2025 05,16 06:29 |
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2007 02,04 09:51 |
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わしには爺さんがいて、今だに健全である。
この爺さんにはなかなかそこそこの伝説がある。
幼稚園くらいの頃、三輪車で崖から落下したことがあるらしい。
小学生くらいの頃、兄弟でチャンバラをしていて左手の小指が5mmほどスッ飛んだらしい。
中学生くらいの頃、通過駅で普通に走行中の電車から飛び降りたらしい。
大学生くらいの頃、イケメンだったらしく、街で映画出演のスカウトを受けたらしい。(現在はハリウッド俳優のジーン・ハックマンに激似)
これだけ聞くと若い頃はやんちゃだったんだなぁという印象を受けるが、その割に昔は喘息持ちで細くて白かったとか言っていたりしていて、謎に包まれた部分も多い。
そして皆の爺さん然りだと思うが、物資の充実した現代においてもほとんど全てのことをテクノロジーに頼らず我流の戦法で切り抜ける。
我流の戦法は本をたくさん束ねて縛ったりする方法や、かばんなどが少々壊れてしまったときの応急処置など、物質的にちょっと困ったときの対処としては絶大な威力を発揮するが、中には応用してはいけない分野もある。
その代表的なものとして医学が挙げられる。
爺ちゃんによる我流医学の魔手は少年時代のわしに降りかかっており、まさに知らぬが仏という言葉が当てはまる、今考えればぞっとするような体験が思い出される。
例えば、わしは幼稚園から小学校にかけて、歯を抜くために歯医者に行ったことがない。
周囲の人たちは盛んに歯を抜くために歯医者に行ったトークに華を咲かせているというのに、わしは常に放置Pだった。
余談として、わしの放置P症候群はその頃の経験がルーツになっているのではないかと推測される。
しかしあまりにも少年だったわしは「歯を抜くために病院に行かなくちゃいけないなんて、麻酔とか注射したとか言ってるし痛そうだし、みんなかわいそうだなー・・・」と思っていた。
そんなわしはどんな方法で歯を抜いていたかというと、まず食事中などに「歯が抜けそう」という話をすると、しばらくして爺さんの部屋に呼び出される。
そして爺さんの部屋に行くとおもむろに「上を向いて口を開け」と言われる。
言われるがままに上を向いて口をあけていると、爺さんは盆栽等で使用している工具箱から小型ペンチを取り出し、抵抗する間もなくぐらぐらしている歯をぶち抜くのである。
まるでコンセントからプラグを勢いよくぶち抜くかのように、ペンチで歯をぶち抜くのである。
ガッッという一瞬の衝撃の後、爺さんの「終わった」という一言でこの儀式は終了する。
歯医者と違ってこの儀式は本当に一瞬で終わるのだが、儀式の後の2時間くらいの大出血は避けられない。
世間とテクノロジーを知らない少年だったわしは全ての歯をこの方法で抜いた。
もし別の歯を誤ってペンチで引っ張ってしまったら大惨事だろうなという想像は易いが、もちろんそれも経験済みである。
これは新種の処刑法なのかと思われるほど痛かったことを今でも覚えている。
まだおじいちゃん医学話はある。
無邪気に歯をぶち抜かれていた時代と並行して、わしの少年時代は外をかけずりまわることしか脳がなく、高いところから飛び降りてみたり、全力ダッシュでコンクリートにダイブしてみたり、自転車で爆走し有刺鉄線に飛び込んでみたりと、正に生傷製造マシーンであった。
ちょっとした怪我は日常茶飯事で慣れっこだったため放置なのだが、ちょっとこいつは放置はまずいなという怪我を負ったときは、自らおじいちゃん外科にかかっていた。
なぜならおじいちゃん外科ではどんな傷にも効く特効薬を投与してくれたからである。
それは成人になった今でもわしにとって入手が困難であることから、よくもこんなものを見つけたものだと感心に値するものであった。
そんな奇跡の特効薬は、灰色の粉末であった。
それは高温にも耐えられるガラスの皿に入れられていた。
そしてなぜか毎日ちょっとずつ増えていた。
そう、灰色の万能薬の正体は、たばこの灰であった。
わしは比較的大きな怪我をすると自ら爺さんの部屋に行き、「薬つけて」というと、爺さんは迷うことなく傷口にたばこの灰をぶっかけてくれた。
灰をぶっかけた瞬間は怪我をした瞬間よりも遥かに大きな痛みを伴い、そのしばらく続く強烈な痛みによって怪我の痛みを忘れさせてくれるという、ある意味麻薬的な脳の思考回路コントロールを応用した治療法である。
ダイブ傷にアンダーアーマーが張り付いてその後のペリペリも相当痛いものだが、この傷口にたばこの灰療法は現代人は誰も思い浮かばない代物であろう。
確かにこの治療法は傷口の乾燥が早く治りも早い(??)という利点があるが、強烈な痛みとともに一生消えない痕が残るかもしれないというリスクも伴う諸刃の剣であるため、キズパワーパッドの量産される現代において試す価値は微塵も無いことを忠告しておく。
わしの体には今でも数箇所たばこの灰療法を実践した勲章が刻み込まれている。
現代でも男らしい我流の戦法を繰り出し問題を解決する人は、男でも女でも素敵なものであるが、ある程度の知識を持ち合わせていないととんでもないことになる可能性もあることを忘れないようにしましょう!
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2007 01,25 12:28 |
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最近わしの中で恒例となっている、
「火曜朝練→5時ダッシュ→鳥海山」コースですが、
1月30日も開催予定です。
試験が終わって暇すぎさん一同はよろしくご参集くださいな。 |
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2007 01,19 12:35 |
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2007年1月18日木曜日。
そして今年は厄年・・・。
この日はわしにとって悪夢のような1日となった。
わしはこの年にして精神的に狩られてしまった。
ニュースなどでたまに耳にする「オヤジ狩り」である。
わしの仕事上2人組の犯人は見覚えがあり、名前も知っていた。
本名は出すことができないので彼らを特徴づけるあだ名で表現するなら、
「コンニャク王子&サナダ姫」
といった感じであろうか。
この壮大な悲劇の物語は近日公開されるので、乞うご期待である。 |
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2007 01,07 14:29 |
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みなさん明けましておめでとうございます。 |
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2006 12,21 15:46 |
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伊藤:「5時半ダッシュで堺の家に来てください!ウイイレとコントローラーも持ってきてください!」
伊藤という名の心無い男から、リーマンに対する時間的配慮の全く感じられないメールが届いたのは業務真っ最中の水曜日の午後5時過ぎだった。 勘違いも甚だしい。 しかもソフトとコントローラーまでリーマン待ちとは、完全に社会的倫理を逸脱した発想である。 わしは猛烈に叱り飛ばしたい気分をぐっと抑え、大人としてこの恥辱に耐えた。 そして健気なわしは、たとえ彼の要求に応えられなかったとしても、そのために最大の努力をしたのだということを伝えるために、果てしなく積み上げられた書類のチョモランマに立ち向かう覚悟を決めた。 わしはいつも5倍低速再生モードくらいで激務に励んでいるのだが、このときばかりは愛するハスキーズの後輩のため、わしの能力の限界であるノーマル再生モードに戻した。 髪の毛を振り乱し、激しく飛び散る汗・・・。
午後6時過ぎ、ちょっと遅れてダッシュ!
産業廃棄物から生まれたチャリを華麗に乗りこなし、10分で自宅に到着! そして我ながらうっとりするような身のこなしでシャワーを行水! 待ち合わせしていたかずさんとニューオリへ! その途中、ゲーム屋で頼まれていたコントローラーを大人買いすることも忘れなかった。
ここらへんの気遣いが、できるリーマンとできないリーマンを左右する。 ちなみに食にはうるさいわしのニューオリでの一押しは、「納豆ペペロンチーノ」である。 食べ終わるとすぐに一路堺宅へ。
そこには既に堺、伊藤、パチ田、トマトがおり、わしとかずさんを合わせると6人が集結した。
ちょうどボクシングの亀田戦を見ていたところで、パチ田も亀田のような坊主にオムレツが乗ったような髪型にすればいいのにとみんな心から思っていた。 亀田戦も終わり、ウイイレ大会が始まった。
パチ田が持ってきたマルチタップと、わしが持参したコントローラー2個をつなぎ合わせ、4人対戦が可能となった。
2人ずつ3チームに分かれて勝ち残りの形式で試合をしていた。
ある時わしが1コンで、パチ田が2コンでチームを組むことになった。
わしがマルセイユルーレットや跨ぎフェイントなど華麗な技を連発していると、
嫉妬したパチ田がわしを罵倒してきた。
パチ:「ハルオさんの今のマルセイユルーレットとかホントいらないよね」
パチ:「カウンターで全員の選手がゴールに向かって走っているっていうのに、ハルオさんの今のマルセイユのせいで流れが止まったよね」
パチ:「前ガラ空きでどフリーなのにマルセイユとかって、意味がわからないよね」
パチ:「今の得点、ハルオさん全く絡まないで、僕のプレーだけで決まったよね」
パチ:「1コンはボールを持たなくていいから前にパスを出してくださいよ」
パチ:「“ぜちー!”とか言ってるけど、1コンの今のプレー普通だよね」
極めつけは、
パチ:「1コンは試合には勝つ気でいるみたいだけど、得点を決める気が全く無いですよね」
最終的にわしの立場はコントローラーの接続番号で呼ばれるまでに成り下がっていた。
間違いなくわしの繰り出すプレーは美麗極まりないのだが、少しフリーだとマルセイユを繰り出しその隙にボールを奪われ、ドリブル好きだからパスを出さないうちに敵に囲まれてボールをとられるしで、1コンがボールを持つと8割方ボールをとられるという、パチ田はまるで敵が3人もいるような状況に陥っていたことは否めない。 実際わしは1試合に13回マルセイユを繰り出し、そのうち12回敵にボールを献上している。 それでもわしはくじけない。 次の水曜ウイイレの日がやってくるまで、わしの華麗テク探求の旅は終わらない。 |
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2006 12,19 17:38 |
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みなさんご機嫌よう。
今回はハスキーズでは珍しい、クリスマスパーティーの告知である。
ちなみに先日まっさんがメーリスで送ったものと基本的に同じ内容です。
日時:2006年12月24日(日曜日) 18:00~20:00
場所:湘南台駅東口徒歩5分「ペピタライオン」
http://www.cityfujisawa.ne.jp/~shouten/shop/ds008/ds008.html
持ち物:プレゼント交換用のプレゼント(金額<センス)
備考:コスプレマニアの人はコスプレ可。
奮ってご参加ください! 地味に忘年会の写真もアップしました。 左のリンクをたどってください。 |
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2006 12,05 19:57 |
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神がかり的なスケジュールの11月が過ぎ、12月に入った。
12月はただの完全週休2日制に戻ってしまい、他の月からの振休も入れていないため心のゆとりが断然少なくなる。
キチィー。
そんな週単位の過密スケジュールのわずかな隙間に、わしの2コ先輩のしみさんからお誘いがあった、天王洲で開催されるアンダーアーマー祭に参加することを決めた。
参加メンバーはしみさん、わし、しっとり竜さん、歩くアルティ備品倉庫ガトリンの4人で、11:30にモノレールの天王洲アイル駅集合の予定となっていた。
できるリーマンは5分前行動があたりまえ・・・。
最高級にできるリーマンを自負するわしは集合1時間前の10:30には天王洲アイルに着いていた。
そして情報収集のため天王洲アイル駅周辺の立地調査を行っていたところに、しみさんからメールが入った。
しみさん:「集合時間12:30でよろしいっすか?m(_ _)m」
おしまいすぎた。
いくらわしができるリーマンだからといって、2時間もプラプラすることは苦痛を伴う。
困った困ったと悩んでいるところに竜さんからメールが入った。
竜さん:「はるおさん今日行きますか?しみさんが集合一時間遅れの連絡してきたんですが、僕すでに家をでちゃってて、どーしようもない状態なんですよ (θ_θ)」
わしは2人のおかれた状況を冷静に分析し、どうしたら有意義な時間を過ごすことができるか、頭の中で考えを巡らせた。
天王洲アイルからは品川にも東京にも近いから、ちょっとシャレオさんなランチを楽しむことができるな・・・。
いや待てよ、ちょっと気分を変えて羽田空港に繰り出して、大空に飛び立つ飛行機を見ながらのグッドラックなランチもオツだな・・・。
その後竜さんと合流し、とある雑居ビル2階の隠れ家的な喫茶店に入ることにした。
一流の社会人のランチは学生諸君には想像のできない世界が待ち受けている。
一部の階級がその世界にのめり込んでしまう一方で、まるで手が届かない、もしくは手をつけようともしない輩が存在することも確かである。
失敬。 店の前まで到着したわしと竜さんは、重々しい雰囲気の扉をオープンした。
その刹那、お出迎えのお姉たんが元気な声で接客をしてくれた。
お姉たん:「おにいちゃんお帰りー☆」
秋葉原において業界唯一と大々的に広告されるツンデレ系&妹系のミックス萌え喫茶の雰囲気はだてではない。
お姉たん:「ここにすわってねー☆」
お姉たん:「メニュー何にする☆?」
わしはあまりの恥ずかしさに苦しむ竜さんを華麗に席まで案内し、
颯爽とオススメメニューのハート型萌えカレーを注文した。
余談になるがわしが萌え喫茶に手馴れているのには訳があり、以前に萌え喫茶マニアえいじと同じ店に一緒に来たことがあったので、大体の展開は把握していたのだ。
そんなこんなで2人でハート型のカレーを食べながら、人間ウォッチングをしたり他愛のない会話をしたりと優雅な昼のひと時を過ごしたのであった。
その後竜さんは用事で別れてしまったのだが、わしと竜さんがそんな素敵なランチタイムを過ごしていたとは夢にも思わないしみさんとガトリンと合流し、何事もなかったかのように一緒にアンダーアーマーを購入したのだった。
店舗情報→http://www.nagomi.tv/ |
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2006 12,04 18:30 |
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11月は大変な月であった。 4,5日は「ハスキーズ」の新人戦の応援、13~20日は「戎(えびす)」として世界大会に参戦、そして25,26日は「ベッカムに恋して」としてガイアカップに参加と、まさに身が一つでは足りないようなハードスケジュールであった。 短期間でここまで国内外を出張するのは正直初めてである。 そしてそれらのイベントをこなすために費やした日々は、振休や有給を合わせると全部で17日にもなる。
何か?
さておき、25,26日はガイアカップというミックスの大会が開催された。 我々ハスキーズOBOG+現役+素人の軍団は、「ベッカムに恋して」として大会に臨んだ。 「ベッカムに恋して」はこれまでのアルティ史上類を見ないほど斬新なチームであった。 特に斬新だったのは、ユニフォームが文化祭ノリのため全て前日に手作り(胸ロゴ、背番号がテープ貼りのため洗濯不可、一部の背番号から芝生が生える仕様など)だったり、キャプテンがチームに気合を入れるための掛け声に誰も反応しないなど、はたから見たらこのチームの高い結束力はどこから生まれるのか不明すぎる集団であったことは間違いない。 戦績は初日の3試合を全勝し、二日目は1勝2敗と、遊びの楽しさと試合に勝つ楽しさの2つのバランスがうまくとれた、良い大会になったのではないかと思う。 事件はそんな素敵な大会の後に起きた・・・。 二日で6試合をこなし疲労していたのと体が冷えていたこともあり、いっしー車(いっしー、竜さん、あい子、さえ、わし)はスーパー銭湯「ゆらぎの里」へ寄っていくことにした。 ゆらぎの里へは昨日も来ていたのだが、今日は男子風呂と女子風呂がチェンジされる日らしく、客を飽きさせないナイスな心遣いであると、リーマンとして顧客満足にはうるさいわしも納得なサービスに出迎えられた。 わしは非常に不潔だった。 なぜか今大会の持ち物で着替えという着替えを忘れてきてしまい、なんと3日連続パンツ代わりに試合用のスパッツを装着し続けたり、タオルも忘れたので代わりに吸水性の良いアンダーアーマー(3試合装着後)で体を拭いていたりした。 普段ではあり得ないこれらの落ち度も、日々組織のために仕事に明け暮れるリーマンならではのメンタル的なプレッシャーから来るものなのだなと、しみじみとした感慨にふけりながら男湯の入口に入ろうとしたときに、 自分の前に男湯に入っていった客があい子のような気がしたのである。 いくらリーマンだからといって幻覚とか妄想とかはさすがにまずいだろうと思い、自分の認識を再確認するために入口ののれんを見上げたが、 わしはしばらく呆然としていたが、それとは対照的にキリリとした顔つきのあい子が出てきた。 のれんをくぐってから10秒くらいは経過していたので、あい子は男すぃーと男すぃーの裸祭りのかなり奥深くまで侵入していったことが予想される。 わしの中で、このワンプレーだけであい子が今大会のMVPに確定した。 真にあっぱれであーる!!!!! 今年の一女はキャラが濃い人が多いと感じていたが、未だかつてレディースにしてここまでレベルの高いネタを提供してくれた人はいないであろう。 あい子選手の今後の活躍に大いに期待である。
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2006 12,04 18:23 |
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際限の無い仕事に忙殺され、アルティからそして愛するハスキーズからもかけ離れた生活を強いられること約8ヶ月・・・。 皆さん御機嫌よう。 「りきしの国から2002」は「りきしの業務日誌2006」として生まれ変わりました。 2006年3月にSFCを、そしてハスキーズを卒業した僕も、今では完全にいちリーマンとして社会の歯車に成り果ててしまいました。 学生時代には考えられなかったこの束縛感・・・。 このやるせなさを特に自由な学生の皆さんにお伝えするためこのブログを立ち上げました。 ですので社会人の方は決して読むことのないようにお願いします。 もしやむをえない事情によりこのブログを読まれる際には、これは完全なリアル系フィクション小説風ブログだということをお忘れにならないよう重ねてお願いしたいと思います。 それではこれからも細々と更新を続けてゆきたいと思いますので、ご愛読よろしくお願い申し上げます。
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