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2010 03,18 10:11 |
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引っ越し後荷物整理をしていたら自分の追いコンDVDが発掘され、最近卒業シーズンであることも重なって、おや懐かしいとばかりに鑑賞してみた。 全体の名プレー集から始まり、個人のプレー集と続き、メッセージビデオと続いた。
ふぅ懐かしいわ~と感慨にふけっていたら、続いて上下ユニ姿の気色の悪い男がSFC体育館の入口でストレッチしているという意味不明な映像が流れ始めた。
そうだ…
懐かしさと共に、輝かしい学生時代の思い出が込み上げてきた。
2006年の1月、わしは卒業制作の作業のため、一ヶ月くらい学校に通い詰めていた。
そのうち家に帰ったのは5日くらいしかなかったかもしれない。 1月も半ばに入りいよいよ作業も大詰め、命を削って最後の仕上げをしているところに、どりんぼより一本の電話が入った。
どりんぼ「相談があるんだけど…」
どりんぼにしては珍しく、電話越しの声が神妙であった。
事件にでも巻き込まれたのかと思い慎重に相談にのってあげることにした。
どりんぼ「やばい、俺卒業できないかもしれない。体育の最終レポート出すの忘れてた…」
わし「げ、まじか、何か事情があったのなら体育スタッフに相談してみなよ。」
どりんぼ「それが、今までずっとスノボに行ってて、2度も来ていたレポート未提出のメールをブッチしちゃっててさ、終わってる。」
わし「げぇ、それは終わっている。で、わしに何の用だい?」
どりんぼ「ハルオの所属している研究会の先生、体育スタッフの一員だったよね。なんとか頼み込んでレポート受け取るようにお願いしてくれよ、げへへへへ」
わし「ぅ…」
事件に巻き込まれたのはこっちだった。
自分の作業だけでもいっぱいいっぱいだというのに、訳のわからないことで先生と交渉しなければいけないという心労を背負わされ、全くもって不謹慎な話である。 それでもわしは4年間の付き合いもあるので、先生と面会の時間を予約し、他人事の相談にあがった。
先生「そういう話は本人が申し出るべきだよね。」
ごもっともこの上ないご回答である。
面談後すぐに電話にてどりんぼにその旨伝えると、彼はしょんぼりした様子であったが自らの責任に覚悟を決めた、かに思えた。
翌日の深夜1時。
研究室にて作業に没頭しているところに着信があった。 奴からだ。
嫌な予感がする…。
どりんぼ「体育スタッフの先生に、これまで体育の最終レポートを忘れた人はどれくらいの確率で卒業させてもらえたのか探りを入れてみてよ。」
わし「ぅ…」
深夜に超集中している最中に大胆に水をぶち差されるという鬱陶しさであったが、4年間同じチームで「喜びの共有」を分かち合ってきた友であったので、わしはすぐに先生との面会の時間を予約する連絡を入れた。
そして数日後、先生に相談してみた。
先生「いやぁ、それは実際体育スタッフでもわからないんだよね。年によっては全員卒業を認めないこともあるし。今の段階で卒業できるか、できないかははっきりできないな。今後開催される体育スタッフによる会議を経て、体育スタッフトップのSM先生の一存で決まると思うよ。」
今後の流れという有益な情報を携えて、どりんぼに報告した。
すると。
どりんぼ「なるほどね。まだ留年が確定したわけではないのね。じゃあ、どうすれば卒業できるか教えてくれるよう聞いてみてよ。」
わしはどりんぼによる傍若無人な立ち振る舞いに辟易し、奴の今後のため少しは社会的制裁を受けてもらわねばならんと確信した。
わし「そうだなぁ、とりあえず体育スタッフ会議の前に、SM先生に誠意を見せる必要があるね。そのためにはSM先生と直々に面会し、土下座でもなんでもして謝ることから始めないと。SM先生はバリバリの体育会系だから、体育会の反省の鉄則“坊主”にして行くとポイントが高いんじゃないかな。」
何も裏をとってない情報だが、どりんぼなりに切羽詰っていた模様で、わし独断のおもしろ司令をすんなりと了解した。
翌日、遂に奴が来校した。
SM先生に面会する前の奴に会うことができたのだが、確かに坊主であったが(湘南台駅の階段を上がったところにある床屋で坊主にしたらしい)、何か違和感を覚えてしょうがなかった。 わしは、誠意を見せる服装といえば、「スーツ+坊主」の組み合わせでバシッと決めてくるものと思いこんでいたが、ワールドワイドな感覚の持ち主であるどりんぼにそのような浅はかな常識は全く通用しなかった。
奴の格好は上から次のように組み合わされていた。
ニット帽→坊主→白のダウンジャケット→茶色のコーデュロイパンツ→ビジネスシューズ的な革靴
ビジネスシューズ的な革靴のところだけ、彼なりに誠意をみせたらしい。
どりんぼ「さすがにスニーカーより革靴のほうがいいっしょ」
わし「そうだね、いってらっしゃい」
勇ましい足取りでSM先生の研究室へ向かっていった誠意大将軍どりんぼの背中に、「無敵」の2文字が浮かび上がっているように見えた気がした。
数時間後。
しょげ返った誠意大将軍がそこにはいた。
面会した手応えは、惨敗だったらしい。
どりんぼ「なんでだろう、全くダメだった…」
爆笑をこらえきれないわし「そうか。。可哀そうに。。。でもこれで引き下がっちゃだめだぞ、チャンスがある限り何度も面会して誠意を見せ続けるんだぞ。」
数日後、どりんぼの明暗を分ける体育スタッフ会議が開催された。
会議後、わしは研究会の先生にどんな感じであったか尋ねてみた。
先生「結局、会議ではレポート未提出者は何人かいて彼らの処分について議論されたんだけど、今年はいろいろ大変だったみたいだよ。なんかSM先生の研究室にいきなり押し入って、平謝りを重ねた上になぜか坊主にしてきたことをアピールしてきた学生がいたみたい。それが彼なりの誠意だと思ったのかなぁ、おもしろい勘違いしてる人がいるものだよね。確かハスキーズの人だったみたいだけど、もしかして知り合い?」
わし「いえ、その人はたぶん知りません。」
これにて彼の人生が終わったことがほぼ確定的になった。
さよならどりんぼ、お互いベストを尽くしたが、残念だったな…涙
更に数日後。
レポート未提出者は全員留年がほぼ決まりかけていたところに、とある学生想いの体育スタッフ1人による情熱的な主張により、最終的にはその年はレポート提出が認められることとなった。
奇跡の大どんでん返しである。
レポート未提出者は罰として、体育館にて体育の授業で使用された柔道着を整理整頓するという労働が課せられた。
DVDに収録されていた、どりんぼが体育館入口でストレッチをしている謎映像は、この作業の直前の様子をとらえたものであったのだ。(撮影者:ガトリン、山田)
もちろんそのようなおもしろ映像が撮れるという情報をリークしたのは…
今後どりんぼが皆さんの前に坊主+革靴の組み合わせで現れたのなら、それは彼なりの精一杯の誠意であることを心に留めておこうではないか。 PR |
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2010 03,12 17:33 |
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『ゴリ・ラマン』である。
ゴリ・ラマンと呼ばれ始めたのにも理由がある。
ゴリラと呼ばれるのに理由なんているか? わかりますか? では、どう食ってやろうかと、悩みますかいいえ悩みません。
みなわたしの前では右脳で動いてるんです。 |
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2010 03,09 16:01 |
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わしも最近確固たる湘南BOYっぷりが定着してきた頃かと思われるが、そんなわしがサーフィン中、Yahoo!ニュースにてこんな記事を見つけてしまった。 …約7年間にわたり交際中の一般女性と結婚することを明かしていた鈴木Q太郎は「8月から婿養子になります。婚約している嫁の姓の猪熊になります」と報告。結婚式は8月8日に嫁の故郷の神奈川・茅ヶ崎で挙げ、同日に入籍も済ませるとのことで「(8月)8日から芸名も“猪熊Q太郎”に変えます。Q太郎が定着していますし、いいかなって」とにやけた。… ですって。 うちからチャリで5分くらいのところと思われます。 野次馬してみようかなんかなん。 |
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2010 03,04 15:06 |
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隔年に1人のペースでハスキーズには珍妙な戦士が入部する。 彼ら珍妙な戦士の特徴としては、あまりに強力すぎる個性を持ち合わせているため、ふとした言動や行動が一般庶民たちに衝撃を与え、飲み会の場などでいつの間にかその人の話題で盛り上がってしまうという共通点がある。 そしてひとしきり盛り上がったところで、「げ、また奴の話をしてしまった…」と皆しょんぼりする。 ハスキーズに接してきてはや8年になるわしは、その歴史の中で何人もの珍妙な戦士を目撃、体験してきた。 今回はその珍妙な戦士達について小ネタと共に振り返ってゆきたいと思う。 ■ 2001年入学 ぴんくさん 恐らく最近のハスキーズの人たちは誰も知らないであろう、伝説の珍妙戦士である。元から現役入学よりも2,3才くらい年上なのだが、実際の見た目は実年齢よりはるか上でムチムチの服をきたおっさんという感じであった。大会などではコート脇にいるだけのぴんくさんなのだが、あまりの見た目のインパクトから某シャッター系の方々からも認知されていたというツワモノである。 ハスキーズを途中でフェードアウトし、卒業したかしてないかも不明であり、現在は長野県の実家で農家を継いでいるという説が有力である。 ちなみになぜぴんくさんと呼ばれているかというと、一発芸の際に髪の色をピンクに染め上げてきたからだとのこと。 ■ 2002年入学 どりんぼ どりんぼと聞いて誰のことだかわかるだろうか?他にも、「ロドリゴ、ドリゲロ、ドリゲレ、アジャゲロ、アジャ、どりんぼ、ベッカム」など、頻繁にその名を変えてきた。 彼とは共通の時間を過ごしてきたためエピソードは数限りなく、世の中のしょうもないことのおもちゃ箱のような人間である。その濃厚過ぎる見た目から、初対面の人は少しびびってしまうことも少なくないようだが、ふたを開けてみればただのどりんぼである。 強引な罰ゲーム、露出、セクハラなど、彼のキャラクターでなければ簡単にポリス沙汰になるようなこともなぜだか許されてしまい、更には自身が「キャラ得」を十分に理解した上で蛮行に及んでいるのがこの上なく鬱陶しい。 動物園のゴリラのように遠目から見ている分には面白いのだが、初心者はくれぐれも気をつけていただきたい。 ■ 2002入学 部長 一度見たら忘れることのできない迫力の顔面&態度の持ち主である。その圧倒的な迫力から、社会人になってすぐ部長にまで駆け上がって彼だが、学生時代の大切な試合前にうんこを漏らしスタメンから外れるという常軌を逸したエピソードも備えている。 妙な人間関係が多く、今となっては普通に使われているハスキーズロゴも、この男がデザイナーと知り合いだったおかげで生まれたものである。 2002年入学には上記のどりんぼと部長というとんでもないキャラクターが揃って入部してしまったため、それまでのハスキーズのさわやか・硬派なイメージは蹂躙されつくした。 ■ 2003年入学 ゴラム 「ドゥフ」という奇怪な効果音を発することで一世を風靡した珍獣である。ゴキブリのような黒味を帯びた光沢のある肉体をし、学校グラウンドで裸でダイブしても無傷であり、壮絶なX脚のためお姉さん座りしかできないという点からして普通ではない。いつも浮浪者のような悲惨な格好をしてキャンパス内をうろついていたため、ある日「おしゃれKidsへの道委員会」がワカナ委員長の元発足し、町田にて全身コーディネートしてもらってからというもの、少しは見てくれにも気が回るようになった模様である。 また、伝説の学生優勝戦士F宅での宅飲みでの寝ゲロ逆ギレ事件は当時を知る者としては有名なエピソードである。 ■ 2005年入学 たくちゃん 見るからにアルティメット向きのつくりではないものの、史上最強の決め顔を武器に数々の名写真を残してきた。 合宿のミーティング中での壮絶な放屁事件など、自虐的なネタに満ち溢れた異色の戦士である。 ■ 2008年入学 ごはん 名だたる珍妙な男たちに混ざって、唯一のくのいちである。 新入生一発芸の時に壮絶なレオタードを装着していた事件等、ことあるごとに話題をかっさらっている模様である。 とある合宿前の平日の晩、わし、ブチュチュンパ、マコ、Comic Bunny、キモラ、ごはんという異色のメンバーで湘南台のBarに繰り出した時のこと。ハスキーズきってのおしゃれキッズCBを筆頭に「ごはんトータルコーディネートサミット」が緊急的に開催され、髪を明るくしてみる、明るい色の服にしてみる、パーマをかけてみるなど数々の具体案が進言されたものの、結局積極的な回答が得られずにサミットは閉幕してしまった。 しかしそのおよそ10日後、某男子から衝撃のタレコミが。 「合宿前に、ごはんパーマかけてたみたいですよ。」 け、健気…。 合宿中に何度か会ったにも関わらず、わしは何も気づくことができませんでしたが何か。 ■ 2009年入学 MG この男の話題のさらいっぷりは尋常ではない。 まだまだ全容はつかみ切れていないが、今後の動向に注目してゆきたい。 脈々と受け継がれるハスキーズの歴史の中に燦然と輝く異色の戦士たちのエピーソードは、これからも続く…。 |
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2010 03,04 11:26 |
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最近はアルティ的には疲労骨折のため完全に安静にしており、 その他の生活についても入試対応もあったため特にどこに遊びに行くこともなく、 例年と比べて活動的でない日々を送っている。 ただ、大きな出来事が1つあった。 それは、2010年2月末をもって、およそ8年に渡りお世話になり我が第二の故郷となっていた湘南台から、遂に完全撤退したことだ。 行き先は茅ヶ崎の海側(家から海まで自転車5分!)で、今まで陸の湘南こと湘南台が本拠地であったため名ばかりの湘南BOYだったのが、晴れて本格的に湘南デビューである。 そのためにスケボーも、自転車も用意したので、朝少し早く起きて、海岸を散歩してから出勤という夢のライフが目の前にある。 引っ越しの際ガスの開栓の連絡を忘れてしまい、ここ1週間くらい毎朝冷水シャワーを浴びる羽目になっていることを除けば、今のところ快適な茅ヶ崎ライフである。 と、これからの茅ヶ崎ライフについてはウキウキするような要素がいっぱいなのであるが、住み慣れた湘南台への名残も多くある。 チキンカツのチーズ焼きイタリア風を週1回以上は必ず食べに行っていた「アローム」。 ポークと水菜のみぞれ風という超絶まいうーパスタを求めて何度も通った「ペピタライオン」。 年の近いバーテンダーさんで、カクテルを教えてくれるだけではなくいろいろ遊びのお誘いもしてくれていたBar「Outgrowth」。 特にこれらのお店には足繁く通っていたため、今後なかなか行けなくなると思うと寂しさを感じるものである。 が、茅ヶ崎でも同じようにお気に入りの場所を見つけるため、開拓のため散策する日々が始まる。 ご近所さんのDeath井、キモラ、ブチュチュンパとつるんで、今日はどこに繰り出そうか…。 |
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2010 01,12 21:41 |
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私は部長だ。
皆が気にしている【ゴリ・ラマン】について紹介したいと思う。 心して読むように。 【ゴリ・ラマン】 ↓↓↓↓ これから、ちょくちょくと彼のパーソナリティをこのブログで紹介していきたいと思う。 ①まずは、手始めに、彼のブログから。 http://ameblo.jp/kaylewis/ ②鼻毛がとにかく凄い われわれの業界(第三営業部)では、鼻毛が飛び出している方に対しては、 「こんにちは」とあいさつする約束になっている。 なので、朝、何気ない感じで出社をして、 「おはよう。ラマン!」というと、 「おはようございます。部長様」と言われ、 その後、すかさず、ラマンに、 「こんにちは」って言われた場合は、 「鼻毛が出てますよ~」という合図になるわけです。 ビジネスマンのマナーとしては、 「こんにちは」はと言われるのはなんとか回避したい。 特にお得意先に、「こんにちは」を披露してしまうと、「さようなら」と言われてしまうので。 私たちは、お互い、「こんにちは」と指摘しあいながら、 ビジネスセンスを磨いている。 指摘された場合は、お互い謙虚に しっかりと鼻毛を引っこ抜くようにしている。 そんな我々だが、、、 今日、私が、PCに向かって、一生懸命仕事をしていると、 彼が大きな声で、「部長!」と声を掛けてきた。 忙しい業務の中、かわいい部下の声を聞くために、 嫌な顔一つせず、 「どうした?ラマンよ」 というと、、、 ラマンは嬉しそうにこちらを向いている。 「どうした?」 というと・・・ 彼が目線を下に向けて、彼の指先を見るような視線を送ってきた。 私は、かわいい部下の指示に従いながら、 目線を彼の人差し指に向けた。 そうすると、、、 そこには、、、 続きは、次回へ |
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2009 12,28 15:07 |
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私は部長だ。 今日から部長の業務日誌を始めることにした。 アルティメットの仲間(部下)たちは、 私のアルティ部下の一人であるハルオが、 「本当のところ部長はどれだけ厳しいのか?」ということを、 私は部長であるが故、「現場」の人間には、 予め言っておくが、「現場」というのは、ようするにりきし(はるお)のような よく、「事件は会議室で起きているんじゃない、現場で起きてるんだ」などという
「現場は全て会議室の手の中だYO」
本来なら、時給○○万円もらっている私が、こんなちんけなブログに
少し高圧的になってしまった。。。 「現場(三等兵)」とのコミュニケーションも大切にしなければな。 戦争になったとき、皆にそっぽを向けられてしまっては、 このように、部長は日々刻々と変わる状況、情勢を反省し、
部長は、「第三営業部」の「部長」として、取りまとめ 3つあるうちの第三営業部は、社内でも随一のエリートの集まりと 社内では、
(一匹オオカミのくせに、群れているのだ)
今日は、その荒くれ者のメンバーの中でも、 「ゴリ・ラマン」(イタリア生まれ) を紹介する。 彼は、とあるスポーツでも日本一を決めており、 「天は二物を与えず」 という言葉が最も似合わない男の一人だ。 ただ、やはり仕事のことになると、 そんな荒くれ者の彼とのエピソードを紹介する。
彼の普段の口癖は、
である。
??????????????????????
私 「それは無理だよ。いくら部長でもそれは無理」
ラマン 「そうですよね…。」
ラマン 「それでも自分いいっす。黒人になりたいんで!!」
私の辛さがわかっていただけただろうか? |
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2009 12,14 13:47 |
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自由と制度 アルティオフシーズンのベッカム&デリカッターズでは、ただ単にみんなで公園に繰り出し原始的な遊びを楽しむという健康的かつコストパフォーマンスの高い遊びをすることがブームとなっている。 先日は平均年齢25歳以上の総勢11名にも及ぶ紳士淑女たちで、埼玉県北部にある「森林公園」へと繰り出した。 東武東上線森林公園駅から森林公園までは3kmくらいあったのだが、尾中部長(http://www.spireinc.jp/)の完全な手配ミスにより全員が駅前のレンタサイクルを借りることになってしまった。 新世代の若者は当然のごとく自転車に乗れない子がいたりするので下手したらこの中にも乗れない人がいるかなと少し心配したのだが、さすがは全員昭和生まれ、全員余裕で乗りこなしていた。 約3kmの道のりを徒党を組んで爆走しようやく到着した森林公園は、広かった。園内を端から端まで歩くと1時間半くらいかかってしまうとのことなので、レンタサイクルは結果的に正解だった。 紳士淑女たちは公園に着くやいなや遊びだすという無邪気なことはせず、既に少し疲れているためまずは園内の食堂に向かった。食道にて休憩中に当日寝坊し遅刻していたさっこが予想外に早く合流した。公園までのサイクリングをどれだけ激走したのかが想像に易い。 その後はどこでもできるスロー練を楽しみ、スロー練にも飽きたところで次のアトラクションへと向かった。その名も、「ぽんぽこマウンテン」。日本最大級の面積を誇るトランポリンである。 素朴な感性を持つ11人の紳士淑女は童心のままトランポリンに走り込み跳躍を繰り返していたのだが、実はそのいたる所で悲劇が繰り広げられていた。 ゆきN氏「実は足首をひねっていました。その後も大丈夫だと思って跳ねていましたが、やっぱり痛いです。」 はなEもん氏「初任給で奮発して買ったDieselのジーンズが、気付いたら裂けてました。」 しかし最大級の悲劇は、あろうことか尾中部長の身に降りかかった。 トランポリンで無邪気に(必死に)跳ねている紳士淑女の人数は最初11名だったはずなのだが、集合写真を撮るために人数を数えていたら、なぜか14名確認された。 誰?? よくよく集団を見渡してみると、紳士淑女たちの中に3名の地元の少年少女が我々に同化していることが確認された。 名前を聞いてみると3兄弟らしく、長女まり、次女かえで、長男ナイトという小学生たちであった。 初対面というナイーブな関係である我々は当初無邪気に仲良くトランポリンを跳ねていたのだが、彼らは尾中部長の姿を視認した途端ににわかには信じ難い発言を繰り広げ始めた。 まり「きのこ気持ち悪い!」 かえで「やーいやーい、きのこきのこ!」 ナイト「うわー、きのこ、ち○こ丸見え!!」 集団リンチである。株式会社ス○○○においては部長という肩書きを持ち、社会的に大きな責任を持つ男が、小学生にかかればただの「きのこ」である。その後も「気持ち悪い」「エッチ」などの罵詈雑言を浴びせかけられた彼は、一足先にトランポリンから降り、疲れた大人の顔をして1人ベンチに腰かけていた。その姿に社会の哀愁を感じたことは言うまでもない。 人間としてはただのちん○丸出しきのこ野郎なのに、大人は自ら制度をつくりだしその対応に追われたがる妙な生きものである。彼らの目にはそう映っていたのかもしれない。 |
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2009 11,26 19:04 |
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はいはい、ガイアカップの写真をアップしましたよ!
左のリンクから見てください。 いやはや、なんだかんだでアルティは楽しいですね〜。 |
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2009 11,04 17:40 |
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チーム「ベッカム&デリカット」で行った迷路&アスレチックの写真をアップしましたよ。
左のリンクから閲覧してください。 |
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2009 10,29 15:53 |
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久々の休日、わしはお気に入りウィンドウショッピングスポットの原宿へと出かけた。 到着したのはいいものの、最近なんだかんだで社会人4年目とは思えないほどの金欠のため、特に何を買おうとも思っていなかった。 先日宿敵のエイプさんを攻略したのだから、もう裏原は我が物顔で歩けるものと思っていたのだが、心の底では何かまだ違和感を感じていた。 なんだ、このわしがまだ入るのにためらってしまうショップがこの街にあるというのか?? しかしその違和感を解明できることのないまま、わしとブチュチュンパ(ドラクエのモンスター参照)はかなりの上から目線で裏原を闊歩していた。 目ぼしいショップにずかずかと入り、ふっ、今日の僕には用はないねっ、といった感じで店を出る行為を続けた後、ふとわしの前にそそり立つ、未だ越えられないオーラを放つ目に見えぬ巨大な障壁が現れたのを感じた。 すわ、なんだこのオーラは!!!!?まさかMGか!? 違った。 目の前には、異次元の雰囲気を漂わせた「DIESEL」タワーが天高く聳え立っていた。 わしは足が震えた。 こいつは、強い!!! 気付いたらもうブチュチュンパが建物の中に侵入してしまっていたので、わしは勢いに任せて次元の狭間に突入した。 そこには異空間が広がっていた。 そして、異空間の住人にしか着ることができないような、いや、着ることが許されないような異次元アイテムが並んでいた。 ぐは、こ、これは店員さんにつかまったら殺られる…。 勝ち目のない戦いに頭を突っ込んでしまいそうなので早々に引き返したいところだったが、あろうことかブチュチュンパはどんどんダンジョンの奥底へと向かってゆく。 わしはメタルギアソリッドばりのステルス移動をし、店員の背後をとり続けつつブチュチュンパの後を追った。 途中薄手のペラペラのカーディガン(ダイブしたら一発で穴あきそう)の値札を見たら、なんとわしの1ヶ月の家賃を超えているではないか。 これは本格的にやばい。 余裕綽々のブチュチュンパは一通り見たいものを見終えたらしく、ようやく店の出口へと向かった。隠密を続けてきたわしは、店を出た途端に安堵のため息が出た。 と思ったら、ブチュチュンパはためらうことなくDIESELタワーの地下へと向かってゆく。半泣きでついてゆくと、地下は地上階の雰囲気とは一転して、中世ヨーロッパの古城にある地下拷問場のような禍々しいオーラに満ち溢れている。 絶体絶命である。 ブチュチュンパは高価格帯のジーンズが並ぶコーナーに行きいろいろ物色している後ろでわしは完璧なステルス隠密を取り続ける。そこで奴はやらかした。 「何か買いーや。」 完璧なステルス隠密が台無しである。自称関西出身のショップのお姉さんが今の関西弁をキャッチしたらしく、完全にこちらに向かってきている。 絶体絶命である。 DIESELのお姉さん「ジーンズお探しですか、どんなのがいいですか?」 わし「えと、実はそんなに決まってないんですよね~」 DIESELのお姉さん「これからの季節、濃い色なんていかがですか??」 わし「えぇと、どちらかというと薄い色の方がいいかな~なんて思ってるんですよね」 DIESELのお姉さん「そうですよね~、ぎゃはははは◎」 !!!!!???? なんだこの陽気なお姉さんは!?? そこにふと蚊が飛んできたので2人でバシッと手を叩いたのだが、逃してしまうと、 DIESELのお姉さん「あれ~、逃げちゃいましたね~、けど店の中だから逃げられませんね~、ぎゃはははは◎」 !!!!!!!???!?!?!??!?? 何なんだこの人は!!? わしはハイパーおしゃれジーンズを購入した。 履いてみると、それは異次元であった。 履くだけでジーンズが似合う男になることができた。 そして、今世紀最大のおしゃれジャケットまで購入してしまった。 親には絶対に値段を言うことができない。 ただでさえ貯金が無いっていうのに…。 DIESEL、果たして攻略できたのだろうか? いや、まだ奴を弄ぶには自分の実力が足りない…。 あと10年したらリベンジしにいきます。 |
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2009 10,19 12:52 |
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症状:あれ?正面ミートで浮き玉を取りに行った時にピキっていった 結局、2試合を通して2セットに出ることができた。 出れるとお願いして出させてもらってこの結果なのだから、これが自分の実力と認めるしかない。 ベジのチーム力に自分がまだ通用していないことを実感した大会であった。
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2009 10,19 12:52 |
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症状:日常生活では特に違和感なし 明日から大会。 金曜は仕事を午後半休をもらい、出発前に最後のひまわりさんに行き、特別トレーニングを行う。 怪我をした瞬間からどうすれば大会までに間に合うかだけを考え、トレーニングを行ってきた。 大会が楽しみだ。 |
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2009 10,16 10:52 |
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症状:筋肉痛 10日ぶりにしっかり走ったので、筋肉痛がきた。 |
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2009 10,16 10:51 |
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症状:膝裏の内出血風の痛みのみ。 インフルエンザ大爆発によるリアル激務(23:00退勤)後、実際に体を動かした。 ・メビウスリング30分ラン 肉離れ部分は痛くないが、内出血部分が少し重い感じがした。 遂にまともに走れるようになった! 帰宅後プロテインとビール酵母をゴブゴブ飲む。 |
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2009 10,16 10:51 |
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症状:肉離れ部分の痛みは無い。膝裏のあざが、内出血しているような痛み。 台風休校激務後(5:09退勤)、ひまわりへ。 膝裏のあざは、肉離れ部分の悪いもの(←よくわからん)が下におりてきたとのこと。 |
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2009 10,16 10:51 |
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症状:肉離れ部分の痛みはないが、膝裏チョイ上にあざのようなものができている ひまわりさんには行かず、自主トレのみ。 |
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2009 10,13 17:59 |
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ひょんなきっかけで、
卒業制作時につくった「未来型投球マニュアル」が発掘されたので、リンクを張ってみました。 「自由自在にスローが投げれればチーム力が低くても個人能力で打開できる」 と信じ、スローの研究と練習に没頭していた当時を思い出し懐かしくなりました。 ちなみに当時この研究をしているとき、 大学2年、3年だった竜さんや秀一先生などスローの達人たちは、 僕とは表現こそ違うものの感覚でこれらのことを理解し、実践できていました。(僕はヘタクソだったのでただの頭でっかちでした) 僕も彼らもそれくらいスローについて考えていたし、それを実現できるくらい練習していました。 今の現役君でこの話題をすんなり理解でき、感覚的にわかる人はどれくらいいるかな? 今後の練習の際、もしよければご参考ください。 |
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2009 10,13 11:11 |
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症状:私生活では痛み無し! 日曜はベジ練に出る。 また、右足を怪我したからかどうかわからないが、 大会までには完治することを確信! |
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2009 10,13 11:07 |
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症状:私生活では痛み無し! ほとんど痛みが無くなったのでベッカム練に出てみる。 スロー練での踏み込みは問題ないので、 |
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2009 10,13 11:03 |
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症状:スニーカーでなら7割くらいの力で走れる。 今日も都合が悪くひまわりさんにいけなかったため、 |
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2009 10,09 08:53 |
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症状:歩行は問題なくできる、小走りで少し痛む 今日はひまわりには行かず、自主トレ。 いい感じで回復していると思う。 |
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2009 10,08 16:15 |
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2006年3月。 そう、それはわしが愛するSFCを、ハスキーズを卒業する月。(その後半年もたたずに戻ってくるとは夢にも思っていない。) 当然の如くハスキーズの同期で卒業旅行を企画したのだが、うちの代は非常にまとまりが悪くみんなの日程が合わず、結局近場の軽井沢に1泊2日という悲惨な卒業旅行で終わってしまった。 一度も海外に行かずに卒業なんて耐えられない!! ということで、わしは改めて安井さん(「安い発言や行動ばかり繰り返す堂道さん」の略)と尾中部長(当時は就活留年決定で心の底から暇だったはず?)と韓国旅行へ行く計画を建てた。 しかし尾中部長は雪山パトロールに行ってたか、別に卒業しないんだから誘わなくていいじゃねということでか、なんだかんだで一緒には行かなくなってしまった。 ということで、最終的に安井さんと2人で韓国へ繰り出すことになった。 行くことを決めたのが3月17日くらいで、出発が3月20日くらい。 泊まる場所も何もかも決まっていない状態で航空チケットだけを手配し、まさに身一つで成田を飛び立った。 その時の格好と言ったら、これから2泊3日で海外旅行をする人たちのいでたちではなかった。 わしは私服1種類と、小さなショルダーバッグに替えのパンツ×1をぶち込んだだけというもの。 安井さんは「これから久地に練習に行くんですか?」といういつも通りの格好に、賞味期限が切れてからずいぶん経つ薄汚いリュックに日経新聞がぶち込まれているだけだった。 ソウル空港に着いたのは11時半くらいだった。 午前ではない、午後である。 そこからソウル市街へリムジンバスで運ばれ、見知らぬ土地に放置された時には既に深夜12時を回っていた。 観光どころの話ではない。 とりあえず寝場所を確保せねば。 しかし現地の地図も何もかも用意していない我々は深夜のソウルで途方に暮れまくった。 じっとしててもどうにもならないのでとりあえずウロウロしていると、遠くの方にホテルらしき明かりが見えたので近寄ってみた。 値段によってはあそこでもいいかと話しながら入口で料金プランを確認すると、1泊4万円とのこと。 さようなら、四つ星ホテル…。 更にウロウロしまくっていると少し繁華街っぽい通りに入り、その周辺で探索を続けることにした。 すると向こうから怪しげな露店を開いているおばちゃんが歩み寄ってきた。 警戒しながら何を言われるのかと耳を傾けていると、意外な言葉が出てきた。 おばちゃん:「お兄ちゃんたち泊まるトコないの?」 ビンゴ!かつ日本語である。 大いに驚き、身辺事情を赤裸々に語ったところ、おばちゃんはアドバイスをくれた。 おばちゃん:「ここの繁華街を少し進んだところに温泉マークがある建物がいくつかあるから、そこなら開いてるわよ。料金もホテルより安いし。」 ありがとう韓国のおばちゃん、助かりました。 ということで我々は韓国の町を「♨」を求めて歩き回った。 しばらく歩くとピンク色のネオンに彩られた建物の2階に「♨」が見えた。 1階の入口から入ろうとすると、入口にはなぜかすだれがつけてある。 おや? なおも階段を進むと、ピンクやら紫やらの卑猥な色のネオンで彩られたカウンターに受付のおっさんが立っていた。 わし:「2人ですが開いてますか?」 おっさん:「!? 開いてるよ…。」 わし:「1泊ナンボですか?」 おっさん:「1人2000円だが…。」 わし:「1部屋お願いします!」 よかった~、ようやく寝場所を確保できたーとホッとしながら部屋に案内されると、何やら様子が変である。 机には最新式のパソコン。ナイス。 ベッドはキングサイズで1台。枕は2つ。おや? 家族旅行とかで行くホテルではあまり見かけないアメニティが用意されている。おやおや? そう、韓国でいう温泉マーク「♨」は、日本でいうところのラ○○であった。 わしの韓国での初夜は、安井さんの胸の中で眠ることとなった…。 2日目。 朝起きたものの、別にやることはない。 その辺のそば屋に入り適当に朝食を済ませた後(へー、韓国の箸は金属製なんだ~という発見あり。)、ソウル駅から地下鉄に乗り途中下車の旅を始めた。 観光名所などには目もくれず、東大門トンデムン(南大門ナンデムンだったかも)近くの市場へと足を運んだ。 途中安井さんが屋台のおっさんに「オニイサン、オニイサン、イイ靴がアルカラ見テイキナヨ」といういかにも安い客引きにまんまと引っ掛かり店の奥に連れて行かれそうになる事件はあったものの、何をするでもなくただぐだぐだと市場を歩いて回った。 お腹が空いた頃、市場の中にあったいかにも大衆食堂という感じの食堂に入ったところで、安井さんが真露(GINRO)のビンが一本200円くらいだということに目が煌いた時点でその日は終了することが決定した。 とりあえず真露を頼み、それで心の底からどうでもいい山手線ゲーム等を延々とやった。テーマは「今日乗った地下鉄の駅の名前は?」から始まり、「ハスキーズの人の名前フルネームで」とかいう全く韓国でやるべきではない時間の浪費っぷりを延々と行い、罰ゲームで真露の一気飲みや何の生物かわからないものの腸詰一気食いなどくだらないことをたった2人でおよそ3時間ほどやっていた。 気付いたら外が暗くなっていることに気づき、慌てて外に出た。 夜の街をフラフラしていると、ゲーセンを発見し、そこのパンチングマシーンが1回25円くらいだったこともありまたハマってしまった。 ふと我に帰るとまた1時間くらい浪費していることに気づき、適当にまたフラフラしつつ夕飯を食べ、宿泊は当然のごとく温泉マークを探した。 今度の温泉マークのお店の受付には、若いお姉さんが座っていた。フランクに、「日本人ですが、2人大丈夫ですか」と尋ねると、最高に怪訝な顔をされながらも部屋を案内された。 頭上の大きなプラズマディスプレイにAVが流れっぱなしの中、わしは2日目の夜も安井さんの温かい胸の中で眠ることとなった。 3日目、最終日。 ミョンドンという日本でいう表参道みたいな町に行き、真っ当なショッピングを楽しむ。が、あまりに日本でやることと同じじゃんということに気づき、値段もあまり変わらないのだから日本で買い物すればいいやと思い何も買わなかった。 そんなこんなでソウル空港へ向かい、日本へ帰ったとさ。 そんな、ある意味エキサイティング(夜)だけれども、この上なくぐだぐだな卒業旅行でした。 |
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2009 10,08 09:02 |
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症状:まだ違和感は残るが、随分楽に歩けるようになってきた 腹の力と腰の折りたたみを意識しながらの業務。 治療:電気、柔軟、スーパー体幹トレーニング(約30分) 今日はシンプルに、より負荷の高い腰の折りたたみトレーニング法のみを伝授された。 |
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2009 10,07 10:01 |
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症状:屈伸で痛む、歩行で痛む 昨日のひまわりでのトレーニングの甲斐あって、随分と痛みが軽減されている、気がする!!? 治療:電気、柔軟、スーパー体幹トレーニング(約2時間!) 今日は「腹の力」について学び、横隔膜をコントロールすることで体の重心が下がることを実感。 ひまわりに来ると、治療というより修行っぽくなってくるところが楽しい。 |
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