2025 05,16 05:18 |
|
2020 01,20 19:54 |
|
2020年1月吉日、雲一つない素晴らしい冬晴れの青空の下、東京を代表するシンボル・東京タワーのふもとにて、東京都聖オゲレツ学園アルティメットゑロス倶楽部VegeGriffonsに唯一所属する華の88世代の1人、トノイケ(通称:メシ泥棒)の結婚式が盛大に執り行われた。 光栄なことに披露宴から招待されたわしが会場についてみると、わしと同世代のドブの83世代の連中をはじめとした往年のベジグリフォンズの連中がうじゃうじゃ集結しており、その顔ぶれをみただけで本日の先行きが不安になるには十分であった。 なかでも式に呼ぶとご祝儀をもらうだけではカバーしきれないほどの致命的なハイリスク、そしてノーリターンが保証されているあの男の存在も目撃されており、最悪の場合、式の破綻すら予感させた。 その、晴れの場に最も呼ぶべきではない男とは、 久々のブログ登場のこの男、 そう、 ドリンボ ドリンボを呼ぶことのリスクは、式場で度が過ぎる悪ふざけをして雰囲気が悪くなるという方向ではなくて、リアルな実害が発生することにある。 ヤツは偏執狂までに現実思考であるため、ご祝儀として発生した費用分について、幸せのおすそ分けという目に見えない事象では対価としては1ミリも賄われることはなく、しっかりと現物で元をとりにくる。 だからフリードリンクのビールも乾杯の発声前であるとか関係なしに酒を頼みまくってゴブゴブ飲みはじめるし、コースメニューの中盤にだいたい箸休め的に用意されているおかわり自由なパンも、まるで流れ作業のように自動的に口に放り込んでゆく。どう考えても味わってなんかいない。とにかく“元をとること”が彼のなかでは最高の優先順位なのである。 これらの行為だけでも相当に見苦しいのであるが、奴は気付いてしまった。 フリードリンクやおかわり自由のパンをいくら食べても単価が安く、元をとりきるには遠回りであることに。 そして遂に、ある一つの結論に達してしまった。 コース料理として出てくる料理本体を自分の分の他にも追加で食べれば、回収率が格段に高くなる、という結論に。 その禁断の理論の実行の第一段階は、“残飯あさり”であった。 手始めに、同じテーブルや近くのテーブルのベジの連中の食べ残しを食うという行為なのだが、こんなものは準備運動にも満たない。 ヤツはハイエナのように残飯のありかを嗅ぎまわってベジメンバーの料理を食いまくってきた経験から、大部分の料理が、しかもかなりの高確率で残されるスポットを見出してしまった。 それは、禁断のなかの禁断、 披露宴の主役である新郎新婦のために用意された席、 そう、高砂 披露宴では、特に新婦はかなりタイトな衣装を身につけるため気兼ねなく食事がしづらく料理が残りがちであること、プラス、多くの場合新婦には「お色直し」というイベントがあるためにお付きの新郎と共に長時間離席するという、二重の理由で(ドリンボにとって)絶好のタイミングが発生する。 その時だけは、アルティの場では一ミリも見せることのない俊敏性を見せ、新郎新婦が一時退場して招待者一同の意識が高砂から外れた瞬間に、毅然とした態度で高砂に直行する。 不思議なもので、人は挙動不審な動きに対しては察知能力が働くが、逆にあまりに堂々としていたり、当たり前のように行われる行動については、実はその目的が良からぬことであっても、気付きづらいものであるという。 実際ドリンボが高砂に一直線に向かって新郎新婦の料理をむさぼり食うことを、会場のスタッフが未然に防ぐことができた前例はない。 しかしわしは忘れることはないだろう。 ドリンボが高砂の料理をむさぼり食っている様を偶然目撃してしまい、驚愕のあまり目が見開かれてしまった、ご親族のお顔を。そのときのご親族の視線の先に捉えているのは、もはや理性のある人間ではなく、何かの事故で宴席に紛れ込んでしまったただの汚物としか写っていなかったであろうことは、間違いない。 高砂の残飯あさりも絶対的な禁忌ではあるが、2020年のオリンピックイヤーに、ドリンボもまた新たなステージに進んだ。 従来のターゲットはあくまでも残飯であったが、次のステージは「生きた料理」であった。 つまり、他の招待者の、手を付けられていない料理を食いにいくのである。 それが成立する根拠は、「配膳された料理の全容が認識される前に食ってしまえば、元にどれだけお皿に乗っていたかわからないであろう」というロジックによるものとのことである。 理性的な脳の回路が破綻していると感じられるかもしれないが、のどが渇いて水が飲みたいと思ったのに手元のグラスが空だったら、テーブルに装飾として用意されていた生花を浮かべた壺の水をゴブ飲みし始めるくらい彼の常識は一般と乖離しているので、不思議と、その理論は筋が通っているような錯覚に陥ってしまう。 (ちなみに壺から水を飲んでいる様は通りがかった会場スタッフに目撃され、「その壺に浮いているお花は次の二次会パーティーでも飾られるものですので食べないでください」と注意を受けていた。そのまま追放されてしまえばよかったのだが、残念ながらそれは叶わなかった。)
その暴理の最初の犠牲者は、同じくドブの83世代でおなじみのガボンであった。 メインディッシュのローストビーフが配膳された瞬間、おもむろにガボンは席を立ちバーカウンターへと向かった。後に聞いたところによると、地方豪族の美食家の血が「肉に赤ワインをあわせて美味しくいただきたい」と騒いだため、その感性に素直に従って席を外したのだという。 しかしその致命的な隙を、モンスターが見逃すはずがなかった。 ガボンが背を向けて3秒もしないうちに、ローストビーフの2枚のうち1枚が、まるで魔法のように消え去っていた。 もちろん同時に、ドリンボの口はハムスターのようにパンパンに膨らんでいたことは言うまでもない。 赤ワインを片手に意気揚々と戻ってきたガボンはふと皿を見やった瞬間、膝から地面に崩れ落ち、地に伏せたまま咆哮した。 ガボン「ワシはなんと愚かなことをしてしまったんじゃーーーー!!ほんの数刻前までバケモノが高砂のメシを食った話をしとったのに、なんと愚かなことじゃーーー!!!!完全に平和ボケしとったーーーー!!!ここはもはや日本ではないから目を離してはいかんのじゃーーーー!!!肉を美味しく食うためにワインを取りに行っている間に肉を失ってしまっては、これぞ本末転倒というもんじゃーーー!!!!!」 披露宴というおめでたい雰囲気に通常ありえない悲痛すぎる叫びがあがったが、幸か不幸か周囲の歓談の喧噪によって、叫びは会場の雑音の一つとして儚くも霧散していった。 もはや「原型を把握する前に食えばセーフ」という理論すらぶち破ってただ隙を見せた人の肉を食うという暴挙に出た(おそらく、誰が食べたかわからないはずだからセーフとでも思っているのだろう)ドリンボであったが、生きたメインディッシュを食うというエクスタシーに中毒性があったのか、すぐに次のターゲットを探し始めた。 すると我々の隣のテーブルにいた、少し恰幅の良い青年がほぼ配膳と同時くらいに席を立ち、少し離れたテーブルの友人に話しかけに歩を進め始めた瞬間、わしは周辺視で何か気配を感じた気がした。 今、ドリンボの姿が一瞬、ブレなかったか???? ハッ、と思ってドリンボの方を見てみると、とっくのとうにドリンボの皿には肉は無かったはずなのに、またもやドリンボの口がパンパンになっている。 そして先まで恰幅の良い青年が座っていた席の皿を見てみると、ローストビーフがしっかり1枚になっている。 コイツ、遂に仲間内ではない招待者のメインディッシュを食いやがったーーーーーーーー!!!!!!!! あからさまに事件の香りがプンプンするなか、遂に被害者の恰幅の良い青年が席に戻ってきた。 冷や汗をかきながら、彼が怒号をあげるのは今か今かと様子を伺っていたら…、 なんとその恰幅の良い青年は、何事もなかったかのようにまわりの招待者と談笑を始めたではないか! 目の前の皿には、皿の大きさに対して明らかにバランスの悪い量の肉しか載っていないのに、彼は満面の笑みを浮かべているではないか!! そして満面の笑みのまま、何も疑うこともなく、とてもおいしそうに最初で最後のローストビーフを食べているではないか!!!!! 本当はもう一枚食べることができたというのに!!!!!! 待てよ、この関係、恰幅の良い青年の満面の笑みが嘘でなくローストビーフの美味で幸福に満たされているのであれば、青年とドリンボはWin-Winの関係ということが成立するのか・・・? これって、先の「原型を把握する前に食えばセーフ」理論が成立している、…ということなのか??? いやおかしい、露骨な理不尽が発生しているのに皆幸せなんて、絶対何かおかしい???!! 大昔の先人が、私と全く同じ気持ちになったであろうときに生み出したことわざ、 知らぬが仏 意味:知ると不愉快になるものごとでも、知らなければ心を乱すことはない 嗚呼、歴史は繰り返してゆくのだなぁ。 PR |
|
コメント |
コメント投稿 |
|
忍者ブログ [PR] |