない?」 楽しいことが大好きなVege達がこの一言を見逃すわけがなかった。12名もいるため自分は負けるわけがないと思っているメンバーが しかしそのとき、遅れてきたキャプテン志村が一言。 「俺は嫌だ。」 ブーイングの嵐。そしてみんなが理由を聞くと一言 「宗教上の問題で。」 そんな理由は秒殺されるのはわかっていながらも小さな抵抗をした志村キャプテンの勇気を称えたい。 志村キャプテンがじゃんけん激弱なため、VEGEで物事を決める際の絶対的方法“指上げゲーム”で偉大なる剃毛者1名を決めることになった。 舞台は鶴の湯 露天の場。 一瞬で決まる戦いがあれば、何ターンも行われる戦いがあり、それはそれは手に汗握る戦いであった。 個人的には の戦いであった。そして、いくつものアツい戦いを終え、決勝に残ったのは 松井、はるお、啓介になった。 予想通りであるといえば予想通りであるが、松井が負けるのが個人的には1番盛り上がる展開と思っていたが、3人で行われた指上げで、松井はいち早く抜け出した。このあたりはさすが、毛の生えた心臓をもつ男である。 そして、はるおと啓介の一騎打ちとなる。 先に先手をとったのがはるおであった。しかし、啓介も食らいつき、1本対1本までもつれる展開となる。そのあとは両社1歩も引かないTO合戦である。 そして、決着は5ターン目?できた。 軍配ははるおに上がった。 そして、啓介ははるおの髭そり(たしかジレット フュージョン5+1 http://www.kimura-kouichi.com/essay/others/fusion5.html) それをみたVEGEのメンツのコメントは 第1位 : 気持ち悪い。
追伸:言いだしっぺが大体負けるのです。 |
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2009 08,17 17:28 |
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学生1次の写真をアップしましたよ!
夏休み中はリーマンの仕事が加速します。 写真を提供してくれた皆さん、 写真を撮ってくれた*さんありがとうございました。 |
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2009 08,06 17:47 |
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お待ちかね!
写真をアップしましたよ。 提供してくれた皆さん、ありがとうございます。 |
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2009 08,05 15:43 |
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8月1日、高校時代の友人の結婚式があった。
高校時代で仲がよいやつらはトータル7人。 高校の友達が結婚をするときは残りの6人が必ず余興をやることになっている。 時を遡ること1年ちょっと。 友人のできちゃった結婚式が行われた。相手は高校の部活の後輩。 余興はみんながそれぞれ「小島よしお」をやってその後ナースのコスプレをして「我が家」をやる予定だった。 練習のためにカラオケにいってみんなで練習した。多分4時間くらいは練習した。 でも俺は不思議に思っていた。 なんでみんな「我が家」の練習しかしないんだろう。 俺「小島よしおのネタも練習しようよ」 みんな「俺らはもう完璧だから大丈夫、逆にお前のネタ見せてよ」 俺「お前らが教えてくれるまで俺も本番まで見せない」 みんな「いや、無理無理、とりあえずお前の見せてくれたら俺らのも見せるから」 しょうがないから俺が何も音楽がないのに仕込んだネタを披露すると ダメだしの嵐!! あーしたほうがいい、こうしたほうがいいと言われまくった!! しょうがないから言われたとおりに直してなんとか俺の部分は完璧に。。。 そしたらカラオケを使える時間がもう少ないから我が家をやろうという話になってしまった。 小島よしおは自分の家でも練習できるけど我が家は合わせないと難しいじゃんというのが理由 毎回練習のたんびに俺以外は小島よしおの練習をしない。 俺は正直思ったね、こいつら小島よしおをなめてるんじゃないか。 いくら当時流行っているといえど、腕の動きと足の動きをリンクさせるのはかなり難しいんだぜ、と 本番でうまくいかなくても知らないから!! 本番俺はナース服とバミューダ水着を持参して登場 俺「お前ら水着持ってきた?」 A「あ、忘れた、コンビニで女の下着買ってこよーっと」 なめすぎ!! まあ式も始まり、余興の準備をし、いざ俺らの闘いが始まった。 入場して、俺がマイクを持ち 音楽に合わせて最初から最後まで踊りきる(みんなからの失笑が痛かった) そして次のやつがやるまで俺は恥ずかしい姿勢のままポーズを決める。 5秒くらいたっても誰もやらない。 おかしいな、と思っていると 友人A「今の小島よしおはこいつしかやりません。元々こいつを騙して一人だけ違う台本を渡していました。 今から本当の余興を始めます」 俺「んナーーーーーーーにーーーーー!!!!お前らもやれよ!!(式の最中) 友人&新郎「うわっはははは」 観客「ぶわっはははは」 完璧にはめられた。。。。。 どおりでみんな小島よしおを練習しなかったわけだ。 まあ余興は大成功したからよかったけどさ。。。 そしてもう一人の余興を今年の6月にやった。 これはプロポーズの再現をあらびき団のモンスターエンジンでやった。 神様の遊びってやつね。 知らない人はユーチューブでみて。見てから続きを読んで これは本来2人でやるやつだけど5人でやったからさあ大変。 ストーリーを考えるのもまじ大変 考えた末にたどり着いたのは2人が新郎新婦の役で居酒屋で飲んでる。 他の4人が同じ居酒屋で飲んでる。 そしてみんな神になっていくという設定(1人以外) これは口でいってもつまらないけどとりあえず上の1人っていうのが俺ね 俺だけは神になれないという設定だから、神になったときの衣装が俺だけ違う 俺は神にはなれないけど神になろうとする設定。 本当の神はタイツにカツラなんだけど 俺の場合は紐パンツ(袋と毛がはみ出てる状態) ここに載せようと思ったけど大変なことになるから無理だった。 新郎新婦の親族の目の前、いや、鼻の先での余興だったからまじ視線が冷たかった。 でも大うけ!!ちゃんと新郎と新婦に伝えるメッセージがあったし、アドリブも完璧だったし 2次会でも女の子からキャーキャー言われたし(違う意味で) そして8月1日の結婚式での余興がやってきた(フラッシュバックはここで終わり) それは悪魔の日、一生忘れない日にちとなった。 来月に続く |
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2009 07,24 09:22 |
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去る2009年7月19~21日、台北の高雄(カオシュン)においてワールドゲームスが行われたのだが、わしは日本代表の成績はもちろんのこと、もう1点気になってしょうがないことがあった。 それは、アメリカ代表のメンバーである。 わしは自分が大学2年生の頃からColorado大学Mamabirdに魅了され、毎年UPA CollageのDVDを個人輸入するというヲタ活動を続けているのは周知のことと思われるが、当時学生だった彼らが卒業し、社会人チームに入り、そして今回のワールドゲームスの選考メンバーに名を連ねているのを見てとても感慨深い思いであった。 中でも#10 Adam “Chicken” Simon、#20 Josh “Richter” Ackley、#50 Beau Kittredge、 #60 Jolian Darlの4人は2004年のUPA Collageにて優勝したメンバーであり、現在もJohnny Bravoで活躍しているので要チェックな人物たちである。(UPA Collage過去の優勝チーム:http://www1.upa.org/hallofchampions/college/openchampions) そんな、同世代の彼らがアメリカ代表のトライアウトに挑戦していることを考えると、同じ時間を生きていてアルティメットをしている自分がとてもしょぼく思えてくる。 それはさておき、この4人の中で最終的にアメリカ代表になることができたのはBeauだけだったのだが、わしは某I氏というマル秘のルートを通じてこんなアイテムをゲットする運びになった。 この方向性を間違えた情熱をプレーだけに傾けることができたらすごいんだろうなーと思うのだが、それができないのはやはり性格なんですかね~。 |
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2009 07,21 16:34 |
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The・衝動的な大人買いをしてしまった。 思い切って購入したのはいいものの、 世の人のスルーされるのが怖いためWWWにアップさせていただく。 とある休日、焦げたトーテムポールと原宿ショッピングに出かけた。 目的は、「The Bathing Ape」である。 エイプとの出会いはわしが高校生の頃まで遡る。 高校時代、金銭事情的にまったくもってシャレオさんファッションと縁が無かったわしは、高2(17歳)になっても小学生の頃ママンに買い与えられたイトーヨーカドー系巨大エイリアンプリントロンTが最強の勝負服であった。 それもそのはず、埼玉の男子校で、毎日マインスイーパー(※)ゲヴォさんらとつるんでいたのだのだから、カッコよくなる要素など皆無であった。 ※ 「マインスイーパー」…セールやアウトレット等で店の戦略として置いてある、定価ではどうやっても売れないので40%OFFとかで叩き売られているゴミアイテムを、地雷なのかダイヤの原石なのか悩みに悩んだ挙句購入し、家に帰っていざ着てみると完全に地雷であることに気付き2度と着ることはないという経験を、季節ごとにこなしている孤高な漢の職業名。 そんなもっさりしていたわしに、あるときクラスのファッションリーダー野口君が声をかけてきた。 「原宿に服見に行こうぜ。」 原宿?わしは原宿という町も、言葉さえもほとんど知らなかった。 そして、普段ヘドロ系ファッションしか身にまとっていないわしにとって、いきなりイトーヨーカドー以外に服を買いに出かけるのは非常に敷居が高かった。 が、野口君のようなおしゃれボーイに少しでも近づけるのであれば、と、勇気を振り絞って一緒に原宿へ繰り出す決意をした。 竹下通りに着くと、わしはカルチャーショックを隠しきれなかった。 こんなにいっぱい服が売っている町があるなんて! ゴスロリ系や古着系など、煩雑な町並みに興味津々でキョロキョロしてしまった。 ここはシカゴといって量で勝負の古着屋さんだよ、ここはラグタグといってちょっとレベルの高いアイテムを置いてある古着屋さんだよ、と、スタスタ歩きながら次々と情報を教えてくれる野口君はまさに神のように見えた。
明治通りに出ると、野口君はこんなことを言った。 「ここから先は裏原だよ」 裏…?? わしの頭の中でドナドナが流れた。 きらびやかなファッションの世界の裏側の世界に連れて行かれてしまうのか…? いざとなったらまじダッシュで逃げよう…。 いろいろな妄想が頭を駆け巡り、わしは歯を喰いしばって明治通りの横断歩道を渡った。 そして裏原宿へと突入した。 細くて入り組んだ道をわけもわからず連れて行かれ、 「ここ。」 と言われた店は、細い通りから更に地下にもぐらなければならない場所にあった。 地下はやべぇ。 颯爽と歩く野口君の後ろにピッタリついて階段を降りると、そこには白を基調としたお猿さんのロゴがかわいらしいお店であった。 「ここ、エイプっていうんだ。ちょっと高いけど、すごいかわいいんだよね。」 エイプ。知らん。猿って!w と適当な感性で入店してし、適当にウィンドウショッピングをしていたら、値札がチラッと見えてしまった。 やばいよ野口君、ここは僕たちの来るところではない、帰らないと。 わしは平静を装って野口君を探したら、野口君は既にレジでお会計をしていた。 37,800円。 そ、そんなバカな、同じ人体を保温するという目的である衣服1枚で、わしのエイリアンロンTが38枚買えてしまう!!? そして、オシャレとはこういうことなのか!!!? その衝撃の光景は、今でも頭の中に映像として残っている。 そんなショックを受けた後、野口君に連れられて裏原のシャレオなお店をいろいろと散策した。 わしのお小遣い月収5000円という生活では何ひとつ買うことはできなかったが、 その後何度も野口君と原宿に来たためわしは次第に裏原に詳しくなっていった。 野口君と初めて裏原に来てから9年の歳月が過ぎ、 大人になり十分な経済力を得たわしは遂に自力で裏原に挑んだ。 そして9年間というもの勝てる見込みの全く無かったエイプに、完全にイチ消費者として挑んだ。 エイプも進化しており、地下に小さく構えていた店舗から、エイプ専用のビルを構えていた。 堂々とお店に入り、堂々とウィンドウショッピングをしていると、わしはある素敵アイテムと目が合ってしまった。 少し風変わりなポリエステル素材の短パンなのだが、奴はわしのハートを鷲掴みにしてきた。 ただの短パンだし、エイプといえども諭吉先生1人お呼びするだけで十分だろうと勘繰り安易な気持ちで値札を見たところ、衝撃の事実が待っていた。 17000円…。 奴はレベルが数段高かった…。 世の中にそんな高価な短パンが存在するなんて…。 わしの心は一気にへし折られた。 しょぼんと下を向いたままエイプビル内をとぼとぼと歩いていると、そこらじゅうの服に潜んでいるエイプロゴたちがわしを嘲笑してきた。 けけけ、おまえなんぞにエイプ様は一生手にすることはできないんだよwww そうだ、この壁を乗り越えるか乗り越えないかで見える世界が全然違ってくるんだ。 負けてはいけない! 隣ではトーテムポールがいたく簡単に「買ったらええやん」と言っている。 遂に、わしはエイプの壁を超えた。 親には絶対言うことができないお買い物をしてしまった。 地雷、か?? いや、絶対にそんなことはない! 一世一代の大勝負くらいの勢いで買ったスーパースタイリッシュアイテムに限って!! 会う人みんなが褒めてくれることを心の中で期待してます。 少しでもばかにした人はこの夏の写真に一枚も写らないらしいです。 |
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2009 06,24 15:57 |
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先日SFCのジムで学生たちに混ざってトレーニングをした。 思えばこのジムにも長いことお世話になっている。 入学してから数えると8年目になる。 4年前まではHuskieの一員としてHuskiesのために、 今はVegeGriffonsの一員としてVegeGriffonsのために、 自分の能力を少しでも上げチームに貢献しようとトレーニングをする。 ベンチプレスを終え上半身を起こすと、 正面の鏡張りになった壁面に自分の姿がうつっていた。 その時自分は赤の中京のユニを着ていた。 中京…。 学生時代の多くの時間を練習に費やし、 喜びや悲しみを共有し、 時には激しく怒鳴り合ったこともある仲間たちと過ごした4年間。 そんな様々な経験の中でも常に同じ方向を向いていた。 駒沢 1年生の頃はまだ見たこともなかった。 2年生の頃はただの夢でしかなかった。 3年生の頃は遠くはなれた現実味のない世界だった。 そして自分たちが4年生になり、 フレッシュマンでも惨敗し前評判の低かったハスキーズは、 遂にあと1つ勝てばその舞台に立てるところまでやってきた。 最後に立ちはだかったのは中京大学。 駒沢に立つ最後のチャンスを賭け、準決勝が始まった…。 学生選手権が始まるまでハスキーズは強くなかった。 というか自分たちは強いという実感はあまり持っていなかった。 フレッシュマンでは惨敗し、夏合宿で何とかチームとして形になったかなという程度で、何だかフワフワした気持ちのまま学生選手権に突入してしまった。 ただ、その年のハスキーズは例年とは違うメンバー構成であった。 通常は学生選手権となると4年生+3年生がほとんど出場してその中でもメンバーが固定されることが多いのだが、自分たち4年生があまり強くなかったことと、後輩が恐ろしく強力だったこと(3年生秀一先生の代、2年生石野氏の代、1年生堺氏の代)で、どんどんメンバーが入れ替えられていた。 その甲斐もあり、予選の実戦を経験するたびに彼らは強くなり、ハスキーズは強くなっていった。 一次予選初日リーグは独協、立教、明海の3試合で難なく突破した。 一次予選二日目上位リーグは日大、成蹊で、日大を倒し成蹊とは引き分けたが得失点差で1位通過した。成蹊戦はダウンペースだったのだが、最後の10秒で同点に追いつくというヒヤヒヤものの試合だった。 一次予選最終日上位トーナメントではシードだったため初戦がベスト4で日体と当たり、ダウンペースだったのを最後の5分くらいで逆転し、勝利した。この時点で本戦への出場が決定した。残りの試合は雨天のため中止となり、フリップにより運良く東日本1位として本戦に進めることになった。 最後は適当な感じで順位が決まってしまったものの、一次予選を終える頃には皆に“試合に勝てる感触”が芽生えていた。会場からの帰りの車の中、次の対戦相手、中京を倒すにはどうしたよいのかと議論し、翌日が一次予選の最終日であった西日本予選を早朝発で視察しにいくことを決めた。 翌日、はるばる愛知県までおもむき、中京のオフェンスセット、ディフェンスセット、オフェンス・ディフェンスの戦術をチェックした。西日本予選の決勝は大体vs中京で、13-7で大体が勝利した。 こうした準備のもと、本戦を迎えた。 中京、上智、関学、日大との5チームリーグだった。 初戦は中京。誰しもが中京の勝ちを予想していた。応援に来ていたハスキーズのOBでさえ中京には勝てないと踏んでいた。そんな状況の中、事前の調査からディフェンスのマッチアップやゾーンの形など出来得る限りの対策を胸に秘め、戦った。結果、9-4でハスキーズが勝利した。最初に連続得点した点差を守りきったという試合展開だった。強敵に勝つための悪あがきをして本当によかったと感じた瞬間だった。 いよいよ勢いにのったハスキーズは続けて日大、関学を倒し、更にはフレッシュマンズカップで準優勝していた上智をも倒し、5チームリーグを1位通過したのだった。 その日の宿での風呂で、「本格的に駒沢が見えてきた」と皆で語ったのを覚えている。シードのため次の試合が準決勝であり、中京vs成蹊の準準決勝の勝者が上がってくるという状況であった。中京は一度倒しているが、成蹊は前回ひどく苦戦した上にこれまで唯一勝利していないチームだったため、どちらかといえば中京があがってきたらいいなーとか話していた。そして翌朝、中京が成蹊を倒し、ハスキーズは中京と本戦で2度目の対戦を迎えるのだった。 本戦の準決勝が始まった。余裕のペースで進むであろうと予想していた試合だったが、昨日とは打って変わって終始ダウンペースの苦しい展開が続いた。ようやくがんばって追いついたと思ったら簡単にロングで点を取られてしまったり、身体能力の差を見せつけられるような点の取られ方をしたりと、誰が見てもハスキーズは苦しんでいた。しかしそんなつらい状況の中でも誰一人あきらめることなく立ち向かっていた。最も印象的なのはこの厳しい状況のなか相手のスローオフをほぼエンドゾーンのところでキャッチミスしてしまったのだが、執念としかいいようのないエンド前のマンツーでTOを取り返し、そのセットを得点した。そんな仲間たちの奮闘を目の当たりにする中、正直自分の実力ではこの試合は通用しなかったので試合には出ることができず外から応援することしかできなかったのだが、コートサイドでこんなことを考えていた。「なぜ自分はこのような場面で試合に出れるほどの努力してこれなかったのだろう…。最後の最後にこんな大事な場面が、こんなに苦しい試合展開が待っていて、その中で少しでもみんなの役に立てるプレーができるということが1年生、2年生、3年生の時に予想できたなら、どんなつらい練習でもしてきただろう…。」と、人生で2度と訪れない重要な場面で今までの自分の甘さをこれでもかと後悔していたのであった。二流選手の証である。 ダウンペースながらも執念のプレーを連発し、残り時間3分くらいで1ダウンまで追いついた。そして、意地とプレッシャーと疲労とが限界までに高まった状況の中、ハスキーズは中京からTOを奪った。そして残り1分、ノーTOでエンド前まで繋いで、同点まであとパスが一本。残り時間あと5秒。最後のシュートが2年生の横やんにとんだ。エンドラインぎりぎりのところでキャッチ。エンド内に足を残すために伸ばした足から白煙があがった。 インか?アウトか?? 「アウト」 いやいや、入っているでしょ。いや、でもラインを踏んでいるように見えた。云々、もめている間にタイムアップになった。ハスキーズとしては当然譲るわけにはいかない。2カ所からビデオが撮られていたのでビデオ判定も行ったのだが、不運にも人と重なってしまっており決定的証拠は映っていなかった。20分以上もめたが、どちらも譲らないため、最終的に学連の判断を仰ぐことになった。 学連は公平に、ルールに基づいた判決をした。 「ワンバック」 試合はランニングタイムのため、残り時間5秒に戻らない。ワンバック=タイムアップである。さぁサドンデス、なんとしてもブレイクをしてやる!と意気込んでいたものが、急にぷっつりと切れた。最後のプレーから20分以上経っていたので、なんだか負けた気もしなかった。何が何だかわからなかった。ただ、駒沢に行けないことだけははっきりしていた。 史上最悪に後味の悪い試合の終わり方だったが、誰が悪いわけでもない。白煙があがっていたからアウトと言った。公平を求められるのだからルールに則った。ルールに則ってプレーしている以上、自分たちは時間を戻してくれとは言えない。どうにもやりきれない気持ちで皆が涙しているとき、ライン際でそのプレーを見ていた他大の選手が、「いやー、あれは入ってたね」と話しているのが耳に入り、更にむしゃくしゃに追い打ちをかけた。 最後の学生選手権が終わった… 決勝の前日、自分は中京のHPの掲示板にメッセージを残した。 「準決勝では後味の悪い試合になってしまったけど、全ての状況が仕方のないことだったのだから、試合が終わった今、もう気にすることはない。自分たちは4年間駒沢に行くことができなかったが、せっかくその切符を手にしたのだから決勝戦の大体では絶対いい試合を見せてください。がんばれ中京。」
決勝では接戦の末、大体が中京を倒し優勝した。 表彰式で、3決で勝ったハスキーズは大体、中京と並んで駒沢のピッチに立った。 すると中京の一人が自分に話しかけてきた。 「決勝前夜のミーティングで掲示板に書き込まれていたメッセージをキャプテンが発表して、自分たちは晴れた気持ちで決勝に臨むことができた。」 そしてユニ交換を求めてきた。 彼は、最後にアウトコールをしたその人であった。 どれだけ勇気を出して話しかけてきたのだろう。いろいろ募る思いはあったが、ユニ交換に応じた。
それから4年が経ち、自分はその時交換したユニを着て、トレーニングをしている。学生の時のアルティの目標は明確であった。今の目標は?何のためにトレーニングしているのか?今後あの準決勝のような限界の状況がいつかくるのか?正直、よくわからない。あの日から、明確な目標が設定できなくなってしまったのかもしれない。そして、いくら望んでも、これからいくらあの時感じた後悔を取り返そうと努力しても、学生時代はもう2度と帰ってこない。 |
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2009 06,08 19:12 |
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おまたせしました!
・フレマン決勝 ・菅平ミックス の写真を更新しました! ご覧あれー。 |
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2009 04,27 15:40 |
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UPA Collage Regionals(South West地区)にColorado大学Kaliの一員として出場したはなえもんより結果速報が入りました。 Aチームのスタメンとして出場するはなえもんの活躍により、格上のUCLA (全米ランク11位)を撃破するなどの快進撃をみせ、なんとUPA Collage Nationals(日本での学生選手権・本戦ですね)への出場が決定したとのことです!! いやぁ、最近ハスキーズのメンバーが世界と触れる機会が多くなってきましたねぇ。 歴史を刻むにつれ、着々とチームとして成熟しつつあるのかなと感じます。 とても感慨深い思いです。 当のはなえもん君には、UltiVillageに激撮&インタビューされるよう、ハスキーズ魂を込めた激シブプレーを連発してもらいたいものです。 是非日本からはなえもん君を応援してあげましょう。 http://www.upa.org/scores/scores.cgi?div=122&page=3&tourn=5930 ↑UPA Collage Regionals(South West 地区)の結果 http://www.upa.org/scores/scores.cgi?div=18&page=3&team=1411 ↑Colorado Kali Aチームのメンバー(Kaliだけで4チームのレベル分けがあるみたいです) Aチームの中でしっかり背番号1を勝ち取っています http://kalifrisbee.com/ ↑Kaliのホームページ |
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2009 04,24 09:30 |
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とあるお休みの日、日本アルティメット界で話が通用する人が数人しかいないであろうマニアックなアルティネタが、なんとアメリカはコロラドから届いた。 そう、ハスキーズレディースにおける随一のスローのスペシャリスト、はなえもんからの報告であった。 Callahan AwardにMamabirdの#40のマック・テイラー君がノミネートされているという話から始まり、 Johnny Bravo vs Team USA(Mix)が互角に戦うという信じ難い情報も教えてくれた。 また、我らがハスキーズがMamabirdに認知されているという感激な情報もあり、熱心な妄想海外アルティ活動の功が奏したことをうれしく感じた。 そして当のはなえもん君はコロラド大学でアルティ修行に励んでおり、今週末には地区予選が控えておりこれを勝ち抜くとUPA Collage Nationalsへの出場とのことなので、皆さん応援してあげましょう! はなえもん君はUltiVillageのカメラに執拗なまでのアピールをよろしくお願いします。DVD輸入します。 怪しげな異言語が平然と並べられていますが、 理解不能な皆さんちゃんと予習復習をするように!! 新しいアルティの世界が開けてきますよ。 |
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2009 04,02 22:18 |
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ドリームの写真をアップしましたよ!
今回は雨で枚数が少ないな~。 |
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2009 03,30 14:59 |
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久地練からの帰り道、わしはコペン(ポール元主将の下駄代わり)を運転していた。 途中寄り道したこともあり、湘南台付近に入った頃には既に9時を回っていた。 いやはや練習も疲れたし、その後のポール元主将のみなとみらいショッピングの荷物持ちをさせられたのも疲れたし、やっと帰ってきた~と、多少気が抜けていた。 そんな状態で湘南台4丁目付近の467号線と平行する道を時速60kmくらいで走っていたら、コペンの右前輪目がけて一直線に道を横断してくる物体があった。 白ネコちゃんだった。 あまりにも急に現れたのと今のスピードでは、 急ブレーキをかけても絶対に間に合わないタイミングだった。 やばい、本当に轢き殺してしまう…。 一瞬白ネコちゃんと目が合った。 背筋が凍りついた。 しかしそんな非常事態に備えカンフーの訓練を怠らなかった成果が発揮された。 瞬時に対向車線に対向車線がいないことを気配で感じたわしは、 急ブレーキと共にハンドルを思いっきり右に回し、 荷重が左にかかりきったところでハンドルを左に戻しアクセルを踏み込んだ。 普段かわいいコペンがその時ばかりは激しく唸りを上げてローリングした。 走行車線に戻ってからルームミラーで後方を確認すると、 道端でぺしゃんこになっている白ネコちゃんの姿は無かった。 白ネコちゃんが飛び出てきてからハンドルをきるまで0.1秒もかからなかったであろう。 |
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2009 03,27 17:25 |
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とある平日振休の日、ポール元主将に久地グラウンドまで送らされたのでハスキーズの練習に出た。 既にメガネ、コンタクトの無い生活に慣れ、2.0の視界があたりまえになっている。 レディースが奇数だったこともあり、わしは練習試合に混ぜてもらうことになった。 内心、アルティ歴7年&男なのでカッコ悪いところは見せられないと必死なのだが、いかにも余裕たっぷりで涼しげな顔でプレーしなければいけないところがOBとして難しいところである。 そして不運なことに宿敵の片山さんとマッチアップすることが多かったので更にその難易度は上がった。 さすがはOB、どこでもできるよ的にハンドラーに入ったものの、無残なほどのミスコミュニケーション振りでTOを連発してしまった。 またディフェンスでも読みがことごとくはずれ、あたかも自分がターゲットになっているかの如く長竹とミカにロングを通されまくった。 このままではOBとしての面子が保てない…。 わしは秘儀「男の脚力」を解禁する決断を下した。 強引なミート、強引なディフェンスを繰り返し、後半は多少持ち直してきた。 そしてブレイクチャンスがやってきた。 わしは再び片山さんとマッチアップしていたのだが、片山さんのオープンロングのカットにまんまとミカがシュートを放ってきた。 「ふ、悪かったね・・・。レディースにオープンロングを伝授した元祖はうちの代だから、その戦法はお見通しなのさ。ポジションもこっちが有利だし、残念ながらこのシュートはカットさせてもらうぜ…。」 と心の中でつぶやきながら走っていたら、最初はほぼ並走していたはずだったのになぜかいつの間にか追い抜かされ、シュートの軌道も若干風に流され完全に片山さんの方に吸い込まれていっていることに気付いた。 まずい しかしまだ男にはこのピンチを脱出できる方法が残っていた。 「ふ、大先輩相手によくがんばったけど、さすがにこれを見逃すわけにはいかないのさ。ファールかポジショニング負けかギリギリのところで競るという大人のディフェンスで止めさせてもらうぜ…。」 最終奥義 体当たり ジャンプした片山さんと走っている男がドカッ!とぶつかった。 片山さんは無残に吹き飛び、ディスクは地面に落ちた。 はずだった。 無い。 どこを探してもディスクが落ちていない。 まさか…。 そして男は気付いた。 その試合には絶対に臨んではいけないくらいのコンディションであったことを。 なんと、練習前に手の爪は切ったのだが、足の爪は切り忘れていたのだった。 それではいくらレーシックで視力2.0になっても、アルティはおろか歩行すら困難である。 爪さえ切っておけば…。 準備不足を非常に後悔したのであった。 |
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2009 03,23 17:57 |
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殺意の波動を極めるべく、ポール元主将と共に道場に向かった。 ポール元主将は今回はカシスビールなるものを修行直前にお飲みになり、 体調管理は万全の状態で臨むことができたようだ。 今回の修行もシルクロードの音楽に合わせて静的な柔軟から始まり、 徐々にダイナミックストレッチへ移っていった。 柔軟の中にはかなり過酷なメニューも含まれており、 目の前の拳士はまだ準備運動だというのに脚がガクガクと痙攣していた。 まだ開始して10分だというのに先が思いやられた。 冬だというのにストレッチだけで汗だくになり、 経験豊富な師範でもマメに水分を補給していた。 師範は何やらピンク色をした容器を持っていたので中国4000年の不思議な液体なのかと思い隙を突いて確認したところ「フォション ピーチ味」と小洒落た紅茶だったことが残念だった。 今回は新たに構えを3種類習った。 カンフーは動物の動きを参考にしているとの説明を受けたのだが、 真っ先に竜の構えから入ったのには中国のスケールの大きさに驚かされた。 竜の構え…写真が無いのでどのような形か知りたい人はポール元主将まで。とにかくアルティメットに直結する構えである。猛烈な踏み込みと、脇腹の柔軟性が求められる。 蛇の構え…残念ながら写真が無いのでどのような形か知りたい人はポール元主将まで。これは股関節と背筋の柔軟が鍛えられ、特に背筋はなかなかストレッチする機会がないのでつらかった。 鷹の構え…まことに残念ながら写真が無いのでどのような形か知りたい人はポール元主将まで。これは片足のバランスと、重心のコントロールが鍛えられる。師範に正しい姿勢に矯正されると途端につらくなるのが楽しかった。 動物を模倣した構えの他には突き、蹴りのコンビネーションも新たに習った。 ・ 下段回し蹴り→上段飛び回し蹴り ・ 上段2連回し蹴り ・ 上段3連突き→前蹴り→回し蹴り いかにカンフーが回し蹴り好きかがわかる。 しかしなかなか普段回し蹴りなんかしないので、回転のバランスがとれない。 飛び回し蹴りになるとしっかり踏み切りをおこない勢いをつけないと逆に着地の時によろけてしまうなど、身のこなしについて大いに考えさせられるところが多い。 カンフーを通じて身のこなしという永遠のテーマについて語り合いたい人は是非ポール元主将まで。 |
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2009 03,09 14:54 |
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私とPaul元主将が殺意の拳を極めるためカンフー道場に通い始めたことはみなさん御存じかと思われるが、実際に修行を始めてみての経過報告を行いたいと思う。 3月第一週の月曜日の20:30、業務後に道場へ直行した。 場所は湘南台駅のすぐ近くなので徒歩で通えるところがありがたい。 Paul元首相は酔拳を習得したかったためか修行の直前に生ビール中ジョッキを飲み干すという心意気を見せていたので、自分も負けていられないと闘志に火がついた。 いざ道場に入ってみるとそこには近い将来拳を交え、血を血で洗うことになるであろう数人の見習い拳士たちが既に待機していた。 彼らの中には映画に出てくるようなカンフー道着を装着している者もおり経験者の風格を漂わせていたのだが、その中Paul元首相はあろうことか新人戦クレイジーピンクユニを装着(ほろ酔い)していたのでそれはそれである種の風格を漂わせていた。 5分くらいの静寂の後、師範が入室された。 師範はおもむろに部屋に設置されていたCDコンポに向かい何やらCDをセットしたかと思うと、完全に「中国」「カンフー」をインスピレーションさせる音楽が流れ始めた。 突然の不意打ちに面食らっていると、隣でPaul元首相がニヤニヤ笑っておりこちらが冷や冷やさせられた。 後に師範の隙を突いて何のCDかチェックしたところ、「世界の音楽 シルクロード」と、本場のCDではないところが少しショックだった。 しばらくすると準備運動が始まった。 普段使わない筋肉のストレッチの連続だったので、真面目にやると結構大変だった。 一方、元ダンス部のPaul元主将は楽々とこなしていた。 その後、簡単な型の練習が始まった。 いかにもカンフーといった突き、蹴りからそれらのコンビネーションまでを軽くやったのだが、頭ではわかっていてもなかなか体がついてこず、和製ジャッキー・チェンまでの道のりは遠いなと実感した。 一方高校生の頃ダンス部でジャズダンスでブイブイいわせていたPaul元主将はさすがの身のこなしで次々に動きをマスターしていった。 中でも上段2連回し蹴りはPaul元主将の得意技であるので一見の価値はあるであろう。 そんなこんなで1時間半ほどの修行を終えた頃にはくたくたになっていた。 最後は太極拳のようなストレッチ&深呼吸を行い心身をリラックスさせ、今回の過程は終了した。 実に素敵な1時間半であった。 普段アルティメットしかしていないから体がアルティメット用の動きに慣れてしまっているのだが、それとは全く異なる動きをするカンフーを取り入れることによって様々な場面で身のこなしの幅が広がる気がした。 |
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2009 03,09 11:22 |
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早速春合宿の写真がアップされましたよ。 |
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2009 02,28 12:17 |
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こんなタイミングでりきしの業務日記を訪れてしまった奇特なみなさん、こんにちは。
久しぶりに写真ネタ以外で更新してみようと思う。 長い検討期間を経て、2009年2月21日の土曜日に遂にレーシックを受けた。
やはり目の手術ということもあって実績もまだ浅いし不安や恐怖もあったのだが、その恐怖以上に衝撃的な出来事の積み重ねが実行へと突き動かした。 大学卒業時の裸眼の視力は左0.3、右0.4くらいで少し見えづらいものの私生活においては運転以外は特に不自由していなかった。
なので仕事中や週末の練習や大会の時にだけメガネやコンタクトをつけていた。
しかし皆さんご存じの通り連日の超絶激務をこなしているうちに少しずつで視力が低下していたらしい。 視力低下の異変に気付いたのはOBになってからも続けている春合宿の激写に行った時である。 その時はレディースのセット練に混ぜてもらってエンド前のディフェンスでミドル・ディープはオープンミートケアで守るという趣旨であった。
わしは性別の違いによる身体能力の差を過信し、 あろうことか猪俣さんのディフェンスをすることになっていた。
ハンドラーがはめサイドにスイングを回し、 セオリー通り猪俣さんは6線の位置からオープンミートに走るのだが、 アルティ歴6年目の男が完璧なポジショニングでオープンに張っている。
しかし猪俣さんは恐れを知らずに突っ込んできた。
男は完璧な距離感を保ちながらポジショニングを守り続けた。
アルティ歴6年の経験からもうこのタイミングでは投げてこないだろうと予測した矢先、不意のタイミングでディスクが投げられた。
男は少しうろたえつつもまだオープン側に優位なポジショニングを保っていた。
猪俣さんはこの後すぐに男にカットされる運命にあるにも関わらずまだ猪突猛進に突っ込んでくる。
ふ、その気迫は認めるけど残念だったね、バシッ。 と簡単にカットしたつもりが、なぜか手にディスクが触れなかった。 なんと猪俣さんはオープンケアを保ち続ける男を後ろからダイブで追い越してキャッチしていた。 猪俣さんのスーパーキャッチを完璧な形でお膳立てした形になった男は その場にorzの形になり、原因を考えた。 「そうだ、今日はコンタクトをしていない…!」 と、この頃から視力低下による実力低下の関係を意識するようになっていたのだが、まだそこまでの影響は考えていなかった。 しかし翌年の春合宿でも衝撃的な事件が起きた。 毎年懲りもせず写真を取りに春合宿に繰り出し、今度はレディースからゾーン練のオフェンスをお願いされた。
ゾーン練こそ長年の経験が最も発揮される場であるので、OBにとってはまさに魅せ場である。
男はSMの武藤さんにディフェンスの動きを教えつつウィングを務めていた。
その時のゾーン練はオフェンス側のミスでTOは起きていたものの、 なかなか自分たちの形でTOを起こすことはできないでいた。
そのような感じでゾーン練の最終セット、 今回はオフェンスの調子がよく細かいパスがバシバシつながり あっという間にエンド前にディスクが進んだ。
男はパスの次を予測し、 駆け上がり気味にエンド内でもらおうと試み、 思惑通りきれいな流れでパスが飛んできた。 ふ、みんなディフェンスがんばったけど、アルティ歴7年はかなわなかったね、バシッ。 と簡単に胸元でキャッチするはずが、なぜかディスクが無かった。 キャッチする直前、DDに入っていた片山さんが気迫のダッシュで追い越しを狙う男を追い越し、男の胸元にあるディスクをダイブカットしたらしい。 男は頭を抱えてこの不測の事態を理解しようと務めた。 「そうだ、今日はコンタクトをしていない…!」 視力低下によるプレーの質の低下は不可避であると感じるようになり始めた。 そしてつい最近、レーシックを決意させる決定的な事件が起きた。 超絶激務明けのつかの間の振休にストーカーのごとくレディースの練習に顔を出し、セット練のディフェンスに入るようお願いされた。
アルティ歴7年を誇る男は3女に対して活き活きとディフェンスした。
するとハンドラーの追い越しから予想通りのロングがうたれ、性別の違いなど全く気にしない全力ダッシュのおかげで先に落下点に入ることができた。 ここ半年続けてきたジャンプトレーニングの成果を見せつけるがごとく自分のできる最高の跳躍をし、OBとして圧倒的な上キャッチを見せつけてやるぜ、バシッ。 手の中からディスクが消えていた。 男がディフェンスしていた讃井さんが男のはるか横から跳躍し、 男が最高点のジャンプのはるか上で軽々とかっさらっていったらしい。 男はこの収集のつかない非常事態の中冷静に状況を分析した。 「そうだ、今日もコンタクトをしていない…!」 オープン張りのディフェンスを追い越されてダイブキャッチされたのも、追い越しで胸元に飛んできたディスクを追い越されてダイブカットされたのも、落下点を先読みした完璧な体勢での上キャッチで軽々と競り負けたのも、全ての状況においてコンタクトをしていなかったということに集約される。 つまりコンタクトをする=視力が良くなれば全ての不安は拭い去られるのだと確信した。 ちょうどそのような視力に関する悩みを抱いている時に 偶然知人から以前から興味を持っていたレーシックの割引チケットを入手したこともあり、様々な情報収集と検討の上レーシックを受ける決意をした。 結局裸眼視力が0.1→1.5に回復し特に炎症なども起こらなかったため、 手術は成功したといえるだろう。 このように社会人的な、 金銭に頼った肉体改造によりかなりの能力UPが期待される。 復帰後のパフォーマンスが楽しみである。 それから、自分も割引チケットを持っているので、 興味のある人は声をかけてください。 体験談や相談なども歓迎です。 |
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2009 01,08 22:20 |
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冬合宿の写真をアップしました~。
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2008 12,15 18:45 |
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待望の写真アップですよ。
最近めっきり寒くなってきましたが、 アツかった2008年の夏を懐かしんでくだされ。 |
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2008 12,12 18:55 |
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修正完了ですよ。
これから写真のアップだー。 |
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