2025 05,16 17:09 |
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2007 08,08 14:16 |
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普段毒虫のように鬱陶しいとあるポエマーが、
ハスキーズ引退の際、とても大切な言葉を残してくれました。
それはハスキーズにこれからも引き継いでほしい文化、
「喜びの共有」
です。
僕の中でハスキーズにおける「喜びの共有」とは、
ただ単純に試合で敵を倒した際に得られた快感だけではなく、
普段の練習や合宿など、大会期間よりも遥かに長い時間を共にする仲間と過ごす全ての時間を総合して得られる喜びの共有なのかなと解釈しています。
みんなの喜びの共有によって、チームのパワーは爆発的に強くなることは言うまでもありません。
この点がチームスポーツの醍醐味であり、むっつり一人で練習するのが好きな僕が個人競技ではなくチームスポーツにこだわる理由です。
ただ難しいのは、このタイプの喜びは受動的に生まれるものではありません。
強い立場の人が弱い立場の人を気遣ったり、
逆に弱い立場の人が強い立場の人にちょっと気を利かせてみたり、
そのような強制されたものでない気配りを、みんながお互いに自然に行うことができるようになったときに生まれます。
しかしその気配りが強制的に行わされているものだったり、一方的なものであったりしたときに、喜びの共有は破綻してしまいます。
喜びの共有の破綻はチームにとって大きな痛手であることは言うまでもありません。
実際にハスキーズも過去にそのような苦い経験をしています。
僕の代のレディースは1年の春には10人以上いたのですが、2年の時には2人になってしまいました。
しかもその2人もバリバリのプレーヤーとしてではなく、一歩距離を置いた形での所属でした。
当時のハスキーズのレディースの仲が悪かったわけでは決してありません。しかし上級生の責任感が強すぎたために、なかなかかまってもらえなかった後輩たちはハスキーズに対し次第に疎外感を感じるようになり、喜びの共有を失ってしまったのでした。
なぜそのようなことになってしまったのかという原因は、第三者の視点で見ればとても簡単なことなのですが、その渦中にいる人たちは悪気があってやっているわけではないのでなかなか気付くことができないのです。
強くなるため、自分達がチームを引っ張ってゆかねばならないと、チームのためを思って必死にがんばっていた上級生達は、わけもわからぬまま貴重な戦力を失い、結局自分達の首を絞める結果となってしまったのです。
僕はオープンの某氏から話を聞き、不安を感じました。
全てのカワイイ後輩たちに、昔と同じ悲しい歴史を繰り返してほしくないと思っています。心の底からそう願います。 これを読んでうざいと感じた人ほど、ちょっと見直してみてください。
そして、まわりに視野が狭くなっている人がいると感じるのならば、その人たちに伝えてください。 過去に激アチなハスキーズライフを満喫した、現在しょぼリーマンからのお願いです。
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