2025 05,16 04:47 |
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2020 03,19 17:08 |
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(今回の記事には、ドリンボとかコースケとか、オゲレツものの刺激は全然無いので悪しからず。) ふと、高校時代のことを思い出し、当時と比べるとやっぱり自分は大人になったんだなぁ…、と思ったこと。 わしは埼玉県にある某私立高校に通っており、ホッケー部(アイスではなく、グラウンドの方。ロッチ中岡がやってたヤツ)に所属していた。 なぜまたマイナーなホッケー部を選んだのかというと、部活の新勧のときに「県3位は確実!全国大会も夢ではない!」という勧誘文句に惹かれ門を叩いたのがキッカケだった。 確かに前年、我がホッケー部は県3位だった。しかしよくよく聞いてみると、埼玉県にホッケー部があるのがそもそも4校で、地区大会を飛ばして最初から県大会準決勝であり、更にはそのうちの1校が部員が3人しかおらず廃部寸前で棄権したのだという。 それでもそんなマイナーであるからこそ全国とか目指せるのでないかと賢明な読者諸君は思われるかもしれないが、他の2校に関しては全国的にも強豪であり、特に県立皆野(みなの)高校は前年に全国ベスト4とかで、弱小の我々にとって全く不必要なほど強かった。高校としては珍しく専用のホッケー場を持っており、皆野高校が強豪であることから皆野町が「ホッケーの町、皆野!」とスローガンを掲げるほどであった。 つまり、我がホッケー部は、あと1勝で全国大会という位置にはいるものの、詰んでいた。更に、学校から支給される部費も年間で15000円と、財政面でも詰んでいた。思えば、部室にある共用のホッケースティックは、石器時代の原人が狩猟で使うような古いものであり、それらのほとんどは著しく擦り減ったり最悪割れたり折れたりしていた。また使い過ぎてもはや球とはいえないボールも数個しかなく、それでもシュート練とかでどっか茂みに飛んでいったら練習時間よりも長くボール探しをしたりしていたものである。 つまり、全てひっくるめて、我がホッケー部は詰んでいた。アルティで例えるなら、弱小学生チームなのに、毎年毎回、全ての大会のトーナメント初戦でバズと当たることが確定してるくらい、詰んでいた。 そんな状況を知っても、入部して半年、まじめに練習に取り組んでいたため先輩に異常なほどに囲い込まれていたわしに、もう転部の選択肢は残されていなかった。後の祭りとはこのことを言う。 無情に時は流れ、インターハイ予選の季節がやってきた。 試合会場は、埼玉県秩父郡皆野町にある、皆野高校だった。 皆野町といってもピンとこない読者も多いかと思われるが、化石掘りで有名な長瀞(ながとろ)から、更に秩父鉄道秩父本線で山の方にいったところにある。 ちなみに今、文明の利器Google mapさんで現住所から皆野高校までを調べてみると、片道3時間19分と表示されている。 まだケータイすらも普及していなかった我々の高校時代、どうやって待ち合わせをしたのかもはや覚えていないが、途中の「寄居(よりい)駅」で集合し、その後チームで皆野高校まで向かうことにしていた。もちろん当時高校生なので、全ての移動は公共交通機関オンリーである。 ちなみにその待ち合わせに最後までキャプテンが現れることはなかった。後日談、朝起きたらめんどくさくなったからナチュラルにサボタージュを決め込んだのだという。 皆野高校の最寄りである、「親鼻(おやはな)駅」に着いた。親鼻駅の改札を出ると、そこには日本の山岳地方の原風景が広がっていた。当時スマホやGoogle mapなど影も形もなく、皆野高校がどっちにあるのか全く見当がつかなかったので駅前でキョロキョロしていると、それに気付いた老婆が近寄ってきて話しかけてくれた。 老婆「皆高(みなこう)でホッケーかえ?そしたらこっちの道を進んでいくと学校が見えてくるから、まっすぐ歩いていってごらんよ」 すげー、さすがホッケーで町おこしの町!おばあさんにまでホッケーが根付いている!! 老婆に感謝を伝え、言われるがままに示された道を皆で歩いた。 歩いた。 歩いた。。。 もう20分は歩いたが、一向に学校がありそうな雰囲気になってこない。 町ぐるみで皆高ホッケーを応援する老婆の策略で、迷子=棄権に追い込まれたのかと心がダークサイドに堕ちる寸前のところまで追い込まれたところで、部員の一人が叫んだ。 部員「あ!!見えた!!あれがもしかしたら皆高じゃないか?!!!!」 声の方向を見ると、部員は斜め45度くらい上空を指さしていた。その指先が示す方向には山が聳え立っており、その中腹に、確かに学校っぽい建物があるのが見えた。 そこから更に15分、各自まぁまぁ重さのあるホッケーの試合道具を担ぎ、更にキーバー道具用の各辺1mは軽くある巨大バッグを手分けして担ぎ、決死の山登りを行ったところで、遂に我々は皆野高校に到着した。 人によってはここまでの移動時間に4時間弱を費やしており、総じて我々の体力は底をつき、要するに、試合以前に詰んでいた。しかし共学であるため校内には当然女子生徒がおり、ビキビキの思春期真っ盛りだが声をかけるにはちょっと勇気が足りない硬派なシャイボーイこと俺たちは「やべぇ女子だ、声かけられるかなっ?かなっ?!」とドキドキソワソワしたものだが、結果一ミリも相手にされることはなかった。でも、なんか元気が出た。 それではお待ちかね、全国的な強豪に勝負を挑む、我がホッケー部のロスターを紹介しよう!! <3年生> はたの …生真面目な性格で、我がチームには珍しい正統派のホッケーテクを身につけている選手。でも真面目過ぎるがあまりチャラ目の2年生たちにあまり相手にしてもらえないという、悲しいポジションを築いている。 ゼンポーさん …少しウェーブのかかったセミロングの髪をなびかせているだけの選手。名前の由来は不明。 <2年生> こやの(キャプテン) …チャラい感じのキャプテン。試合当日、なんかめんどくさくなり、ドタキャン。 朝倉 …ピアスをあけてチャラ目だが、運動神経がよく、チームの中心的な選手。本業はサッカー部。 アル …当時16才だから法律的にありえないが、アル中の疑惑がある選手。放ったシュートが後ろに飛んだことがあるという伝説をもつ。 にしこ …イケメンで運動神経も良く、かつすごく勉強熱心で成績優秀、医学部を目指している選手。しかし、くそエロいらしい。 しこぴゅん …少し中性的な見た目の選手。以前の校内合宿にて、夜、みんなが寝静まったときに何かをしこしこしてぴゅんと発射したのがバレていたらしく、陰でこの名で呼ばれている。 どべさん …圧倒的な身体能力のスピードスター。本業はスキー部。留年している。 <1年生> ゲヴォちゃん …我がチームの守護神。キーパーの防具をつけた状態で座ると、自力では立ち上がることができないという特殊能力をもつ。そのため試合中、低めのシュートをセーブして転んでしまった場合、プレー継続中にも関わらず周りの味方が起こすのを手伝わないと一生ゴール前で寝たきりになるという、キーパーとして奇跡の才能を持つ。2年後の引退試合にて、試合開始直後にゴール前で大嘔吐して試合をクラッシュさせるという、埼玉ホッケー史に残る伝説としてその名を刻んだ。部室のロッカーに「ア〇ルシャワー」というタイトルの、一般人の趣向とは若干方向性の異なるジャンルの雑誌を大切に保管している。 そやま …試合中でもケツがかゆくなるとホッケースティックを肛門に軽く挿入してかゆみに対処するという、周囲の状況に流されない強い芯を持った選手。 さわだ …華奢で、ちょっと中性的な外見の選手。合宿で毎日入念に顔にクリームを塗っており、わしがなにそれと尋ねたら日焼け後のお肌には保湿がいいんだよと教えてくれた。それ以来わしも顔にクリームを塗ることを、毎晩欠かさず続けている。 のぐちくん …すごくオシャレに気を遣う選手。裏原系が全盛期だった当時、何回も裏原宿や裏表参道に連れて行ってもらい、一日中歩き回って、いろんなお店を教えてもらった。そのおかげで今でもわしは裏原界隈の路地を細部まで把握しており、スマホなしでも大概の場所は案内できるという特殊能力を持つに至っている。 わし …鬼のドリブラー。某大学の大学生との練習試合にて、自陣ゴール前からドリブルで約80m、8人抜いてシュートを放ったという伝説をもつ。しかし実はパスを出すテクニックがないから一生ドリブルしているだけということに気付いている人は誰もいない。バキバキの陰キャで、高校3年間で遂に女子高生と話すことすら叶わなかった。 どうだろう、このメンバーの豪華さたるや!! この圧倒的存在感を誇るスター軍団13人(キャプテン不在で12人)を引っさげ、インターハイ埼玉予選、皆野高校戦の試合開始が目前に迫った。 お互いコートの各所にポジションをとり試合開始のホイッスルを待つなかで、わしはFWなのでセンターライン付近で精神を集中させていると、ボウズでまるで山猿のような体躯をした皆野高校の選手がおもむろに近寄ってきた。 明らかにわしに何かを伝えようと寄ってきているようだったのでチラっとその山猿の方をみると、山猿はわしの顔を見据え、ニッと微笑んだ。 上の前歯の3本が、折れてなくなっている ホッケーで扱われるボールは実は野球の硬球並に硬く、さらに手には硬質の木材もしくはカーボン製のスティックを持って勢いよく振り回す競技なので、ボールやスティックが体に直撃すると結構エグイ怪我に繋がる。シュートで高速で飛ぶボールが口に直撃すれば、歯など簡単にスッ飛ぶ。 その山猿は、「俺はシュートを、顔面で止めてやったんだぜ(ニヤッ)。お前も歯、スッ飛ばしてやろうか?」と、物を言わずして威圧してきたのであろう。 試合前にわしの戦意を喪失させるには、十分すぎる迫力であった。 それどころか、それから20年経った今でもその姿が鮮明に思い出せるほど、衝撃的な光景であった。 人はこれを、トラウマと呼ぶのであろうか。 試合は、もはや試合と呼べるシロモノではなかった。 ただの蹂躙のお遊戯であった。 ホッケーの試合は35分ハーフ、計70分の試合時間であるが、恐らく我々がコートの半分の相手エリアに侵入できたのは、長くても1分程度だっただろう。 こちらのパスは全てカットされ、ドリブルしても数人に囲い込まれてドツキまわされた末にとられ、その後まるで洪水で増水した川の濁流のようにフィールドの選手全員が猛烈な勢い攻め込んでくる。 その繰り返しであるため相手のキーパーは死ぬほど暇を持て余しており、最終的にはハーフラインぐらいまであがってきて蹂躙のお遊戯を鑑賞されていた。 水が川の上流から下流に流れるかの如く滞りなくボールがゴール前まで運ばれ、まるでディフェンスなどいないかのように守護神ゲヴォちゃんに向かって高速のシュートが撃ち込まれ続けた。実際、山猿のような皆高の選手がシュートモーションに入ると、ボールの直撃を恐れた我がチームのディフェンダー陣はまるでモーセの十戒で海が割れるかのような見事な連携で左右にはけ、綺麗にシュートコースを提供していた。 結果、フリーで放たれる尋常でない本数のシュートがゲヴォちゃん目掛けて撃ち込まれ、ゲヴォちゃんがその日セーブした数は下手したらギネス記録に迫るのではないだろうか。 誇張なく、50本は枠内シュートを止めた(偶然体に当たったともいう)ことだろう。 しかし、それでも許したゴールの数は28本。 そう、だいたいサッカーと同じような点差に収まるホッケーの試合で、我々は 28-0 という、これまたホッケー史に残る敗戦を喫した。 70分試合で28点決められたということは、皆野高校は2,3分に1点を終始とり続けたことになる。敵ながらアッパレである。 そんなスコアではあるが我がチームにも収穫はあり、70分に渡る激闘を繰り広げても誰一人歯をスッ飛ばされた者はおらず五体満足で生き延びたし、またシュートを撃ち込まれ過ぎて全身青あざになったゲヴォちゃんがそっち方面の異常性癖に目覚めるキッカケにもなったようので、トータルで見て行って来いという認識でよいのではないだろうか。 ともあれ心も体もズタボロになった我々は一刻も早くおうちに帰りたかったわけだが、家に着くまでまた4時間の行程が待っているという試練が待ち構えていることに気付いたとき、一同、緑豊かな山の中腹から荒川の渓流を見下ろしながら、なんか口から魂が抜けていく感覚がしたことを覚えている。 と、なんかあの頃は、今と比べて不便で不自由で理不尽で世の中のことなんてなんにもわかってなくて辛かったこともあったけど、でも振り返ってみると、とりあえずなんか立ち向かってみることでなんか楽しかったり、知らぬ間になんか身についてるものがあったりするのだなぁ、なんて思う。 今は技術も進歩して便利になって、世の中の仕組みもわかって、何事も効率化効率化と目標達成のための最短ルートばかり考えてしまいがちだけど、たまには寄り道したり理に適ってない変なことしてみるのも良いもんなのかなぁ、なんて思ったりしたのでした。
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